4話 「……ねえ、アリコ、お願いがあるんだけど」

 ずんずんと緑の芝生を、クロードが歩いている。


「しーるーえーら—あー」


 端正な顔は今はすっかり寝起きの熊のごとき形相。捕まったら、ただでは済まなさそうだ。こってり絞られるどころか、告白の答えを言うまで解放してもらえないかもしれない。

 シルエラは塀越しに枝を貼る大木の裏に隠れ、庭でシルエラを探すクロードの姿をこっそり見やった。

 クロードは手入れが行き届いた庭を一周した後、何を思ったのか奥の林を見、さすがにそこまで行っていないと踏んだか、庭で唯一畑の手入れしていた庭師と何かを話し、舌打ちして建物の裏手へ向かった。

 ほう、と、枝垂れるウィスタリアの花の隙間から、シルエラの安堵の息がこぼれる。


「お嬢様」


 ぎくり、と声に肩を震わせ、おそるおそる振り返り――シルエラは一気に脱力した。

 黒く清貧なワンピースに白いエプロンを下げた黒髪の女性が、ちょこんとシルエラの背後にしゃがみこんでいる。いつの間に。


「なんだアリコか……」

「あら、なんだとは失礼ですわね」

「ご、ごめん」

「さっ、お嬢様こちらへ」

「ああ、うん……」


 特に考えもせず、塀から隠れるよう中腰のアリコについていこうとして、ふと不審の目を向ける。


「とかなんとか言いながら、私をクロードのところに連れてくつもりとかじゃないでしょうね……?」

「まあっ」


 アリコは口を大きく開くと、振り返ってきた。


「お嬢様ったら、アリコの忠義をお疑いですか」

「そっ、そういうわけじゃあ」

「アリコは今とても傷つきましたわあ~」

「悪かったわよっ。だからあんまり大声出さないでちょうだい!」


 その頃には、庭師はいなくなっていた。







 誰もいなくなった広大な庭を、アリコと二人で歩く。

 庭師により花や野菜が栽培されている庭は、クロードの私有地だ。

 なだらな丘のようにもなっている庭は、奥の方までルバーブ畑、更に奥にはいちご畑。ズッキーニやえんどう豆などの野菜、その間に美しい花々が彼方まで規則正しい配列で植えられていて、クロードも手入れを手伝っているらしい。

 夜会で礼装用の外套コートを着こなすクロードが、泥まみれになりながら土いじりをする姿なんてにわかに想像がつかない。

 また、そんな彼から告白されたこの状況も、にわかには信じられなかった。


「どうしようかしらね」


 知らず、ぽつりとつぶやいていた。

 足を止めたアリコが、肩越しに振り返ってくる。


「……お聞きしますけど、お嬢様はクロード様のことはどう思っていらっしゃるのですか? たとえば、恋人としてなら、どう思うか、とか」

「それ以前の問題。さっきも言ったけど、考えたことがなかったのよ。そんな暇なかったし。それに、ヴァリアンテ家なんて資産家、憧れる女子はいても、普通は視野に入らないでしょう。私も、周りもね。だから、同じ商家の子どもでクラスメイトで幼馴染。そのぐらいだったのよ」

「では、こうなった今は、将来、可能性があると?」

「それを今聞かれても、答えられないわよ」

「クロード様、お可哀想に……」


 口元を手で押さえ、悲壮に涙ぐむアリコの姿はやけに同情的だ。やはり給金二倍が効いているのだろうか。


「あのねえ、言わせてもらうけどねぇ」


 地植えされた花々の脇を通り過ぎ、アリコの行く手を妨害する形で前に立つ。


「告白とかプロポーズなんてものは、お互いに通じあっている男女が、確認のためにするようなもので、玉砕覚悟で一か八かで挑むものじゃないでしょう! 女友達も多ければ、学生時代、付き合ってた人もいたくせに、どうしてこういうときに限って恋愛初心者なのよ!」

「既に囲い込みは完了して、お嬢様が首を縦に振るだけの状況ですし、確認作業といっても差し支えないのでは?」

「そういう話じゃなくて!」

「囲い込みからの絨毯作戦は捉えるための相場と決まっておりますのに。アリコ、いつでも準備はできております」

「何の話よなんの」


 疲れてうめく。

 そう言いながらも、既に諦めや覚悟のようなものはできていた。決めたのはシルエラの父で、母で、そしてシルエラ本人だ。今更、取引を反故にするつもりはない。

 結婚するとして、その相手がクロードだというのなら、彼がそう命じるのなら、シルエラは従うだけだ。クロードにはああは言ったものの、本気で婚姻を覆す気はシルエラにはない。そこまでシルエラは幼くなかったし、なにより──


 ──お前のことが好きだった。


 クロードの真剣な眼差しが記憶に蘇る。


「……ねえ、アリコ、お願いがあるんだけど」

「何なりと」


 即答してきれいに腰を折るアリコは、どこまでも忠実に溢れていて。

 こんなときなのに、なんだかシルエラは笑ってしまいそうになった。

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