31話 君が愛を知らなくても僕はキミを抱く


「ソアラ、オレの名前…」

「リュシアさまの残響の影響があると僕の感情がどうしても閉じ込められるから」

そう言ってソアラは、オレの頬をゆっくりと撫でる。


「ずっと呼びたかった、名前を」

ソアラの瞳がみるみる緋桜に染まり、紅玉の赤色に変わっていく。

「ごめん、ユーリを守ってあげられなくて」

「ちがう!謝るのはオレなほうだ!だってソアラの命を──。」


言葉を遮るように、ふわりと抱きしめられた。

肩を包むぬくもりに、涙が溢れる。自然と腕がソアラの背にまわるが、一瞬、ためらいのきもちも過る。

だけど、触れたい気持ちが打ち勝って強く抱きかえした。


「ソアラ……オレ気づいてしまったんだ。ソアラがオレの影武者になってくれてたこと、だから──」

そう、あの日オレを襲った刺客。

あいつらがソアラを──。


「ちがうよ!それはちがう…あれは僕がそう志願したから」

その語気に息を呑む。赤い瞳に涙が光る。


「最初は寺院に引き取られ、リュシアさまの力になるため、ユーリを任せられたことが使命だと思っていた。だけどいつしか、ただユーリの傍にいたいと思うようになって…同時に、それを“間違い”だと責めてもいた…」

ソアラの指が頬をなでる。


「命の危険が迫ったとき、身代わりを志願したのも、自分の意志だよ。ただ、あの空間に違和感も感じていた。皇帝とリュシアさまとの関係、そして将来キミが抱えるであろう、皇帝の器としての運命。もし、それさえも僕が代われるなら…でも、それは叶わぬこと──」


彼は一瞬目を伏せ、そしてつづけた。

「力が欲しかった。ユーリを守る力が。

上の学校へ行って知識を学ぶことがあのときの僕にできることだと思った。だからリュシアさまに願い寺院を発つことを決めたんだ」


湖のほとりで、ソアラが何か言いかけたあの日を思いだす。

「あの時……」

オレの問いにソアラは少し照れたように、頬を赤くする。

「必ず迎えに行くと、言いたかった…でも言えなかった…自分の気持ちを悟られたくなかったんだ」

俯くソアラはなんだか急に少年にもどったようだった。

インフィニタスの時とはちがう、素のソアラ。

幾つも幾つも聞きたい事が溢れだし、気だけがあせる。


「ソアラ、あの日のこと、ごめん……やっぱいりあまり思い出せないんだ。襲撃の日、本当はソアラはもうとっくに寺院を出て行ってたはずじゃ?」

あの日は粉雪が降る寒い朝──。


「…あの日は君が十巡を迎える日だった。十巡は、この星の子が“ひとりの意志”を持つ者として祝われる大切な日。だからあの日だけはどうしても帰郷したかった。ユーリを祝うために──」


ソアラの瞳が遠い記憶をうつしだすように見える。

「大人たちが出払っていたのも、君の祝いの支度のため──そんな時に、悲劇は起きた」


今でもあの日のことだけ断片的にしか思いだせない。

きっと母上の術が強く効いているのかもしれない──。


「ソアラ、あのときも何か言いかけて」

ソアラは一瞬ためらい、オレの手を握る。

「本当、ユーリは…」

「え?」


その言葉のあと、再び強く抱きしめられ、耳元で囁かれる。

「本当はこうしたかったんだよ?あの日、最期だと覚悟を決めたとき、伝えたかった」



「ずっと好きだったって」



……え? あ? え、えぇ!?



脳みそが一瞬で真っ白になる。

視界がぐらぐらゆれる。

きっと今のオレ、間抜けなくらい目を見開いてるにちがいない。


「なんて顔してるんだよ」

そう笑いながら、額をあわせてきた。


「あのころは……それがどんな意味をもたらすのか、正直よくわからなかった…インフィニタスとしてキミに再会して、荒れた姿を見て、驚きと苦しさでいっぱいになったよ。ただ、見守ることしかできない自分の存在がもどかしかった」

ソアラを真っ直ぐ見るとその先に澄んだ青空が広がる。


「──透明な壁の向こうで、ただユーリを見ている感覚。声を出しても届かない……それが、何より苦しかった」

やっぱりソアラはずっと苦しんでいたんだ──…。

そのきっかけが自分だと思うと心がえぐられる。


「僕の言葉にいつも反発して、そのたびに胸が痛んだ。記憶が封印されてるとは言え、無意識に僕を避けてるのか、遠ざけようとしてるのか、そんな気にさえ思えてきて」

「ごめん。そんなふうに思わせていたなんて。」

くちびるを噛み、俯くオレの頬を、ソアラの手がそっと包みこむ。


「ちがうよ!ユーリがいたから僕は……壊れずにいられた。ユーリの存在が僕に**ひかり**を与えたんだ」


そのまま、逃げ場を失うように両手で顔を挟まれ上向かせられた。

「また、くちびる噛んでるね」

「え?」

「ユーリは考えごとするとき、いつも血が出るまでくちびるを噛むクセがあるからね」

その表情はなんだか怒ってるようにも見えてしまい、急に心細くなる。

「ソアラ…怒ってるの?」

ソアラのこの表情みるとなんだか不安になる──思い切って聞いてみると、驚いたように目を見開いた。

「怒ってない──そんなふうに見えた?ごめん、僕も考えごとするとついそうなるのかも」


ソアラはふわりとわらった。

そして何かを思い出したように言葉を紡ぐ。


「ユーリ、僕にはじめてキスを命じたときのこと覚えてる?」


《私は、どんなことがあっても、あなたの傍にいます》


──あの誓いのキス。挑発半分で言った言葉に、真剣に応えたソアラ。


「あの時のユーリはきっと、退屈しのぎの気まぐれだったのかもしれない。だけど、僕は……」


ふと、ソアラが目を閉じる。ほんの一瞬の静寂のあと、真っ直ぐに。

「……確認したかったのかも知れない。あのころの気持ち、キミへの欲望の熱がなんなのか。そして……確信したよ。僕は、やっぱり、君が……好きなんだって」

まるで何かを確認するかのように。


「うん、やっぱり今も好き、ずっと好き」

睫毛、瞳、鼻先へとくちびるが降り、最後に噛みしめたくちびるの血をぬぐうように触れるだけのやさしいキス。

あまりにもやさしくて、あまりにもうれしくて。

全身が浮きたつ。


こんなに、ソアラを傷つけて、こんなに苦しめてしまったオレを好きだと言ってくれる。


「皇帝から虚の輪廻の術を掛けられ彷徨っているとき、ずっとユーリの声が僕をよんでいた気がした。その声を頼りに僕はよみがえることができた」

オレを真っ直ぐ見つめるソアラの瞳は涙でいっぱいだった。


「ユーリありがとう。僕を探してくれて」


そっとはにかんだ拍子に涙が一雫おちる。

インフィニタスのときとはちがう。

ちゃんと表情があって、そして感情がある。


「やっぱり綺麗だね」

そう言って、ソアラはオレの瞳にキスをおとす。

「光に当たると琥珀に変わるユーリの瞳」

「なんだよっソアラ、オレは姫じゃないんだぞ?前から思ってたけど、ソアラはオレを何かかんちがい…」

言い終わる前にソアラが言葉をかさねた。

「ユーリは姫君なんかじゃないよ、ユーリは王子だ」

「だったら、その…綺麗だとかそういうの恥ずかしい…だろ?」

少しくちびるを尖らせて抗議をすると、ソアラはやさしくはにかむ。


「うん、だったらもっと乱暴にあつかうね」

少しからかうように、そして瞳から頬へ、喉元へ──触れられる場所すべてを確かめるように、次々と口づけがおちてくる。


最初はふるえるほど慎重だったのに、やがて言葉どおりに、くちびるがためらいなく重なる。

熱い舌が深く潜りこみ、呼吸が奪われる。

驚いて肩に手をおくが、後頭部を包む手が強くなる。

「嫌じゃない?」

「……いやじゃない……もっとソアラが欲し──…」


言葉の終わりを待たず、再び押し潰されるような口づけ。

上下のくちびるが擦れあい、舌と舌が何度も絡み、呼吸の間すら与えられない。


……気づけば、ソアラの腰に跨って、夢中になって追いかけていた。

もっと近づきたくて、肩にしがみついた瞬間──。

強い腕がオレの背を抱きすくめ、そのまま草の上へ押したおされる。

かさなる体温と熱に、逃げ場はもうどこにもなかった。


「……っ、ソアラ……」

名を呼んでも、彼は離れない。

さらに深く舌が絡み、喉の奥をくすぐられ、声が熱と一緒に漏れる。

「んっ…ふっ…」

触れている頬がじんじんと熱を持ち、胸の奥まで痺れるようだ。


「……こんなにされたら、くちびるが腫れちゃうよ」

かすれた声で抗議しても、ソアラは笑みを浮かべるだけ。

「ごめん、いま、余裕…ない……昔から、感情きもちが先に走って、抑えるのに必死だったんだよ?インフィニタスの理性の塔がなかったら──きっと」


いつか、ソアラが感情をあらわにして、衝動のままオレにキスをしてきたことがあった。

……あれも“ソアラ”の素がでた瞬間だったのだろうか。


ふと、胸の奥がくすぐったくなる。

ソアラが少し、オレに似た気がして──自然と笑みが零れた。


その笑みを見て、ソアラがわずかに不満そうに眉をひそめる。

「なんだよ、笑うって……こんな僕はきらい?」

少し照れたように瞳を伏せる。


「……ううん、きらいじゃない」

オレはソアラの頬に触れながら視線をあわせた。


「ユーリ…ユーリは僕の大切な宝物」

安心したように、額をそっと重ね、見つめあう。


「……ソアラ、好きだ…大好きだよ」

オレはソアラの身体を引きよせてしっかりと抱きしめた。


はじめて言葉にした想いが、心の奥でふるえる。

ふたりの視線が、まっすぐに絡みあう──。


***


冷たい空気の中で、ソアラの体温だけが残り火のようにあたたかくて、離れるのが惜しかった。

吐いた息が白く混じりあって、その白ささえ甘く霞んで、額をかさねたまま、オレたちはしばらく言葉を失って見つめあう。

やがてソアラがふっと息をつき、指先でオレの髪に絡まった葉を静かに取りのぞく。


「……ごめん、無理させた…痛かった?」

「ううん、大丈夫……」

ゆっくり息を整ええる。

互いに乱れた衣を整えながらも、まだ肌には彼の熱が残っていて、胸の奥が落ちつかない。

視線があえばまた頬が熱を帯びて、思わず逸らしてしまう。


けれど──どちらも、もう引き返せない運命を選んだことは知っている。


オレはソアラを見た。

粉雪がはらはらと舞い、白銀の髪に落ちていく。

「雪……」

思わず手を伸ばすが、すぐに風にさらわれてしまう。

光にゆれた髪がきれいで、胸の奥がきゅっと痛んだ。


そのとき、ソアラの瞳がかすかな赤を湛えたまま、ゆっくりとゆらぎはじめる。


「ソアラ…?」

呼んだ声が、雪の空気にかすみ、紅の光は潤みにとけあうように少しずつ色を失っていく。

まるで最後の炎が消えるみたいに──。


そして、静かな銀の色がその奥からにじみでて、瞳を覆った。


《……記憶のリミッターがもうそこまで迫ってきているのかもしれない》

オレはそう悟った。


ふと、外套の下、腰に触れた重みに気づき、

「……待ってソアラ、これ……」

焦るように短剣を抜こうとしたが、手がふるえてなかなか抜けない。

どうして、こんな時に限って……。


「大丈夫、あせらないで」

その落ちついた声に、よけいに胸が熱くなる。

それでも必死に柄を握る指先を、ソアラの手がやさしくかさねる。

ふるえる手を支えるように。

ふたりで、ゆっくりと鞘から短剣を抜き取る。

その一瞬さえ、誓いのように感じられたのに、胸の奥はやっぱり切ない。


だけどオレにはゆるぎない想いがある。

──たとえ、この先、ソアラがオレを忘れてしまっても。

その覚悟を抱きしめるように、二本の短剣を差しだした。


「これは?」

「うん、これはもともと、二本で一つになるよう造られた双星刀そうせいとう

蒼い桔梗の紋章の短剣。

刃の根元には、それぞれ、

”皇帝”Emperor──

”女帝”Empress──の刻印。


「この皇帝の短剣をソアラに託したい」

ソアラは短剣を両手で受け取る。

「これがあれば、たとえこの先ふたりが道に迷っても必ず引きあわせてくれるはず」

かつて、ソアラが持っていた女帝の刻印の剣をオレが。

そして皇帝の刻印の剣をソアラに。

二本の短剣を重ねながら。

ソアラを見あげる。


「ソアラ。たとえ、君が愛を忘れても──オレは君を想つづける。……だから、これからも君を、愛させて」


ソアラは、ほんの一瞬だけ目を見開いて、静かに──けれど確かに、言葉をかさねた。


「たとえ僕が、君を忘れても。必ず君を見つけだしそして……君を、抱きしめる」

オレはソアラを見返した。

「必ず」

「必ず、僕を信じて」


ふたりの距離が、そっと近づいていく。

まるで何度も通りすぎた運命を、たぐりよせるように。

そして、くちびるが、再びかさなる。


──はじめて、心が通じあったくちづけ。

それは永遠のはじまりをつげる。


ふと、頬をかすめる冷たい感触。


見あげると、粉雪はさらに深くなり、オレたちを静かに包みこんでいく。

西の空はまだ淡い橙に染まり、そこへ溶けこむように街灯がともる。

光を受けた雪片は宝石みたいに瞬きながら、ゆっくりと地面へ落ちていった。

寺院の鐘が低く、深くひびく。

その音が、夕暮れの静けさをやさしくふるわせ、まるで祝福するみたいにオレたちを見守る。


粉雪と鐘の音に包まれながら──…

オレたちの時間は、永遠へと歩きだす。

その先には、まだオレたちも知らない新しい物語がまっている────。




***



あれから──。


「ユーリ──」

誰かが、オレの名を呼んでいる。

温かい声。やさしく微笑む気配。

それだけで、すべてが救われる気がした。


「ユリウス殿下!」


鋭い声に、夢がぱちりと弾けた。

光がまぶしく、現実が押しよせてくる。


──夢、か。


陽はまだ低く、薄金の光がカーテンを透かして差しこんでいた。


「ユリウス殿下、そろそろ起床のお時間でございます!」


相変わらず、朝が弱いオレの一日は、憂鬱にはじまる。

侍従のセルディアスが呆れたように、容赦なくシーツを剥がした。


「もう少しだけ……」

「いいえ、今朝は予定が詰まっております。早くご用意を!」


仕方なく身体を起こす。

夢の余韻がまだ指先に残っていた。

誰かの声。あたたかい手。

そのぬくもりを、オレは忘れたくなかった。



「本日の謁見は──」

「はいはい、わかってますって!」


半分寝ぼけたまま、扉の方へ目を向ける。


静まり返った回廊を、革靴の音がゆっくりと近づいてくる。

低く一定のリズムが、心臓の鼓動と重なった。


──トン、トン、トン……。


扉が開かれる。

朝の光が流れこみ、その中にひとりの青年が立っていた。


藍の軍服。

肩の金飾緒がわずかにゆれ、その瞳は、どこか懐かしい光を宿している。


青年は一歩進み出ると、片膝をつき、深く頭を垂れた。


「初めて殿下に謁します。名を──ソアラと申します。」


その声が、胸の奥をふるわせる。

音もなく、世界が息を呑んだ。


それは、ふたりの物語が“再び始まる”合図のように。


ふたりの恋がまたはじまるんだ。

──君が愛を知らなくてもオレはキミを愛するから。


オレは息をのむ。

そして、静かに微笑んだ。


「待っていたよ──」


その言葉が、朝の光にとけていく。

外では鐘が鳴り、粉雪がひとひら、窓辺をかすめた。

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君が愛を知らなくても僕はキミを抱く あさひのはるひ* @harupi_star

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