第40話 希望の旅路

 静寂が、戻っていた。

 運営者が消え、暴走したコードの奔流が止まった虚無の空間で、俺とセレーネはただ二人、向き合っていた。彼女の頬を伝った涙の跡が、新しい世界の夜明けの光を浴びて、微かにきらめいている。


「創真……」

 

 俺の名を呼ぶ彼女の声は、まだ少しだけ震えていた。


「始めよう。俺たちの手で、この世界を」

 

 俺は頷き、運営者が遺した黒いペンを構えた。

 ペンを振るうと、俺たちの目の前に、半透明のミニチュアの世界地図が現れた。大陸は灰色にひび割れ、都市は廃墟と化し、山々は崩れかけている。運営者に歪められた、痛々しい世界の姿。


「これは……」

 

 セレーネが息を呑む。俺は迷わず、ペン先を走らせた。

 一つひとつ、俺たちが旅してきた道をなぞり、壊されたものを塗り直すように。


 最初に触れたのは、東の廃墟と化した都市、アテナイ。「ここは、俺たちが世界の“バグ”を目の当たりにした街だ」そう呟きながらペンを滑らすと、ペン先から修復のためのコードが奔流となって流れ込み、瞬時に街のデータが再構築されていく。

 

 次に、南の疫病に侵された村。「ここは、お前が人々を救おうとした場所だな」セレーネの言葉に頷き、ペンの軌跡が光を帯びると、腐敗していた川の汚染ステータスが正常化され、湿った空気は晴れ渡った。

 

 最後に、俺たちが破壊した巨大な神殿。威圧的なオブジェクトデータを消去し、代わりに人々の祈りを集める、素朴で清らかな白い教会のデータを配置した。


「これが……世界の、本当の姿か」

 

「そうだよ。壊すことだけが答えじゃなかった。繋ぎ直せば、世界はまだこんなにも美しい」


 俺がそう言って微笑んだ、その時だった。どこからともなく、温かい光が降り注いだ。


//ありがとう。


 開発者の魂が、最後に残した感謝の言葉。その響きに胸が熱くなる。

 だが、奇跡はそれだけでは終わらなかった。俺の手の中のペンがひとりでに浮き上がり、地図の上に、新たな文字列を紡ぎ始めた。


// this is my final gift for you Souma.

// and for you, the another protagonist of this world, Selene.


[EXECUTE]: CREATE_WORLD(NewHope);

[SET_PARAMETER]: { sky: "clear_blue", wind: "gentle", peace_level: "maximum" };

[DELETE_ENTITY]: { class: "monster", attribute: "hostile_to_human" };

[PLACE_OBJECT]: { object: "Starting_Village", coordinate: [0, 0, 0] };

[INITIATE_SEQUENCE]: Title("The Dawn of a New Adventure");


 膨大なプログラムがミニチュアの地図の上に刻まれ、俺たちが修復した古のマップデータは、真っ新な世界へと創造されていく。山には緑が戻り、海は澄み渡る。荒野には花が咲き、空には虹がかかる。

 光の粒子が舞い、再生された世界の息吹が俺たちを包み込んだ。


// どうか、君たちだけの物語を。


 やがて、その力を使い果たし役目を終えたペンが光となってはじけ飛び、再生の光が俺たちを完全に包み込んだ――。


 ――そして、静寂。

 まぶたをゆっくり開くと、そこに広がっていたのは、あの戦いの場とはまるで違う風景だった。

 青空。流れる白い雲。頬を撫でる風は柔らかく、草木の匂いが胸いっぱいに広がる。

 眼下に見えたのは、小さな集落だった。木造の家々が並び、石畳の道を子どもたちが駆け抜けていく。戦火に荒れた跡も、虚無に蝕まれた歪みも、どこにもない。

 ここが新しい世界――開発者が最後に残してくれた、本当の「始まり」なのだと悟った。


「……終わったんだな、創真」

 

「ああ。勇者ルーカスも、魔王ラミアも、もういない」


 口にしてみて、胸の奥がふっと軽くなった気がした。ずっと演じさせられてきた役を降りたのだ。

 セレーネが空を仰ぐ。

 

「この世界は……とても温かい。優しい。きっと、彼が本当に望んだものなんだろうな」

 

「だな。けど――」


 俺は深呼吸し、拳を握りしめた。

 

「これはまだ始まりだ。開発者が残した大地、秘められた魔法、そしてここで生きる人や生き物たち……。俺たちはまだ、何も知らない」


 心臓が高鳴る。あの戦いの興奮とは違う。これは、冒険の予感だ。

 目の前に広がる未知の世界。マップも攻略サイトも存在しない。誰かが「正しい」と決めた物語でもない。俺たち自身が選び、歩き、刻んでいく物語。


「セレーネ」

 

 俺は彼女に向き直る。

 

「俺たちで確かめに行こう。この世界がどんな姿をしているのか。どんな未来を描けるのか」


 彼女は小さく肩を揺らし、笑った。

 

「創真が言うなら、きっと退屈はしない。……行こう、一緒に」


 村の鐘が鳴る。昼を告げる澄んだ音色が、大地に広がっていく。

 俺は空を見上げた。青はどこまでも続いている。その先に、きっと無数の可能性が待っている。


「これで物語は終わりなんかじゃない」

 

 胸の奥から言葉が溢れた。

 

「ここから始まるんだ! 誰かに決められた物語シナリオなんかじゃない、俺たちだけの物語ストーリーが!」


 セレーネが頷き、二人で歩き出す。

 足元の石畳は陽光を浴びて輝いていた。

 村の子どもたちの笑い声を背に受けながら、俺たちは境界の向こうへ。

 

 ――終わり。

 同時に、始まり。

 希望に満ちた旅路が、今ここから始まる。

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