第39話 全ての終焉

 崩れ落ちた浮島の中央で、あの戦いの余韻が渦を巻いていた。

 人型すら保てなくなった「かつて運営者だった塊」が、最後の憎悪を撒き散らしながら蠢いている。それはもはや知性を持つ存在ではなく、ただ世界を道連れに崩壊しようとする、暴走したプログラムの塊だった。

 無数の文字列が空間を漂い、意味を失った命令文が、断末魔の叫びのように響き渡る。


「創真、気をつけろ! あれはもう、対話できる相手ではない!」


 ラミアが最後の力を振り絞り、闇の障壁を展開して暴走するコードの奔流を食い止める。だが、彼女の障壁も徐々に侵食され、ひび割れていく。


「くっ……!」


 彼女の苦悶の表情を見て、俺は固く拳を握りしめた。

 俺が、やらなければ。俺たちで、終わらせるんだ。

 その決意に呼応するかのように、俺が握る竜殺しの剣が、蒼白い光を放ち始めた。


「これは……深淵で感じた、あの人の力……!」


 物理的な鋼の刃が、光の粒子へと分解されていく。そして再構築されたのは、純粋な情報の奔流――この世界の理そのものを斬り裂く**「データの剣」**だった。

 これこそが、開発者が俺に託した最後の切り札、「アンチ・アドミン・ツール」。


「ラミア、一瞬でいい! 奴の中心核への道を切り開いてくれ!」


「……承知した!」


 ラミアは俺の意図を即座に理解し、全魔力を解き放った。彼女の放った漆黒の奔流が、暴走するデータの塊に一瞬だけ、風穴を開ける。


「行け、創真!」


 俺はその刹那の道を駆け抜けた。

 そして、暴走するプログラムの中心核へと、光り輝く「データの剣」を突き立てる。


「届け……! これがあの人の、本当の想いだ!」


 剣を斬り裂くのではない。流し込むのだ。

 開発者が遺した本当の願い――「アンチ・アドミン・ツール」の全プログラムを、運営者の根幹へと直接、注入する。




 瞬間、世界から音が消えた。

 暴走していたコードの塊の動きが、ぴたりと止まる。その内側で、二つの巨大なプログラムが、世界の覇権を賭けて激突を始めた。


[SYSTEM_ALERT]: Administrator authority conflict detected.

[RUN]: Anomaly_Purge_Protocol.exe

[COUNTER]: REWRITE_RULE(Anomaly) = "DELETE";

//私は守る!あの方が作り上げた完璧な世界を!


[OVERRIDE]: Core_Program [ANTI_ADMIN_TOOL] executed.

// やあ、久しぶり。君は最高のファンだった。でも、少しだけ間違えてしまったようだね。

Access Level 0 > Access Level 1


 運営者のコードが、俺たちのコードを削除しようと牙を剥く。だが、それを上回る権限を持つ、優しくも絶対的な光が、運営者の歪んだプログラムを内側から浄化していく。

 そして――俺たちの脳裏に、開発者の最後のメッセージが、コメントアウトの形で流れ込んできた。


// よく、ここまで辿り着いてくれたね。


 その声は、運営者と俺たち、双方に向けられていた。


// 君は最高のファンだった。誰よりも私の作品を愛してくれていた。

// だが、なぜ分かってくれなかったんだ? 作品は、作者の手を離れて、プレイヤーの物語になってこそ完成するんだ。

// 完璧な芸術を保存することが、君の愛だったのかい?


 運営者のコードが、悲痛な叫びのように乱れる。彼が神と崇拝し、守ろうとしていたはずの存在からの、あまりに優しく、あまりに残酷な問いかけ。


// そして、もう一人のイレギュラー。いいや――最高のプレイヤー。

// 君のような人に出会うために、私はこの世界を創ったのかもしれない。

// ありがとう。私の世界を、こんなにも無茶苦茶に、最高に遊び尽くしてくれて。

 

 歪んだ矜持が、内側から浄化され、崩壊していく。

 暴走したコードの塊は、その禍々しい形を失い、最後に一瞬だけ、穏やかな光を放つ人型へと戻った。その輪郭は、満足げに微笑んでいるように見えた。


 そして、光の粒子となって、完全に消滅した。


 世界に、本当の静寂が戻る。

 運営者が消えた跡に、一本の黒いペンだけが、静かに浮かんでいた。

 俺は無意識にそれを拾い上げる。それはもう、世界を歪めるための道具ではなかった。開発者の想いを受け継いだ俺が、世界を修復するための、聖なる筆となっていた。


 俺は、隣で息を整えるラミアに向き直った。

 彼女の瞳は、まだ魔王の証である金色に輝き、その額には禍々しくも美しい角が残っている。〈魔王〉という、運営者が押し付けた呪いの烙印。


「ラミア」

 俺はペンを強く握りしめたまま、言葉を選ぶように口を開いた。

「お前のその姿は、最初から呪いだったんだ。物語シナリオに縛られた設定。……でも俺たちは、もうそんなものに従う必要はない」


俺は震える手で、空中に彼女のステータスウィンドウを思い描く。そして、ペン先でそのコードを書き換えていった。


// CHARACTER_DATA: Lamia_Azazel_Baphomet //

// ROLE: FINAL_BOSS

[DELETE]: ROLE;

// [CONSTRAINTS]

// LEVEL_CAP: 99 (FIXED)

// EXP_ACQUISITION: FALSE

[DELETE]: CONSTRAINTS;

// 君はラスボスじゃない。君もまた、この世界の主人公だったんだ。

// さようなら、魔王ラミア。

// そして、こんにちは。君だけの物語へ。


 ラミアの体を、優しい白い光が包み込んだ。角が崩れるように消え、瞳の金色は夜明けを思わせる淡い紺色へと変わっていく。その瞬間、彼女は驚きに目を見開いた。


「これは……」

「約束したろ? 必ず、お前を縛る鎖を断ち切るって」


 俺は笑った。勇者ルーカスとしてではなく、遊戯創真として。

 彼女は一瞬だけ言葉を失った後、ふっと柔らかく微笑んだ。その瞳からは、一筋の涙が静かにこぼれ落ちていた。


「ああ。ありがとう、創真」


 新しい名を告げるように、俺は続けた。


「お前の名前は……セレーネ。月の女神の名だ。俺にとってお前は、どんな闇の中でも道を照らしてくれる、たった一つの光だから」


 セレーネ――その響きを確かめるように彼女は小さく呟き、やがて誇らしげに頷いた。


「創真……。その名を、私は一生の誇りに思うだろう」


 二人の間に、これまでの旅路の全てが溶け込んだ、穏やかな時間が流れた。

 本当の戦いは、今、終わったのだ。

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