第36話 世界を書き換える力

 運営者は、ゆっくりとペンを掲げた。

 動きは優雅で静かだが、その一筆が空間そのものを震わせる。文字列が光の粒子となって広がり、やがて虚無の空を裂いた。


「世界は正しい物語シナリオへと戻る。――異物は排除する」


 宣告と同時に、光と闇と虚無が渦を巻く交響曲を奏で始めた。

 天からは白銀の閃光が幾万もの槍となって降り注ぎ、足元のコードの床からは黒い触手が牙のように突き上がる。さらに空間そのものが砕け、削除された過去のデータの残骸が、亡霊の軍勢となって殺到してきた。


 ――速い。

 避けるという次元ではない。これは、この世界の理そのものを凶器とした、全方位に拡散する絶望の弾幕。


「くっ!」

 剣を振るうが、斬撃が届くより先に光の槍が胸を貫いた。

 視界が赤く染まる。全身が弾け飛ぶような感覚――ああ、死んだな、と理解した。


 次の瞬間。


「バグの排除、完了……」

 冷ややかな声が響いた。運営者がそう呟いた瞬間、俺の存在は再び世界に滲み出る。


「……さて、それはどうかな」


 俺は立っていた。身体は無傷。さっきまで貫かれた胸にも一点の痛みもない。

 深淵で手に入れた理を超えた力――トライアンドエラー。死んでも経験値を失わない、俺だけの絶対的な切り札だ。


「なっ……!?」

 初めて、運営者が声を震わせた。

「ありえぬ……排除は完了したはずだ……!」


 俺は笑った。

「お前の物語シナリオじゃ、俺はここに存在しないんだろうな。だが残念だ。俺にとって、死はただのコンティニューだ」


 間髪入れずに次の攻撃が降り注ぐ。光の奔流が地平を焼き、闇の柱が牙のように迫る。

 俺は再び呑み込まれ、粉々に砕かれた。


 ――だがすぐに、俺は戻る。

 復活の瞬間、ほんのわずかな“無敵時間”がある。そのコンマ数秒を利用し、俺は数歩だけ前へと進む。これは、RTAだ。どれだけ絶望的なボスだろうと、パターンを読み、フレーム単位で動きを最適化すれば、必ず活路は開ける。


「ラミア、次の3撃目を回避したら、俺が切り込むまで0.5秒の隙ができる! そこに最大火力を叩き込め!」


「承知した! 貴様のそのふざけた戦い方、とことん付き合ってやろう!」


 三度目の死。四度目の復活。

 そのたびに俺の魂は、運営者の放つ攻撃の癖をデータベースに刻み込んでいく。光の槍は3フレームの予備動作の後に座標指定で着弾する。闇の触手は俺の移動先を予測しているが、そのアルゴリズムには偏りがある。

 何度死のうと関係ない。むしろ死んで復活するたび、この理不尽な弾幕は、俺にとって完璧に解析された“攻略可能な譜面”へと変わっていく。


 そして――。


「ここに俺が存在するのは、お前の物語シナリオ通りか?」


 リスポーンした瞬間、背後を取っていた。無敵時間を最大限に利用し、運営者の死角へ滑り込む。

 剣を振り抜くと同時に、ラミアの放った闇の奔流が、俺が作り出した死角の反対側から寸分違わず着弾した。


「ば、ばかな……!? こんな物語シナリオ……私は知らないぞ!!!」


 初めて、運営者が苦悶の声を上げた。俺の剣が奴の無貌を裂き、ラミアの魔法がその存在を揺るがす。確かにダメージは通る。この世界を書き換える存在にすら、俺たちの攻撃は届く。


「ルーカス……存分に暴れてみせよ!」


 ラミアの声に背中を押され、俺はさらに前へと踏み込んだ。

 運営者は後方へと飛び退き、空間に文字列を走らせて自らの傷を修復する。


「まだだ……! 私は、この世界そのものだ……!」


 怒号と共に、運営者はペンを振るった。今度は俺たちではなく、空間に浮かぶコードそのものを書き換える。すると、俺たちの周囲に白銀の鎧を纏った聖騎士たちが数十体、召喚された。


「な……!」

「聖騎士だと? こいつ、自分の手駒を……!」


「そうだ。この者たちには、対魔族、対イレギュラー用の特殊な耐性を与えた。貴様らの力はもう通じぬ!」


 運営者が勝ち誇ったように宣言した。だが、ラミアはその光景を見て、獰猛に笑った。


「ほう……面白い。ならば、その支配権、余が乗っ取ってやろう」


「何!?」


 ラミアが片手を掲げると、聖騎士たちを構成するプログラムコードに、彼女の闇の魔力が侵食していく。物語シナリオの枷から外れた彼女は、もはや世界の理そのものに干渉できるのだ。


「貴様らが仕えるべきは、この余だ!」


 ラミアの号令一下、聖騎士たちの兜の奥で、聖なる光が禍々しい紫紺の光へと変わった。彼らは一斉に踵を返し、自らの創造主である運営者へと剣を向けた。


「な……なぜだ! そんな設定、どこにも存在しない!」


 狼狽する運営者に、裏切りの剣閃が殺到する。彼が必死にペンを走らせて聖騎士たちを削除していく、その隙を俺は見逃さなかった。

 だが、運営者は最後の力を振り絞り、空間そのものを歪ませるほどの咆哮を上げた。


「許さぬ……許さぬぞ、バグどもめ!」


 それに応じ、ラミアは両手を掲げ、床一面に巨大な魔法陣を描き上げていた。


「ならば見せてやろう。貴様の“設定”にはない、余の本当の力を!」


 轟音と共に虚無の中心から、黒き怪物が這い出した。

 それは物理的な肉体を持つのではなく、周囲のコードを喰らい、空間そのものを“バグらせて”いく、不定形の混沌。その口からは、世界の断片を喰らうかのような絶叫が響き渡る。


「そんなもの……このゲームに存在していないはずだ!? どこにも実装されていないッ!」


 運営者が絶叫する。

 ラミアはその声を鼻で笑い、悠然と混沌の塊に手を置いた。


「余は魔王。魔を統べる者。貴様の矮小な理の外で、新たな理を創造することもまた容易い」


 混沌の怪物が振り下ろした腕が地を砕き、運営者が立つ足場そのものが無数のエラーコードとなって崩壊していく。


「ぐっ……これは……想定外……!」


 運営者の声に、初めて明確な恐怖が滲んでいた。

 剣を構え直した俺と、混沌を従えたラミア。二つの力が交わり、空間の支配者を、絶対的な終わりへと追い詰めていく。


「終わりが近いぞ、運営……!」


 俺の声は、確かな勝利の確信を帯びて響いた。

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