第32話 精霊の森
時間の滝を越えた俺たちは、さらに深淵の奥深くへと足を踏み入れた。
そこで俺たちを待っていたのは、息を呑むほどに幻想的な光景だった。
木々の葉の一枚一枚が、まるで夜空の星のように淡い光を放っている。柔らかな蒼や緑の光が、静かな風に揺れるたびにきらめき、森全体がまるで深海か、あるいは銀河の只中にいるかのような錯覚を覚えさせた。
やがて、その光の中から、無数の小さな存在が浮かび上がってきた。
透明な翅を持つ、光そのものが形になったかのような精霊たち。彼らは敵意を見せることなく、俺とラミアの周囲をくるくると舞い、まるでじゃれるように、そして導くように、森の奥へと飛んでいく。
「……精霊か。聖なる気配……鬱陶しい」
だが、その光景を見たラミアの金色の瞳が、細く鋭く光った。彼女の指先に、瞬時にして紫紺の魔力が集まり始める。
それは、彼女の体に染み付いた、魔王としての闘争本能。精霊は聖なる存在であり、魔王にとっては常に敵対する者。ならば、先に葬るのが道理。
「待て、ラミア!」
俺は慌てて彼女の腕を掴んだ。
「ここは奴らの領域じゃない。こいつらは敵じゃないはずだ」
「……余は魔王だ。精霊は常に余に刃を向けてきた存在。ならば先に滅するのが道理であろう」
「それは、
俺の言葉に、ラミアの瞳が揺れた。一瞬の沈黙の後、彼女は小さく息をつくと、指先の魔力をふっと霧散させた。
「……そうだったな」
俺は精霊たちに向き直り、警戒しながらも、ゆっくりと問いかけた。
「お前たちは……一体、何者なんだ?」
問いかけに、精霊たちが一斉に輝きを増す。彼らの声は、音となっては聞こえない。だが、無数の光の粒子が俺の意識の中に流れ込み、直接、文字列を形成した。
// User_Lucas detected. Welcome, Player.
// Anomaly... Verified. Key Holder... Verified.
「……!」
プログラミング言語のコメントアウト。ゲーマーなら、あるいは開発者なら誰もが知る、プログラムの覚書。
俺は驚愕に目を見開いた。これはただの精霊じゃない。この聖域を創った、亡き開発者の“思考の残滓”そのものだ。
「ラミア、こいつら……喋れるぞ。俺にしか分からない言葉でな」
「何? 」
ラミアが訝しげに眉をひそめる。俺は構わず、意識を集中して精霊たちに問い続けた。
(あなたはこの世界の創造主なのか? 何を伝えたくて、俺たちをここに導いたんだ?)
精霊たちは、俺の問いに、今度は「映像」で答えた。
俺の脳裏に、無数のプレイヤーたちが、それぞれ全く違う冒険をしている光景が流れ込んでくる。
ある者は正統派の勇者として剣を振るい、ある者はずる賢い盗賊として富を築く。ある者は世界の謎を解き明かす賢者となり、ある者は
そして――中には、魔王であるラミアと手を取り合い、共に世界を旅する者さえいた。
その光景と共に、温かい「意思」が流れ込んでくる。
「――紡げ。お前だけの
それは、リリース時に添えられた、開発者からプレイヤーへのメッセージだ。
次に、俺の目の前に、ゲーム黎明期の懐かしいバグの映像が映し出された。壁に埋まったまま滑るように移動する仲間。なぜか逆さまに空を飛ぶドラゴン。
そして、その光景を前にした、温かく、そしてどこか楽しげな「笑い声」が、森全体に優しく響き渡った。
俺は、雷に打たれたような衝撃と共に、全てを理解した。
開発者は、決められた
彼らがこの世界で自由に遊び、自分だけの
俺が必死に利用してきた「バグ」すらも、彼にとっては想定内の、むしろ歓迎すべき「自由」の証だったのだ。
だとすれば、今の世界を歪めている
精霊たちは、最後に一つの方向を指し示した。その先にあるものこそが「虚無の核」。
俺の意識に、最後のメッセージが流れ込む。
// The heart of this sanctuary.
// The final gift.
// Anti_Admin_Tool.
……アンチ・アドミン・ツール。
それは破壊すべきバグの塊ではなく、開発者が後継者の暴走を止めるために、この聖域に隠した最後の切り札。それこそが精霊の語る「虚無の核」の正体なのか。
俺が驚愕と興奮に震えている間、ラミアは静かに森の気配を感じ取っていた。
「……分からぬ。貴様に何が見えておるのかは分からぬが……」
彼女は、どこか戸惑ったように呟いた。
「この森には、温かい気配が満ちておる。……悲しいほどに、優しい魂だ」
彼女には、開発者の遺したコードではなく、その想いが伝わっているのかもしれない。
俺はそんなラミアに向き直り、決意を込めて告げた。
「ラミア。俺、ようやくわかったよ。俺が本当にやるべきことが」
彼女の金色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
「――あの運営から、この世界を取り戻す。偉大な開発者が、俺たちプレイヤーに託したこの宝箱を、俺たちの手で開けるんだ」
俺の言葉に、精霊たちの光が、まるで肯定するかのように、祝福するように、強く輝いた。
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