第27話 魔王城

 帝国での死闘を振り切り、俺たちは北の荒野を突き進んでいた。

 人の住む土地に、もはや俺たちの安息の地はない。王国も、帝国も、そして教会すらも……。

 この世界の主要な勢力全てが手を取り合い、俺とラミアを「異物」として消し去ろうとしている。どこへ行こうと人の目に晒されれば、すぐに追手が迫るだろう。


 だったら、人のいない場所に行くしかない。


 行き着いた答えは、一つだった。


「魔王城に戻るしかない」


 俺が呟くと、隣を歩くラミアがゆるりと頷いた。


「うむ。余が本来、座していた場所へ。そこならば、人間どもの手は容易く届くまい」


 かつてゲームをプレイしていた頃、魔王城は終盤の舞台であり、ラスボスの待つ決戦の場だった。プレイヤーにとっては胸躍るクライマックスの場所。

 

 だが、今の俺にとっては、逃げ場のない袋小路かもしれない。

 それでも、二人で生き延びるためには、もうそこへ行くしかなかった。


 


 ◇


 


 魔王城に近づくにつれ、空気は重く淀み、空は常に分厚い黒雲に覆われていった。

 廃墟と化した村、焼け焦げた大地。人の姿はなく、代わりに異形の魔物がそこかしこを跋扈している。牙を剥き、血の臭いを纏った獣ども。


 だが、その様子はどこかおかしかった。


「……妙だ」

 

 ラミアの眉が険しく寄る。

 

「魔物どもが余を認識しておらぬ……」


 その直後だった。黒い影が地を割って飛び出し、咆哮と共に俺たちへ襲いかかった。血走った眼に狂気を宿した巨大なオーガ。かつての魔王軍の兵士が持つはずの、主への畏敬の色は微塵もない。


「ラミア! 」

 

 俺が剣を振り上げるより早く、彼女は忌々しげに舌打ちをした。


「……愚かな。自らが仕えるべき主を見失ったか」


 彼女が片手を振るうと、黒雷がオーガの巨体を貫き、その体はうめき声をあげる間もなく塵と化した。

 だが、休む間もなく次の魔物が押し寄せてくる。骸骨の軍勢、羽ばたくハーピー、毒を吐く大蛇。

 魔王の居城を守るはずの魔物たちが、今はただの狂気に駆られた獣となり、かつての主に牙を剥いていた。


「くそっ……! なんでこんなことに!」


「余とて分からぬ! だが一つ言えるのは、この地の理そのものが、何者かの意思によって書き換えられておるということだ!」


 ラミアの声には、焦りよりも深い怒りがこもっていた。自らの領域を、自らの民を汚されたことへの、魔王としての怒りだ。

 剣を振るう腕が痺れる。だが止まれば即死だ。ラミアの魔力が次々と放たれ、地を焼き払う。俺もその隙を逃さず斬り込み、必死に突破口を探った。


 息を切らしながら、ようやく辿り着いたのは、見覚えのある城の大広間だった。

 そこには大理石の柱が並び、天井からはシャンデリアが垂れ下がっている。

 そして最奥に聳える荘厳な玉座。


 だが、その玉座に座るべきラミアの姿はなく、代わりに、そこにいたのは一人の少女だった。


 背中まで流れる美しい白銀の髪。人形のように整った顔立ちに、ルビーのように赤い瞳。

 小柄で、華奢な体つき。だが俺は、彼女を見た瞬間、息を呑んだ。

 ――ラミアに、似ている。

 血の繋がりを疑うほどに、その面差しには、幼い頃の彼女の面影があった。


「誰だ……?」


 俺の問いに、少女は玉座から静かに立ち上がった。

 細い指先を胸に当て、軽く一礼する。その仕草は、気品に満ちていた。


「わたしの名はイリア。……


 その言葉は、ラミアに向けられていた。


 ラミアの表情が一瞬だけ固まる。普段、神官や皇帝を前にしても微動だにしなかった彼女が、だ。


「……何を言う、小娘。余に同じものなど存在せぬ」


 強がるように言い放つが、その声には微かな揺らぎがあった。


 イリアは歩み寄り、ラミアをじっと見上げる。


「本当は、心のどこかで覚えているはずです。誰かに魔王と定められる前の、自分自身のことを」


「黙れ」


「まだ人間であった頃の記憶。無力で、何も持たなかった頃の貴女。……わたしは、その残滓」


 俺は思わず息を呑んだ。

 ラミアに、人間としての過去がある――? そんなこと、一度も考えたことがなかった。

 ゲームでは、彼女は最初から魔王ラスボスとして君臨していた。それが絶対の物語シナリオだった。

 

 だが今、この世界で俺と共に旅をしてきた彼女は、確かに人間らしい感情を持っていた。笑いもすれば、迷いもする。

 それを思えば、このイリアの言葉は、荒唐無稽な妄言と片づけることはできなかった。


 ラミアは唇を噛みしめ、低く唸る。


「貴様は一体何者だ……。余を試すつもりか。あるいは、神々の狗か」


「いいえ」

 

 イリアは小さく首を振り、悲しげに微笑んだ。

 

「わたしはただ、空席となった“玉座”を埋めるために、新しく生み出された器にすぎません」


 その言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。

 玉座を埋めるために生まれた――つまり、ラミアが俺と旅を共にしたことで魔王の座が空席になり、その空白を埋める代用品として、この少女が作られたというのか。

 

 そしてその姿が、ラミアの幼い頃を模したものである理由は――。


「……やめろ」


 ラミアの声が、震えていた。


「余は……魔王だ。生まれながらにして、そう定められていた。違うはずがない……!」


「違います」

 

 イリアがその手を伸ばす。

 

「“そう設定された”だけ。だから、今の貴女はもう魔王ではない。ただの……旅をする一人の人間です」


 沈黙が広間を満たした。

 俺は何も言えずに立ち尽くす。

 ラミアの肩が小さく震えているのを、ただ見ていることしかできなかった。



 

 その時だった。

 外から轟音が響き、広間の巨大な扉が爆ぜるように開いた。

 土煙の向こうに、整然とした行軍の影。鎧を纏った騎士、魔法を構える賢者、神聖な光を纏う僧侶。

 ――人間の連合軍だ。


 そして、その先頭に立つ男を見て、俺は凍りついた。

 光を纏う聖剣を掲げるその姿。勇敢な顔立ち。

 それは俺自身に瓜二つだった。


「……ルーカス? いや、アレンなのか……?」


 思わず声に出していた。だがラミアが横で首を振る。


「いや。あれは新たな物語シナリオの勇者……。あの神殿に並ぶ、無数の複製品の一体に過ぎんだろう」


 連合軍の雄叫びが広間を揺るがす。

 剣と魔法の光がこちらへ殺到しようとしたその瞬間、イリアが俺たちの前に立ちはだかった。


「ここはまだ、終わりの場所ではありません。行きなさい」


 彼女の体から黒い霧が噴き出し、人間たちの進軍を遮る巨大な壁となる。

 その中で、イリアが振り返り、俺に微笑んだ。


「忘れられし霊峰を目指すのです。そこに、この物語ストーリーの鍵がある」


 そして、彼女の姿は闇に呑まれていく。

 俺とラミアは顔を見合わせ、頷き合った。

 今は戦う時ではない。逃げなければ。


 玉座の広間を背にし、俺たちは新たな運命の場所――「忘れられし霊峰」へと走り出した。

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