第25話 魔王ラミアの過去

 帝国へ向かう街道は、果てしなく続く荒野の中に一本の黒い線のように延びていた。

 昼を過ぎても空はどんよりと曇り、乾いた風が吹き抜けるだけの道を、俺とラミアは並んで歩いていた。


 数日前の戦いが、まだ体の芯に重く残っている。王都の聖騎士団との死闘――俺の浅はかな物語シナリオ知識はふざけたチート設定の前に砕け散り、俺たちは為す術なく敗走した。

 あの光景は、いま思い返しても胃が焼けるように重い。

 それでも、進まなければならない。今は、帝国へ向かうしかないのだから。


 ふと隣を見ると、ラミアはいつものように堂々と歩いていた。漆黒の外套の裾が風に揺れ、その金色の瞳は、ただ真っ直ぐに前だけを見据えている。だが、その横顔には、ほんのわずかに影が差しているように思えた。


「……どうした?」


 俺がそう尋ねると、ラミアは少しだけ目を細めた。


「何ゆえ、そう問う」


「いや……いつもより、元気がない気がして」


 ラミアはふっと息を漏らした。笑ったのか、呆れたのか、判別がつかない声音だった。


「余は魔王だぞ。元気があるとかないとか、子供の体調ではあるまい」


 そう言いながらも、彼女はしばらく黙り、やがてふらりと歩みを緩めた。

 俺も足を止める。


 ラミアは眼下の荒れ果てた大地を見下ろすようにして、ぽつりと呟いた。


「……貴様は、余がなぜ勇者に敵視されるのか、知りたくはないか」


 心臓が、ドクリと跳ねた。

 ずっと心のどこかで疑問に思っていたことだった。だが、魔王として生まれ、魔王として討たれる――ゲームの中ではそれが絶対のルールで、そこに理由を挟む余地などなかった。


「ラミア……お前は、最初から魔王だったんじゃないのか?」


 彼女の金の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。その奥に、深い迷いと、どこか痛みの色が揺れていた。


「余が“魔王”として生まれたのではない。……誰かの手によって、そう“設定”されたのだ」


 俺は思わず息を呑んだ。


「記憶の奥に、影がある。……|とでも呼ぶべき存在の影がな」


「創造主……」


「そうだ。余が魔王であることは、最初から決まっていた。世界の理であるかのように刷り込まれた宿命。しかし……誰がそれを決めたのか、なぜ余だったのか、それは余自身にも分からぬ」


 ラミアの声は重く、遠い過去を見つめるようだった。

 俺の知っているゲーム〈ラミアズ・テンペスト〉では、彼女は物語シナリオの開始時点から魔王として君臨し、プレイヤーが倒すべき絶対悪でしかなかった。

 

 だが――今目の前にいる彼女は、ゲームのキャラクターではない。俺と同じ、誰かに理不尽な運命を押し付けられた、一人の……。


(“設定”された……? まるで、あの墓場にいた無数の俺たちと同じじゃないか……)


 脳裏に、あの神殿の光景が焼き付いて離れない。失敗作として打ち捨てられた、無数の「勇者ルーカス」。彼らもまた、誰かの都合で“勇者”として設定され、そして消されていった。

 だとしたら、彼女も……?


 俺は、何度も、何度も……このゲームで彼女を殺した。

 RTAのため、タイムを縮めるため、ただの障害物として、ただの経験値として……。

 あの時、モニターの向こうで倒れていった彼女も、同じように誰かに運命を押し付けられ、苦しんでいただけだったというのか……?


 罪悪感が、津波のように胸に押し寄せてきた。


 ラミアは、そんな俺の葛藤に気づかぬまま、再び歩き出す。そのか細い背中を追いながら、俺は耳を澄ませた。


「昔の余なら、魔物を放ち、混沌を楽しむことに酔っていただろう。だが……」

 

 彼女は少しだけ振り返り、俺を見つめた。

 

「先の戦い……貴様に頼まれ、魔物を召喚したとき。余は……心の底から、そんなことをしたくないと思ってしまったのだ」


 俺は足を止めた。胸が締め付けられるようだった。

 魔王ラミアが、そんな風に思うはずがない。だが確かに、あの時の彼女の表情は、どこか苦しげに歪んでいた。


「ラミア……ごめん。俺が、無理を言ったんだ」


 素直にそう口にすると、ラミアはわずかに目を見開き、次に寂しそうに小さく笑った。


「謝罪か。魔王に謝るとは、勇者らしくもないな」


「俺は勇者じゃない。ただの、ルーカスだ」


 俺がそう答えると、ラミアはしばし沈黙し、やがて再び歩き出した。


「……余は、気づき始めている。余の生は、魔王として勇者に討たれるためにあるのではないか、とな。……だが、貴様と歩むこの旅は、誰かに定められた物語シナリオなどではない。それだけは、確かだ」


 その言葉に、俺の胸の奥が震えた。

 

 そうだ。俺は日本で、ただの高校生だった。ゲームのRTAに夢中で、無数にルーカスをリセットし、魔王ラミアを何度も倒した。

 

 だが今、俺の隣にいる彼女は、もうゲームの中のボスではなかった。

 俺が倒すべき魔王ラスボスじゃない。俺と同じように、この理不尽な物語シナリオに囚われた、一人の女性なんだ。


 曇天の下、果てしない荒野を歩く二人。

 彼女の外套が風に揺れる音と、俺の靴音が、交互に響く。


 その事実は、俺の胸に炎ではなく、静かで、しかしずしりと重い覚悟を宿した。

 自分のためじゃない。

 彼女のために、俺は進まなければならない。


 たとえ、その先に何が待っていようとも。

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