第23話 神の代行者

 高く積み上げられた純白の柱が、まるで天を支えるかのようにどこまでも聳えていた。

 荘厳な大聖堂の奥、俺とラミアは神官たちに導かれ、無数の信者の視線に晒されながら進んでいく。濃密な香の煙が漂い、胸の奥にまで重苦しく染み込んでくる。

 

 整然と並ぶ神官たちは、皆、ゲームで見たのと同じ清廉な白い法衣を纏っていた。

 だが、その口から途切れることなく唱えられる祈りの言葉は、もはや俺を讃えるものではなく、何かを断罪するかのような冷たい響きを帯びていた。


 その中央の壇上に、一人の老人が現れた。

 豪奢な金糸を織り込んだ法衣に、宝石をちりばめた冠。まるで神そのものの代行者とでも言わんばかりの威厳を纏っている。

 

 ――教皇ベネディクト。


 彼は静かに両手を広げ、俺たちを見下ろした。


「勇者ルーカス……そして、その傍らに侍る魔王ラミアよ。よくぞ参った、我らが神殿へ」


 低く響く声が天井に反響し、心臓を鷲掴みにされるような圧迫感を覚えた。俺はゴクリと喉を鳴らす。

 完全に心を折られた俺は、神託が示す「救い」に、たとえそれが罠だとしても従うしかなかった。


「……神託に従い、参りました。俺は……どうすれば、この歪んだ物語シナリオを正せるのでしょうか?」


 俺は、まるで許しを乞う罪人のように、必死に声を張り上げた。

 だが、ベネディクトの目は慈悲ではなく、冷徹な光を帯びていた。


「――歪んだ物語シナリオ、か。いや、ルーカスよ。この世界は何ひとつ歪んではおらぬ。すべては神が定めし筋書き、その通りに進んでおる」


「筋書き……?」


「そうだ」

 

 彼は手に持った杖を床に突き立て、堂々と宣言する。

 

「この世界は、神が紡ぐ物語シナリオ。そこに余計な異物など、断じて存在してはならぬ。お前こそ排除されるべき異物なのだ、勇者ルーカス」


 堂内に、緊張したざわめきが走った。白い神官たちの目が、一斉に俺へと突き刺さる。


「待ってくれ! 神は俺に語ったんだ! この世界はおかしいと、正さねばならないと!」


「それは誤解だ」

 

 ベネディクトは淡々と首を振る。

 

「神託の真意は一つ――異物を削除し、物語シナリオを守ること。つまり、貴様をこの世界から|することだ」


 雷鳴のような宣告だった。足元が崩れ落ちていくような感覚。俺は言葉を失い、喉がひりつく。


「バグのような存在は、物語シナリオを汚す。神はその清浄を保たねばならぬ。ゆえに我ら神の代行者は、貴様をここで排除する」


 ――バグ。

 その言葉を聞いた瞬間、脳裏に無数の記憶が閃いた。画面の前で失敗するたびに、何度も何度もリセットしてきた自分自身の姿。勇者ルーカスを消しては再び立ち上げ、最速を求めて走らせた、あの感覚。

 

(俺は……俺は、ただのバグなのか? 消されるべき、ノイズにすぎないのか?)


 隣のラミアが、俺の袖をぎゅっと掴んだ。


「ルーカス……」


 その声で、俺はかろうじて現実に引き戻された。


「神官たちよ」

 

 ベネディクトが杖を振り下ろす。

 

「異物を、排除せよ」


 その号令一下、それまで祈りを捧げていた白い法衣の神官たちが、一斉に無感情な瞳でこちらを向いた。その中には、あの荒野で戦った、漆黒の神官の姿も混じっている。


「くそっ……!」


 俺は剣を抜くが、逃げ場はない。数十人の神官が、結界のように俺たちを包囲していた。

 だが、絶望的な状況下で、俺の脳はRTA走者としての思考を始めていた。

 この神殿――そうだ、こんな巨大な教会、俺の知る〈ラミアズ・テンペスト〉のどこにも存在していなかった。少なくとも、俺がプレイしていたバージョンには。


 ということは……。


 俺は急速に頭を回転させる。初期のマップでよく見られた、壁のすり抜け。判定の甘い部分を利用して、一瞬だけキャラクターが空間を逸脱する、あのバグ技。

 もし、この神殿が後付けで無理やり実装されたものなら……。いや、逆に後付けだからこそ、世界の理との間に、実装の綻びが残っているはずだ。


「ラミア、俺から離れるな!」


 俺は彼女の手を強く握りしめた。そして視線を走らせ――見つけた。祭壇の柱の影、壁と床が微妙に重なっている、不自然なポリゴンの継ぎ目。

 心臓が爆発しそうなほど高鳴る。これが、唯一の突破口だ。


「行くぞ!」


 俺はラミアを引き寄せ、一気にその継ぎ目へと飛び込んだ。

 瞬間、視界が歪み、身体がぐにゃりと折り曲げられる感覚に襲われる。地面の感触が消え、ただ空虚な虚無を滑り落ちるように進んでいく。

 背後で神官たちの怒号が響いたが、もう振り返る余裕はなかった。


 次に目を開いたとき、俺たちは神殿の外、冷たい夜風の吹き荒ぶ石畳の路地裏に転がり出ていた。

 肺が焼けるほど息を吸い込み、思わず地面に手をつく。ラミアも同じように、荒い息を繰り返していた。


「……ルーカス、今のは……」


「ああ」

 

 俺は汗に濡れた額を拭った。

 

「ただの……バグ技だ」


 自嘲気味に笑うが、その笑いはすぐに消える。

 教皇の言葉が、脳に突き刺さって離れない。


 ――

 俺は、本当にただのバグなのか? この世界に存在するべきではない、ただのノイズなのか?

 バグ技を使って逃げ延びたこの事実こそが、何よりの証拠だというのか。


 答えはまだ見えない。だが、神も教皇も、俺を明確な敵とみなし、本気で排除しようとしている。その事実だけが、冷たい現実として横たわっていた。


 息を整え、俺は立ち上がる。ラミアもまた、俺を信じるように静かに頷いた。

 逃げられたのは、一時的なものに過ぎない。必ずまた、あの漆黒の神官が追ってくるだろう。


 それでも……今は、進むしかない。

 ただ、生き延びるために。

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