第16話 “勇者”の死
重い雲が垂れ込め、風が街道の埃を巻き上げていた。
疫病の村でなすすべもなかった俺たちは、ただ当てもなく北の峠へと向かっていた。俺の知識はもう役に立たない。どこへ行けば正規の
峠の石橋の手前で、奇妙な人だかりがうごめいていた。
ずらりと並んだ騎士の鎧がきらめき、王国の紋章が描かれた旗がはためいている。道行く人々は道の両脇にひざまずき、祈りの歌を口ずさみながら、白い花を投げていた。
「どうしてあいつらが、こんなところに……?」
行列の先頭に立つのは、聖勇者アレン。その左右には、盾を構える騎士セリスと、竪琴を抱えた吟遊詩人カナリア。先日戦ったばかりのはずなのに、彼らの体には傷一つなく、まるで凱旋式典のように神々しいまでに整っていた。
「……なんなんだ、この儀式めいた演出は。こんなの知らないぞ……」
俺が呟くと、ラミアは金色の瞳でその行列を測るように見やった。
「……解せぬな。昨日戦ったばかりの者たちが、傷一つなく行進しておる。不気味だ……」
アレンは橋の中央で足を止め、高々と聖剣を掲げる。人々がそれに合わせて熱狂的な歓声を上げ、白い花が空に舞った――その瞬間、世界の音が、ぴたりと止まった。
蝉の声も、旗のはためきも、風のざわめきすら、見えない指で一時停止ボタンを押されたかのように、完全に途絶える。
次の瞬間、空が裂けた。
黒い矢が雨のように降り注ぎ、聖旗を串刺しにする。石橋の欄干が砕け、祈りの輪は機械的な悲鳴に変わった。
アレンが聖剣をひらめかせ、数十本の矢を切り払う。セリスが盾で残りを受け、カナリアが防御の旋律を紡ぐ。
完璧な連携――のはずだった。
一本の矢が、まるで吸い込まれるように、寸分違わずカナリアの喉を貫いた。
歌声がぷつりと切れ、血が白衣を濡らす。彼女は驚愕に目を見開き、悲鳴もなく崩れ落ちた。
アレンが振り返る。その顔に浮かぶのは、先日と同じ混乱と葛藤――そして、間に合わない。
空に走る裂け目の向こうから、まるで
「ラミア――」
「分かっておる! だが……!」
俺が駆け出そうとした瞬間、足が動かなくなった。膝から下が見えない樹脂で固められたかのように、地面に縫い付けられる。
(なんだこれ!? 体が……!)
視界の端で「イベント進行中」という、存在しないはずのシステムメッセージが点滅する錯覚。コントローラーを奪われたプレイヤー。これは――避けることのできない、強制ムービーシーンだ。
「ふざけるな!」
喉が裂けるほど叫ぶが、俺の声は周囲の歓声にかき消される。いや、歓声ではない。それは同じ抑揚を二度、三度と繰り返す、壊れた音声データのような音の塊だった。
セリスが前へ出る。盾を構え、陣形を立て直す――その瞬間、彼女の足元の石畳だけが、あまりに綺麗に崩落し、その体は空へと放り出された。躊躇も、踏ん張りも、足掻きもなく、台本に書かれた通りの角度と速度で水面に消える。
「セリス!」
アレンの叫びと同時に、空の矢雨が一本に収束し、残った黒矢が真っ直ぐ彼の胸を射抜いた。聖剣の光が一瞬だけ強く輝き、次いで音もなく消える。
アレンは膝をつき、口元に血を滲ませ、俺のほうを見た。
俺と瓜二つの顔が、俺を見ていた。痛みも恐怖も越えた、どうしようもない無念と、言葉にならない問いがその目に宿っていた。
「……君、は……」
唇が震え、音にならない音が零れる。俺は首を振ることしかできなかった。何も言えない。何も届かない。この見えない壁に隔てられた、あまりに遠い距離に、俺は立っていた。
ラミアが一歩前に出ようとして、奥歯を噛みしめる。
「くっ……! 動けぬ! 見えざる何かが、余の魔力すら押さえつけておる!」
彼女の指先から走った闇が、橋の手前で火花のように弾けて消える。まるで見えない幕に吸い込まれたかのように。
アレンは崩れ落ち、カナリアは血に沈み、セリスはもう浮かび上がらない。
その瞬間、群衆の顔が一斉に悲嘆に歪む――が、その歪みはまるで型紙で抜いたように均一だった。老女が同じ台詞を二回繰り返し、子供が同じ場所で同じ母親の足にしがみつく。
泣き声の合間に、誰かの笑い声が混じる。間違って再生された効果音のように。
「勇者様が……おお、勇者様が……」
彼らは口々に祈りを捧げ、次の瞬間、まるでスイッチが入ったかのように整然と立ち上がり、道を空けた。神官らしき者たちが現れ、三つの体に真っ白な布をかける。布は真新しく、折り目がついたまま。血は染みず、不気味なまでに純白のままだ。
観客の視線は、まるで演出家に誘導されるように、するすると別の方向へと移っていく。
ふっと、体の拘束が解けた。俺はもつれる足で駆け寄り、アレンにかけられた白布をはぐ。冷たい。重い。だが、それは現実の死体の重みとはどこか違う。まるで舞台の小道具を抱えているような、妙な軽さと硬さがあった。
「……生きていたはずの人間が、たった今、台本通りかのように死んだ……」
喉の奥が焼けるようだった。怒りなのか、恐怖なのか、自分でも判別がつかない。
「ルーカス」
ラミアが俺の肩に手を置く。ひやりとした掌が、熱に浮かされる頭をわずかに冷やした。
「見るがよい。周りを」
言われて顔を上げる。人々はもう、何事もなかったかのように商いの話に戻り、子供は石蹴りを始め、露天商は値札を書き換えている。たった今、勇者が死んだというのに。
悲嘆も、祈りも、正しくそこにあった――はずなのに、次の瞬間、全てがリセットされたかのように消えている。
「……人形劇みたいだ」
「人形より質が悪い。自らが人形であることに気づかぬ、操り人形だからな」
ラミアは吐き捨てるように言うと、白布の遺体を見下ろした。
「……おかしい。死体から“魂が抜け落ちた”感覚がしない。まるで……元から中身のない人形のようだ」
彼女の言葉に、俺はラミアの手を借りて、かろうじて立ち上がる。
視界の端で、白布に包まれた三つの体が、神殿騎士に機械的に運ばれていく。
頭の中で、無数の問いが渦巻いていた。
俺はゲームの世界にいるのか? それとも、ゲームに似せて作られた異世界なのか? 目の前で起きたデモムービーのような光景は、バグか、それとも――。
もう、分からない。何が正しくて、何が間違っているのか。
俺の知っていた
誰か、教えてくれ。
俺は、次にどこへ向かえばいいんだ……?
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