第15話 異なるルート分岐

「と、とにかく今は進もう……」


 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。

 胸の奥には、まだアレンの最後の声が棘のように突き刺さっている。聖勇者を名乗った“俺の顔をした男”。彼の憎しみと困惑が入り混じった眼差しが、心を揺さぶったまま離れない。

 本来仲間になるはずだったセリスやカナリアまでもが、彼の側にいたという事実が、鉛のように胸を重くしていた。


(俺は、本当に偽物なのか……?)


 その問いから逃れるように、俺は足を速めた。立ち止まっていたら、何も変わらない。とにかくゲームの進行度を上げれば、また元の展開に戻るかもしれない。

 ……そんな脆い希望に、今はすがるしかなかった。


 俺はラミアと共に次の街を目指した。

 草原を抜け、森を越え、街道に沿って進む。俺の記憶では、このあたりで「盗賊団の襲撃イベント」が発生するはずだった。プレイヤーにとっては中盤の盛り上げどころであり、仲間の結束を描く重要なイベントだったのに。


 しかし、いくら進んでも道端に潜む盗賊たちの影はどこにもなかった。

 あるのは、不気味なほどの静けさと、街道の先に見える、不自然なほどに固く閉ざされた村の門だけだった。


 嫌な予感がした。だが、引き返すわけにもいかない。俺たちは警戒しながら村の中へと入った。

 ――そして、息を呑んだ。


 そこは、地獄だった。

 村中に澱んだ悪臭が立ち込め、全ての家屋から苦悶のうめき声が漏れてくる。道端には人々が高熱に浮かされて倒れ伏し、その体には紫色の斑点が浮かんでいた。幼い子供すら、痩せこけて激しく咳き込みながら、ぐったりとした母親の手を握っている。


「……疫病、か」


 思わず呟いた。こんなイベント、俺の知る〈ラミアズ・テンペスト〉には存在しない。頭の中のデータベースをどれだけ検索しても、一致する情報はどこにもなかった。

 なのに目の前では、確かに人々がなすすべもなく死にかけている。


 ラミアが村の様子を一瞥し、すっと目を細めた。彼女の金色の瞳が、病に苦しむ者たちを憐れむのではなく、何かを分析するように見下ろしている。


「……この瘴気……ただの病ではないな。余の力を削ぐために練られた、の類だ。何者かが、余の性質を知った上でこの罠を仕掛けたぞ」


 俺は背筋が凍るのを感じた。術式による疫病……そんな物語シナリオは、ゲームにはなかった。だが、魔王であるラミアの言葉には、絶対的な確信があった。


「どういうことだ……?」


「貴様も知っておるだろう。余の弱点は状態異常を重ねて弱体化させることだったと」

 

 ――正規攻略法。そうだ。毒、呪い、病……そうやって少しずつ力を奪わねば、彼女の圧倒的な魔力と耐性を削り切ることはできない。


「この疫病イベントは、明らかに余を意識して作られておる。まるで、誰かが『魔王を討つための布石』を、この物語シナリオにわざわざ組み込んだかのようではないか」


 ラミアの言葉が、俺の頭を殴りつけた。

 そうだ。これはただの物語シナリオの改変じゃない。俺たちの行動が、敵に読まれている。俺とラミアの存在を前提として、この世界の物語シナリオがリアルタイムで書き換えられているんだ。


「……俺が知っているゲームとは、違う。これはもう……」


 口からこぼれ落ちた言葉に、自分で震えた。

 これは〈ラミアズ・テンペスト〉じゃない。バグとか仕様変更とか、そんな軽いものじゃない。もっと根本的に、俺たちの存在そのものが、この世界の物語シナリオからとして認識されている。


 誰かの手で新しい物語シナリオが書かれ、俺たちはその筋書きの上で、なすすべもなく踊らされているだけなのかもしれない。


 目の前で苦しむ人々。彼らも、俺たちを追い詰めるための、ただの駒なのか。

 そう思った瞬間、吐き気を催すほどの怒りと、それ以上に深い無力感が腹の底からこみ上げてきた。


(どうすればいいんだ……?)


 思わず拳を握り締める。だが、その拳に力は入らなかった。

 物語シナリオを知っているという、俺の唯一の優位性はもうない。それどころか、敵はこちらの全てを知った上で、最適な罠を用意してくる。

 ラミアの力ですら、こうして対策されている。

 俺にはもう、打つ手がない。


 俺が物語シナリオから逸脱したせいで、この村の人々は苦しんでいるのか? 俺がアレンから勇者の座を奪ったせいで、こんな悲劇が起きているのか?


(俺は……何一つ、できやしないのか……?)


 ラミアが、そんな俺の葛藤を見透かしたように静かに隣に立った。彼女は何も言わず、ただ沈みゆく太陽に照らされた村を、俺と同じように見つめているだけだった。


 もう、ここは俺の知っているゲームじゃない。

 そして、今の俺は、この理不尽な現実の前で、あまりにも無力だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る