第13話 アーカイブ

 鍛冶屋ギルバートの存在が、歴史ごと消されていた。

 あの衝撃的な事実を前に、俺の足は竦んでいた。俺の唯一の武器であったはずの「ゲーム知識」という道標が、目の前で砕け散ったのだ。

 それでも、立ち止まるわけにはいかない。ラミアの言葉を胸に、俺は最後の望みを託して王都へと戻った。


 不審なルート分岐と、消されたNPC。この謎を解明するため、俺は〈ラミアズ・テンペスト〉内でもデータアーカイブが閲覧できる王立図書館で調査をすることにした。


 王立図書館は、荘厳という言葉が陳腐に聞こえるほど、圧倒的なスケールで俺たちを迎えた。

 吹き抜けの天井はドーム状になっており、高い位置にあるステンドグラスから差し込む光が、空気中を舞う無数の埃をキラキラと照らしている。壁という壁は、床から天井までびっしりと書架で埋め尽くされ、まるで本の森に迷い込んだかのようだった。


「……すごいな」


 古紙とインクの匂いが混じり合った独特の空気に、思わず息を呑む。これだけの情報量だ。必ず何か、この世界の歪みを説明できる手がかりがあるはずだ。


「さて、どこから調べるか……」


 RTA走者としての経験が、こういう場面で役に立つ。ゲーム内で重要な情報やキーアイテムが隠されているのは、決まって「国の成り立ち」「伝説の勇者」「魔王の系譜」といった、物語シナリオの根幹に関わる書物だ。俺は記憶を頼りに、歴史書のコーナーへと足を向けた。

 

 ラミアはといえば、特に興味もなさそうにしていたが、やがて退屈しのぎにか古代魔術に関する書架から分厚い本を抜き出し、パラパラとページをめくり始めた。まあ、静かにしていてくれるならそれでいい。


 俺はまず、この国の建国史に関する文献を数冊、テーブルに積み上げた。同じ歴史を記した書物だ。内容は当然、一致するはず。

 ――だが。


「……なんだ、これ」


 ページを比較していた俺は、すぐに異変に気づいた。

 Aの文献には『建国王アークライトは、聖剣を手に竜を討伐し、王国を建国した』とある。だが、Bの文献では『初代国王アーサーが、神々の託宣を受け、民を導き王国を建国した』となっている。同じ年の出来事のはずなのに、王の名前から功績まで、全く違う。


「まるで、バージョン違いの攻略本を読んでるみたいだ……」


 ありえない。歴史の記録が、こんなにも曖昧でいいはずがない。俺は焦りを覚えながら、別の書物を手に取った。次は、ラミアに関する記述だ。

 そして、俺は決定的な矛盾を発見してしまう。


 『王国歴320年、突如として魔王ラミアが出現。世界は闇に包まれた』

 『王国歴574年、大地の裂け目より魔王ラミアが出現。勇者の血筋が目覚める』


 出現したとされる年代が、250年以上も食い違っている。


「ガバガバすぎるだろ、この世界の歴史……!」


 もはやミスや解釈の違いといったレベルではない。誰かが後から、都合のいいように歴史を上書きしている。その可能性が、限りなく濃厚になってきた。


 俺が歴史書の矛盾に頭を悩ませていると、ラミアが読んでいた魔導書からふと顔を上げた。


「ルーカス。この書物……妙な匂いがする」


「匂い? 古い紙の匂いだろ」


「それとは違う。誰かの強引な“意思”が、この紙に無理やり染み付いておるような……不快な匂いだ」


 彼女の言う「意思の匂い」とやらは、俺にはわからなかった。しかし、視界の端で一瞬、彼女が指さす魔導書の文字が、まるで虫のように蠢いて見えた気がした。


(本が意思を持って……? いや、まさかな……)


 ◇


 俺たちが世界の歪みの核心に触れ始めた、まさにその時だった。


「何か、お探しでしょうか」


 背後から、あまりに静かな声がかかった。俺はビクリと肩を震わせ、振り返る。

 そこに立っていたのは、物静かな印象を与える、司書らしき男だった。神官が着るような清潔なローブを身にまとい、穏やかな笑みを浮かべている。だが、その目は全く笑っていなかった。ガラス玉のように冷たい瞳が、俺たちの手元にある書物を、そして俺たち自身を値踏みするように見ている。


「あ、いえ、ちょっと歴史の勉強を……」


「その書架は“特別資料室”の管轄です。閲覧には、神殿からの正式な許可が必要となりますので」


 口調は丁寧だが、その声には有無を言わせぬ圧があった。「お前たちは知りすぎてはいけない」という、無言の警告だ。


「そ、そうでしたか。すみません、すぐに片付けます」


 俺は慌てて書物を閉じようとした。司書は「ご協力に感謝します」とだけ言うと、静かに一礼し、書架の影へと消えていった。だが、彼の存在が残したプレッシャーは、その場に重く留まっていた。


「……今の奴、ただの司書じゃないな」


「ああ。余の魔力にすら反応を示さなかった。人間ではないか、あるいは……」


 ラミアが言いかけた、その時だった。

 俺の目の前で、信じがたい現象が起こった。

 テーブルの上に開かれていた歴史書。年代が食い違っていた、まさにそのページ。インクで書かれた文字が、まるで水彩画に水を垂らしたかのように、じわりと滲み始めた。そして、スルスルと音もなく消えていく。


「なっ……⁉」


 俺は声にならない悲鳴を上げた。文字が消えた後の真っ白なページに、今度はまるで見えざる手が走るかのように、ひとりでに新たな文字が浮かび上がってくる。それは、俺が今まで読んだどの文献とも違う、当たり障りのない、矛盾のない歴史。まるで最初からそうであったかのように。


「おい、ラミア! こっちも……!」


 俺がラミアの方を見ると、彼女もまた、険しい顔で自分の手元の魔導書を見つめていた。彼女が「不快な匂いがする」と言っていたページが、今や完全な白紙に変わっていた。


「……なるほどな。この“意思”こそが、この現象の正体か」


 ラミアは静かに本を閉じ、その声に静かな怒りを滲ませる。


「余の目の前で、世界の理を弄ぶか! 何人たりとも、このような冒涜は許さぬ!」


 彼女が虚空に向かって吐き捨てた瞬間、その言葉をあざ笑うかのように、手の中の魔導書は表紙すらも無地の革へと変貌し、それが書物であった痕跡すら残さず消え失せていた。


 ◇


 抗う術は、なかった。俺たちはただ、目の前で世界の“真実”が、絶対的な力によって修正されていくのを、見ていることしかできなかった。

 恐怖。そして、圧倒的な無力感。

 これが、この世界の歪みの正体なのか。俺が戦おうとしている相手は、こんなにも規格外の存在だというのか。


 ――見られている。

 俺の行動は、この世界の“デバッガー”に、あるいは“運営”に、完全に筒抜けなんだ。俺はプレイヤーであると同時に、排除されるべき「バグ」として認識されている。

 ここは、俺の知っているゲーム〈ラミアズ・テンペスト〉なんかじゃない。何者かの手によって、都合よく管理・修正される「物語シナリオの檻」だ。


 乾いた笑いすら、もう出てこなかった。恐怖が一周して闘志に変わるなんて、そんなヒーローみたいな思考にはなれそうにない。あるのは、ただ底知れない恐怖だけだ。


「行くぞ、ルーカス」


 茫然自失とする俺の腕を、ラミアが力強く掴んだ。


「ここで立ち尽くしていても、奴らの思う壺だ」


 彼女に引かれるまま、重い足取りで図書館を出る。外はまだ何事もなかったかのように、平和な時間が流れていた。王都のメインストリートは、多くの人々で賑わっている。

 だが、その光景すら、今の俺には作り物の舞台装置のように見えていた。


(戦い方なんて分からない。勝てるビジョンも見えない。だけど、一つだけ確かなことがある)


 俺は強く拳を握りしめた。


(あの“運営”の正体を突き止めなければ、俺も、ラミアも、いつかあの本のようにされて消される。それだけは、絶対にダメだ)


 それは勇者としての決意じゃない。

 理不尽なゲームオーバーと言う名の死を回避するためだけの、一人のプレイヤーの、必死の悪あがきだった。

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