第11話 刺客
名もなき村を後にして、俺とラミアは再び街道を歩いていた。薄曇りの空の下、見渡す限りの草原が広がっている。
前の一件が、重く胸にのしかかっていた。ハルキ村での異変――本来存在するはずの都市が消え、仲間になるはずのカナリアは意味深な詩を歌うだけ。
ひとつひとつが「バグ」という言葉で片付けるには、あまりに意図的で、規模が大きすぎた。
俺の絶対的な指針だったはずのゲーム知識が、急速に信頼性を失っていく。その恐怖が、じわりと心を蝕んでいた。
「なあ、ラミア。……お前、さっきの村のこと、どう思う?」
俺は歩きながら、隣にいる唯一の協力者に問いかける。ラミアは相変わらず涼やかな顔で前を見据え、やがて唇の端だけで笑った。
「どう、とは?」
「いや……お前も何か感じてたんだろ? あの場所は、何かがおかしかった」
「ふむ……。知っておる、というよりは……この世界の“法則”そのものに、不純物が混じっておるのを感じるのだ」
「不純物?」
「そうだ。例えば、水に墨を一滴垂らせば、それはたちまち濁るだろう。今のこの世界は、そのような状態にある。何者かの余計な一滴が、世界の理を僅かに、しかし確実に歪ませておる。……余の魔王としての“勘”がそう告げている」
魔王の勘。それは、俺のゲーム知識などとは比較にならない、この世界の根源に触れる感覚なのかもしれない。彼女の言葉は抽象的だったが、それゆえに得体の知れない恐怖を感じさせた。
嫌な響きだ。だが、考えていても仕方ない。俺は思考を振り払うように、前を向いた。
とりあえず目の前のフィールドを進むしかない。ここを越えれば、大都市ミケーネに到着する――はずだ。そこから一気に序盤の
その時、地響きが走った。
「……おいおい、まさか」
俺の足元が揺れ、草原の丘の向こうに巨大な影がぬっと立ち上がる。天を衝く黒い翼。ねじくれた鋭い角。そして、灼熱を孕んだ双眸が、俺たちを明確な敵として捉えた。俺は思わず声を上げた。
「黒炎竜……!? ここは序盤の草原だぞ!」
本来なら、
息を呑む俺を、ラミアは一瞥しただけで、面白そうに目を細めた。
「どうやら、貴様の記憶どおりには進ませてくれぬ“何か”がいるようだな」
「ふざけんな……!」
竜の咆哮が轟き、草原が震えた。その口腔に、ごぼりとマグマのような黒炎が渦巻くのが見える。俺は即座に腰の「竜殺しの剣」を抜いた。幸いにも、王城で手に入れたこの伝説級装備が手元にある。
「よし、こいつならワンチャン……!」
俺は自分を鼓舞し、大地を蹴った。竜殺しの剣を構え、巨体の足元へと駆け込む。振り下ろされる山のような爪を紙一重でかわし、剥き出しの膝の関節に刃を叩きつけた。ギィン! と甲高い金属音が響く。手応えはある。だが、竜は怯むどころか、その巨眼に怒りの色を宿した。
返しの爪の一撃をまともにくらい、俺の体は無防備に草原へと叩きつけられた。
「ぐっ……!」
肺から空気が強制的に押し出される。視界が明滅し、全身を走る激痛は紛れもない現実だ。ゲーム感覚で動いていれば、本当に命を落とす。
必死に立ち上がり、剣を再び構えた。俺のレベルはまだ十にも満たない。どう計算しても、勝てる相手ではなかった。
「ルーカス!」
ラミアの声が飛ぶ。振り返れば、彼女の手のひらに黒き魔力の奔流が渦巻いていた。だが、俺は意地になって首を振る。
「まだやれる! 竜殺しの剣なら……!」
再び突っ込む。竜の巨大な顎が、俺を丸呑みにせんと迫る。咄嗟に剣を突き上げると、刃が硬い鱗を割り、黒い血が噴き出した。手応えは確かにある。だが、竜の怒りはさらに燃え上がり、その巨体から黒炎を放射状に吐き散らした。草原が瞬時に燃え上がり、熱風で視界が歪む。
「くそっ、やっぱり無理か!」
膝をついた俺の前で、黒炎竜が勝利の咆哮をあげる。黒い炎が津波のように押し寄せ、視界が真っ白に染まる。――その刹那。
「下がっておれ」
静かな声と共に、ラミアが一歩前に出た。彼女の黒髪が熱風に舞い、金色の瞳が妖しく輝く。次の瞬間、彼女の周囲に展開された幾何学的な魔法陣から、圧倒的な闇の奔流が噴き出した。
黒炎竜の炎が、闇に飲み込まれて掻き消える。天地を揺るがすような闇の雷撃が、竜の巨体を直撃した。鼓膜が破れそうな轟音。竜が悲痛な断末魔をあげ、翼をもがれたように大地へ叩きつけられる。
「なっ……」
俺は息を呑むしかなかった。ラミアの力は、ゲームで見た魔王の全力そのもの。いや、それ以上だ。
彼女が天に片手を掲げると、再び闇が迸り、倒れ伏した竜の体を貫く。巨体は光に呑まれるようにして、塵となって崩壊していった。
――終わった。
草原に、沈黙が訪れる。焦げ付いた大地の匂いと、まだ揺らめく熱気だけが残った。
「おい……今の、マジで一撃……」
俺は呆然と剣を握りしめたままつぶやいた。ラミアは表情ひとつ変えず、灰と化した竜がいた場所を見下ろしている。
「……妙だな。今の竜、力は本物だったが……魂の在り処が歪だった。まるで誰かに無理やり“配置”された駒のようだったぞ」
「駒……だって?」
俺は震える手で、ゲームのようにアイテムウィンドウが開くことを期待して意識を集中させる。だが、当然そんなものは表示されない。竜殺しの剣に付着した竜の血も、いつの間にか消えていた。
通常なら、黒炎竜を倒せば高位の素材や宝珠が手に入るはずだ。それが、何もない。
「ドロップアイテムが……ない」
あり得ない。ボス級のモンスターを倒して、報酬がゼロ? そんな仕様、俺は知らない。
「これはバグか……? それとも、新仕様か……?」
思わず口に出した言葉に、ラミアは静かに首を振った。
「どちらでもないだろうな。あの竜は、貴様を排除するためだけに“置かれた”にすぎぬ。報酬など、最初から用意されていなかったのだ」
草原に吹く風が、やけに冷たく感じた。俺は剣を鞘に収め、深く息を吐いた。
――知っているはずのゲームが、狂い始めている。
その実感が、確かな恐怖となって俺の胸を締め付けていた。
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