第二章 乖離する物語《シナリオ》
第10話 知らない村
王都での寄り道イベントをあらかた回収し終えた後も、俺たちは数日間、次の目的地もなく街に滞在していた。
隠しイベント、レア装備、裏ボス……。
RTA走者として知りうる限りの「お楽しみ要素」は、ラミアの圧倒的な力と俺の攻略知識の前に、あっさりと消化されてしまった。
プレイヤー時代なら何十時間もかかったはずのコンテンツが、わずか数日で遊び尽くされていく。
その効率化された日々の爽快感と、隣で無邪気に戦利品を眺めて笑うラミアとの時間は、正直この異世界に来てからいちばん穏やかで楽しかったかもしれない。
だが、いつまで経っても王からの勅令は届かず、メイン
「待ってても埒が明かないな……」
痺れを切らした俺は、自分から動くことを決めた。時間経過フラグがバグで機能していない可能性もある。ならば、こちらから次のイベントが発生する街へ向かえばいい。
そう、俺はまだこの世界のルールを信じていた。自分の知識という絶対的なコンパスが、まだ有効だと思い込んでいたのだ。
俺の記憶が正しければ、王都から東の街道を進んだ先に現れるのは「商業都市コリントス」。
大陸の交易の要衝であり、活気ある冒険者ギルドや優れた武具屋が軒を連ねる。
そして何より、吟遊詩人カナリアを仲間にできる、
序盤の戦力不足を解消するために、誰もが必ず訪れることになる定番の街。俺も彼女に会えるのを心待ちにしていた。
……なのに。
数日かけて街道を歩き、ようやくたどり着いたその場所に広がっていたのは、俺たちが想像していた光景とは似ても似つかない、寂れた「村」だった。
あるはずの壮麗な城壁も、活気ある広場の噴水も、世界中の商人たちが行き交う喧騒もない。
代わりにぽつぽつと建っているのは、古びた藁葺き屋根の小屋。家畜の鳴き声と、洗濯物を干す人々ののんびりとした生活音。見覚えのない風景に、俺は思わず足を止めてしまった。
「……ラミア。ここ、本来なら巨大な都市があるはずなんだ」
「都市だと? 」
隣で不思議そうに首を傾げるラミアの姿がやけに現実的で、逆に俺の混乱を際立たせた。
「そうだ。商業都市コリントス。ここから先のイベントを進めるための重要拠点なんだよ。なのに……どうしてこんな小さな村に?」
(おかしい。道を間違えたか? いや、街道は一本道だった。何かのフラグを踏み間違えて、街が未発展の過去のデータに……? )
俺が脳内のデータベースを必死に検索していると、ラミアは静かに辺りを見回していた。その竜の瞳のような双眸が、小屋の一つ一つを射抜くように観察している。
「……ふむ。おかしいな。この地の
「
「ああ。余はテレポート魔法の能力で、一度訪れた場所の座標と魔力の流れを記憶できる。余の記憶では、ここは確かに活気ある
ラミアですら困惑している。その事実に、俺の胸に冷たいものが広がった。これはただのバグじゃないのかもしれない。
俺は動揺を隠せないまま、近くで畑を耕していた農夫に話しかけた。
「すみません、この辺りにコリントスっていう大きな街はありませんでしたか?」
農夫は鍬を持つ手を止め、怪訝そうに首をかしげた。
「こりんとす? さあな、聞いたことねえ名前だ。ここは昔からずっと、ハルキ村だよ」
まるで最初から存在しなかったかのように。他の村人に尋ねても、返ってくる答えは同じだった。
それでも、俺はまだ一縷の望みを捨てていなかった。吟遊詩人カナリア。彼女さえいれば、
――確かに、彼女はいた。村の中央、古井戸のそばで、リュートを抱えて静かに詩を口ずさんでいた。だが。
「……運命は囁く。道は曲がり、記憶は砂に還る」
そう歌ったきり、こちらに視線を寄こしたカナリアは、意味深に微笑むと、再びリュートをぽろぽろと鳴らし続けた。
話しかけても、彼女は歌を口ずさむだけ。
「……なあ、どういうことだ? 俺の記憶じゃ、ここでカナリアを仲間にできるはずなんだ。ここで話しかけて、酒場で演奏を聴けば、彼女が旅の目的を話してくれる……。その会話イベントが起きるはずなのに……」
「その会話が始まらないのか」
ラミアが静かに言う。彼女の瞳に映るカナリアは、ただ流れるように詩を奏でるだけの、まるで幻影のようだった。
俺は焦りを覚えた。攻略知識が、効かない。積み重ねてきた経験が、役に立たない。地図もコンパスも持たずに、未知の海に放り出されたような不安が、背筋をぞわりと駆け上がった。
さらに追い打ちをかけるように、違和感は村の隅々にまで及んでいた。
本来あるはずの場所に、建物がない。
ゲームでは常に晴れているはずのこのエリアで、小雨が降っている。
死んでいるはずのNPCが、元気に畑を耕している。
逆に、生きているはずのNPCの、真新しい墓標が立っている。
俺が知っているはずのデータと、この世界は、もう一致しなくなりつつあった。
「……俺の知ってるデータと違う」
声に出した瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられるようだった。これまで絶対の自信を持ってチート攻略を続けてきた俺が、初めて足場を失った気がした。
その時、ラミアが俺の肩にそっと手を置いた。その掌は意外にも温かく、俺の動揺を鎮めるように確かな現実感を伴っていた。
「ルーカス。顔色が悪いぞ。……まあ、貴様が信じていたものが揺らいでおるのだ。無理もない」
「……ラミア……」
「だが、うろたえるな。原因が何であれ、余が共にいる。道がなければ、余の力でこじ開けるまでだ」
その言葉は頼もしかった。だが、今の俺には、その力ですら通用しない何かがこの世界で起きているように思えてならなかった。
俺が唯一信じていた攻略チャートが、もう役に立たなくなるかもしれないという恐怖。
村の外れに沈みゆく夕陽が、空を不気味な赤色に染めていた。カナリアのリュートの音色が、どこか遠くで響き続けている。
その旋律は、まるでこの世界が狂い始めたことを告げる、警鐘のように聞こえた。
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