第5話 「道中ついでに村も救っちゃいます」
地図にすら載っていない、名もなき小さな村。
鬱蒼とした森を抜けた先、丘の麓にひっそりと佇むその集落は、本来の
だが、俺とラミアは思わぬ光景に足止めされることになった。
「……なんだ、あれは」
丘の上から見下ろした先、村の周囲を黒い波が取り囲んでいた。いや、波じゃない。あれはおびただしい数のモンスターの群れだ。
涎を垂らしながら大地を駆ける狼型のモンスター、錆びついた剣を振り回し甲高い奇声をあげるゴブリン、巨大な牙を剥き出しにして突進する猪のような魔獣までもが混ざり合い、森から雪崩れ込むように押し寄せている。
村を守る貧弱な木造の柵は、猛攻に耐えきれず至る所が砕け、今にもはち切れそうに軋んでいた。柵の内側では、逃げ惑う村人たちの絶望的な悲鳴が、家々から立ち上る炊事の煙と共に空へと響き渡っている。平和な日常が、暴力によって蹂躙されようとしていた。
「……なるほどな」
俺は乾いた唇を舐め、思わず呟いた。
知っている。このイベントを。RTA走者として、このゲームのデータは隅々まで頭に叩き込んである。
ゲーム版なら、ここで初めて「村を守る勇者」という、お決まりの展開が用意されていた。しかし、その実態は美談などではない。これは、村人の半数が犠牲になることで、プレイヤーに「己の力の足りなさ」と「守れなかった命の重み」を思い知らせるための、いわば
必ず、誰かが死ぬ。それが、この
RTA走者としての思考が、即座に最適解を弾き出す。――無視しろ。関わるな。数秒マップを確認したら、すぐに踵を返せ。それが最速ルートだ、と。
だが……。
視線の先、恐怖に泣き叫ぶ子供を必死に庇う母親の姿が映る。あの親子は、シナリオ通りなら真っ先に死ぬはずだ。俺は、それを知っている。
「わかっていて目の前で人が死ぬのを、見過ごせるはずないじゃないか……!」
モニター越しに見ていた、ただのデータじゃない。血の通った人間が、今まさに死の淵に立たされている。俺はもう、ただのプレイヤーじゃない。
拳を固く握りしめ、隣に立つラミアを振り返る。
「ラミア、前線は任せる! 俺は村人たちに指示を出す!」
「……ふん。余を顎で使うか。まあよい、愚物どもを蹴散らすくらい造作もない」
ラミアは呆れたように鼻を鳴らしつつも、その金色の瞳には確かな闘志が宿っていた。彼女は一歩前へと歩み出る。その圧倒的な存在感を放つ背に、心強さと少しの畏怖を感じながら、俺は丘を駆け下り、村人たちのもとへ飛び込んだ。
「聞いてくれ! 俺は旅の者だが、あんたたちを助けられる! 今から言う通りにしてくれれば、誰も死なずにこの村を守れる!」
混乱の渦中にあった人々が、一斉に俺を見る。疑念、恐怖、そして藁にもすがるような僅かな希望。様々な感情が入り混じった視線が、俺に突き刺さった。村長らしき老人が、震える声で問いかける。
「若いの、本気で言っておるのか……?」
「ああ! 信じてくれ! 時間がないんだ!」
俺は必死に説得し、ゲーム知識に基づいた防衛プランを矢継ぎ早に指示する。
「そこの納屋から油樽を全部運び出して、柵の内側にぶちまけろ! 爆弾樽は村の広場の中央にまとめて配置! 家の屋根に登れる腕の立つ者は弓矢を持って、俺の合図で火を放ってくれ!」
「ば、爆弾樽だと……? 村の中心で爆発させたら、我々まで……!」
「危険なのは知ってる! だけどやるしかない! モンスターを広場まで引き込むんだ! 俺の仲間が前線で時間を稼ぐ! いいか、これは賭けだが、今はそれしかないんだ!」
俺の気迫に押されたのか、村人たちの瞳に宿る迷いが、徐々に決意へと変わっていく。最初に動いたのは、斧を握りしめた若い男だった。
「……わかった! やってやろうじゃねえか!」
その一声を皮切りに、彼らは頷き合い、一斉に走り出した。
……この村人たちは、ゲームの中では名もなきNPC、ただの背景だった。けど今は違う。俺の言葉が届く。俺の知識が、誰かの命を守る力になる。
その直後、ついに木製の柵が巨大な獣の体当たりで粉々に砕け散った。モンスターの群れが、濁流となって村の中へとなだれ込んでくる。
その瞬間――。
「下がれ、虫けらども」
地を這うような低い声が轟いた。
ラミアが片手を掲げると、紫の魔力が奔流となって渦を巻き、先頭を走っていた狼の群れをまとめて紙切れのように吹き飛ばす。爆風に彼女の黒髪が宙に舞い、金色の瞳が闇の中で妖しく輝いた。
圧倒的な力。その神々しくも恐ろしい姿に、村人たちの恐怖がわずかに和らぐのが分かった。
だが、敵の数は多い。一体倒しても、その隙間を埋めるように二体、三体と後続が押し寄せる。ラミアは眉一つ動かさず、闇の触手を伸ばしてはゴブリンを絡め取り、氷の槍を放っては獣を縫い止めていくが、じりじりと押され始めている。
前線でラミアがモンスターの群れを広場へと引きつけ、抑えきれなくなるその一瞬。俺はその時を狙っていた。
「今だ! 火を放て!」
俺の絶叫が響き渡る。屋根の上から、火を灯された矢が放物線を描いて飛んでいく。矢は地面に撒かれた油に見事に着弾し、一瞬にして炎の川が生まれた。火は広場の中央へと駆け抜け、そこに集積された爆弾樽へと到達する――。
視界を白く染め上げる閃光と共に、轟音が鼓膜を突き破った。
熱風が肌を焼き、衝撃波が足元を揺るがす。村の中心で巨大な火球が膨れ上がり、モンスターたちの断末魔の咆哮を飲み込んでいく。村を覆っていた夜の闇が、まるで太陽が生まれたかのように一掃された。
……終わった。
残った数匹のモンスターは、ラミアが放った追撃の魔力弾で塵と化した。
焦げ付く匂いと熱気が立ち込める中、村人たちが恐る恐る顔を上げる。そして、誰一人として欠けていないことを確認し、堰を切ったように歓声と泣き声を上げた。
「た、助かった……! 本当に、誰も死んでいないぞ……!」
村人たちが互いに抱き合って安堵の涙を流す。子どもを強く抱きしめる母親の姿を見たとき、俺の胸に重くのしかかっていた何かが、少しだけ解けていった気がした。
そこへ、ラミアがゆっくりと戻ってくる。
人々は一斉に彼女の前に道を開け、深々と頭を下げた。
「命を救っていただき、本当にありがとうございました!」
「おお……まるで女神様のようなお方だ……!」
ラミアは、その称賛の言葉に露骨に顔をしかめた。
「……ふん。人間ごときの感謝など、取るに足らぬ」
吐き捨てるように言いながらも、そっぽを向いたその横顔はどこか照れくさそうで、柔らかかった。
俺は込み上げる笑いを堪えきれず、彼女の隣に並ぶ。
「ははは!
「……勘違いするな。余はただ、退屈しのぎに力を振るっただけだ」
「はいはい。そういうことにしておくよ」
炎の余韻が漂う広場で、俺たちは肩を並べて立っていた。
勇者ルーカスの
でも今は、被害ゼロで守りきった。
俺はもう、ただRTAのタイムだけを追い求めるプレイヤーじゃない。この世界の住人だ。
これは、
(ゲームの勇者にすらできなかった最高の走りを見せてやる)
トッププレイヤーとしての自信と高揚感が、胸の奥で静かに燃え上がっていた。
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