第4話 「終盤マップは序盤に攻略するに限ります」

 序盤からいきなり終盤マップに挑むのは正気の沙汰じゃないだろう。

 でも、俺は正気じゃなくていい。むしろ狂っているくらいが、このゲーム――いや、この世界を駆け抜ける最短ルートにはちょうどいい。


『毒沼の迷宮』。

 その名の通り、一歩足を踏み入れた瞬間、鼻を刺す腐臭と、肌をじっとりと撫でる湿気が俺たちを迎えた。

 空はどんよりとした緑色の雲に覆われ、ねじくれた枯れ木が沼から突き出している。

 沼の表面では、油膜のような虹色の模様の下から、時折ぶくぶくと気泡が浮かび上がっては弾け、甘ったるい瘴気をあたりに撒き散らしていた。


 本来なら終盤に解放される、プレイヤー泣かせの高難度ダンジョンだ。


 だが、俺は知っている。序盤の村から徒歩で行ける位置に、この入口だけは最初から開いていることを。

 ゲームバランス的には「無理だから後で来い」というメッセージなのだろう。


 だがRTA走者にとっては挑戦状だ。ここを踏破しておけば、近道になるし、強力なアイテムも手に入る。


「……余には理解できぬ。なぜわざわざ毒の瘴気漂う場所などに突っ込むのだ」


 隣でラミアが鼻をひそめる。

 長い黒の髪が湿った風に揺れ、金色の瞳が俺を睨みつけるように細められていた。


「効率だよ、効率。ここを突破すれば、この後のルートが大幅に短縮できる」


「効率……。くだらぬ。道があるなら突き進めばよいだけだ」


 そう言って、彼女は迷わず毒沼に足を踏み入れた。

 次の瞬間――


「ッ……!?」


 ラミアの白い肌が、みるみるうちに紫色に染まっていく。

 彼女の身体は確かに魔王としての耐性を誇っていた。だが、毒沼のダメージは割合ダメージ仕様。どれほどHPが高かろうが、問答無用で削り取られるのだ。


「おい! だから言ったろ!」


「ぐ……ぬ……! 馬鹿な……余が……毒に……」


 ぐらりと体を傾けるラミアを慌てて支える。

 さすがの彼女も、このギミックには抗えないらしい。

 だが俺には対策がある。


「ラミア、ハーブを食え!」


「……は?」


「村で買った安物のやつだ。ほら、袋いっぱいあるだろ!」


 そう言って俺は、背負い袋から緑色の葉っぱを取り出した。

 それはただの「毒消し草」。ゲーム内序盤でいくらでも買える安価アイテム。普通は一度きりの解毒効果しかない。


 だが、この沼ではこれが特効薬となる。大量に摂取して毒を解除し続ければ、割合ダメージを無効化できる。


 もちろん、こんなごり押しは攻略サイトにも載っていない。知る者はごく一部のRTA走者だけ。


「馬鹿を言うな。こんな下賤な葉を貪るなど――」


「いいから食え! 死にたくなきゃな!」


 俺は強引に彼女の口に押し込んだ。

 ラミアは、魔王としての威厳と毒の苦痛、そして下賤な葉を食べさせられる屈辱で、その美しい顔をくしゃくしゃに歪ませながらも、仕方なくバリバリと毒消し草を噛み砕く。


「……に、苦い……! なんだこの味は! 舌が痺れる……!」


「いいから飲み込め! まだだ、あと十枚!」


「じゅ、十枚!? 貴様は正気か!」


 抵抗しつつも結局食べきったラミアは、しばらく目を見開いていたが――次の瞬間、驚いたように吐息を漏らした。


「……効いている。毒の侵食が、止まった……?」


「だろ? これが裏技だ。誰も知らない抜け道だよ。毒沼を進むなら、これを食べながら歩くんだ」


 俺はにやりと笑った。

 ラミアはしばし無言で俺を見つめ、やがて、ふっと笑みを零した。


「くだらぬと思ったが……余の命を救ったのは事実だ。人間の知恵も侮れぬものだな」


「素直じゃないな。まあ、そういうとこ嫌いじゃないけど」


 そんなやり取りを交わしながら、俺たちは毒沼の奥へ進んだ。


 ……もちろん俺もバリバリと毒消し草を貪りながらだ。こんなに苦いと知っていればこんな攻略法は提案しなかっただろう。

 だがしかし、かの魔王ラミアに無理やり食わせておいて自分は食べませんでは道理が通らない。


 俺はゲーム中のルーカスに謝りながら、必死で草を詰め込み毒沼を突破したのだった。


 


 やがて毒沼が大きく波立ち、俺たちの前に巨大な影が姿を現した。


 ぬらぬらと湿った光を放つ緑色の鱗。獲物を石に変えるという伝説を持つ邪眼が、赤い光をたたえて俺たちを睨みつけている。

 毒霧を吐き出すために大きく開かれた口からは、二本の長大な牙が覗いていた。


 ゲームのポリゴンモデルとは違う、本物の生命が放つ威圧感に、俺は思わず固唾を飲んだ。


「こいつはバジリスク……序盤でお目にかかる敵じゃない……。油断するなよラミア」


「ほう。余の相手にふさわしい」


 ラミアが足を踏みしめ、両腕を広げる。

 バジリスクが口を開き、毒霧を吐き散らした。だが毒消し草を大量に口に含んだラミアの身体はもう毒に蝕まれない。


「小癪な真似を! ――《真空魔斬しんくうまざん》!」


 ラミアの鋭い声と共に、彼女の掌から三日月状の魔力の刃が放たれた。空間そのものを切り裂きながら飛翔する紫紺の斬撃は、吐き出された毒霧を両断し、バジリスクの巨体へと吸い込まれるように命中する。


 一閃。

 斬撃が触れた瞬間、バジリスクの巨体は内側から弾けるように光を放ち、その存在そのものが蒸発していく。鱗も骨も残さず、ただ魔力の残滓がキラキラと沼に落ちるだけだった。


「……一撃、か。やっぱりお前はチートだな」


「当然だ。だが――」


 ラミアは振り返り、唇の端を上げる。


「お前の知識がなければ、この蛇にたどり着く前に余は沼に沈んでいただろう。……悪くない組み合わせだな」


「……ふっ。だろ? 最強タッグの誕生ってやつだ」


 俺は彼女と笑い合った。


 この瞬間、俺たちは確かに最強のプレイヤーと魔王として、この世界を攻略している実感が湧き上がった。

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