いいひと

みそ

いいひと

と言われても何も思わなくなった。

そりゃ僕はあなたに親切なことをしたしそういう態度をとったし、上辺だけを見たらそういう感想になるでしょうね、と冷めた気持ちで思うだけになった。

僕の写真を見た人や初対面の人からの感想でも、概ねそう言われる。

「いいひとそう」

推量の形をとったその言い回しは、およそ褒めるところが見つからない人への、最も当たり障りのない感想だと思う。

見た目が秀でていれば格好いい人になるし、ファッションセンスがあるならおしゃれな人になるし、笑わせるのが上手い人なら面白い人になる。

そう考えると「いいひとそう」という感想は誰にでもある程度当てはまるし、特徴のない人を貶さず悪い気持ちにさせない、最も無難で使い勝手のいい感想だと言えよう。

さらには推量の形までとっているので、後にその人がいいひとじゃないことが判明したとしても、その感想を言った人がまったくの的外れを言ったことにはならないというアフターケアまで万全だ。

だって私「いいひと」って言い切ってませんし。いいひと「そう」、って推量の形にしましたし、と言い逃れができる。まあ、まさかそんな重箱の隅をつつくような性格の悪い人はいないと思うけど、世の中には事実は小説よりも奇なりを地で行くとんでもない人はいるわけで、そういった注意を欠かすことはできない。

それを怠っては平和ボケした日本人特有の危機管理能力の欠如だと責められてしまう。誰に責められるのかは謎だけど。

「へえー、小平さんっていいひとかと思ってたら、めんどくさいひとなのね」

という話を、マッチングアプリで知り合った女性との初デートでしたら返ってきた感想がこれだった。

駅前で待ち合わせをして映画を観て、その帰りに寄ったコーヒーショップ。話題沸騰、感動必至という煽り文句の映画は、ボソボソした聞き取りづらい台詞に、起伏がないくせにやたらと何かあるのではと匂わせるだけで、大して伏線回収もされないままに幕を閉じた。毒にも薬にもならない、無味無臭な映画。

邦画の悪いところを集めて煮詰めたような映画の感想は悪口大会になってそこそこ盛り上がったのだが、それだけで間を繋ぐにも限度がある。お互いにメッキが剥がれて地の性格の悪さが露呈していくだけで、うわそこまで言うんだ、とお互い少し引いている雰囲気があった。

それで何かお互いのプラス面に照明を当てられる話題はないかと探していたら、何でもいいからあなたの話をしてみてと彼女から言われて、話してみた結果がめんどくさいひとだった。

「それはどうも。加瀬さんは正直なひとみたいだね」

写真もアプリに載せていたのは無加工だったみたいで、実物を見たときに驚いてしまった。きっと当たらずとも遠からずみたいな人が来るんだろうなあと覚悟していたら、写真で見たそのままの美人がやってきたのだから。

「ああ、別に否定的な意味じゃないし、いいひとよりは面白みがあると思う」

「面白み」

褒めてはくれているんだよな、たぶん。

「ほら、いいひとってすぐにどうでもいいひとにもなっちゃうから」

「ああ…」

それは確かに覚えがあった。ふと途絶えた会話や、返事が遅くなりハテナのなくなったメッセージ、そういった余白からどうでもいいひとと思われているって伝わってくることがあった。

「それよりは印象に残っていいと思う。うん、めんどくさい人ってどうしてそんなひねくれた考えを持つに至ったのか、興味深くなっちゃうし」

「もう僕はめんどくさい人で決定なんだね」

「それはだって、何でも話してって言ったのにあんな話するんだもの」

「うっ…」

一理も十理もあって、何も言い返せない。よりにもよってどうして僕はあんな話をしてしまったのだろう。チラシの裏にでも書き殴っておけばいいようなものを、どうしてわざわざ引っ張り出して語ってしまったのだろう。

新しく入ったばかりなのか、緊張した様子の高校生くらいのホールスタッフがやってきてコーヒーのおかわりはと尋ねられたので、目で加瀬さんに聞いてみると頷きが返ってきた。よかった、まだ話をしてくれる気はあるらしい。

「お願いします」

笑みを向けて加瀬さんのカップを手で示してコーヒーを注いでもらう。立ち上る湯気から香ばしいにおいがして落ち着く。

続けて僕のカップにも注いでくれようとすると、手元が狂ったのかコーヒーはカップから外れてその横に置いてあった僕のスマホにドボドボと降り注いだ。

「あらまあ」

「ああっ!ごめんなさい!ごめんなさい!」

目を丸くする加瀬さんに慌てふためいて頭を下げるホールスタッフ。僕は引きつっているだろうなと思いつつ、ホールスタッフに笑いかけた。

「防水なんで大丈夫です。でも何か拭くものを貸してもらえるとありがたいです」

「はっ、はい!少々お待ちください!」

急ぎ足でカウンターに向かう背中が遠ざかったところで、ニヤニヤと笑う加瀬さんが口を開いた。

「そのスマホ、防水じゃないでしょ」

「このくらいならたぶん大丈夫だよ。前に雨の日に落としちゃったことがあったけど、まだなんとか動いてるし」

「ふーん、でもトドメを刺されていたらどうするの?」

意地の悪い顔をして聞いてくる。

「そのときは年貢の納めどきだと思って諦めますよ。買い替えなきゃなあとは思っていたし、むしろ引導を渡してもらえてラッキーだと思うことにするよ」

ため息混じりに強がりを言った。本当はスマホを買い替えるのいろいろ面倒で嫌だったから。

「そう、ならちょうどいいわ。私もそろそろ買い替えようと思っていたから、お揃いのにしましょ」

「へっ?」

「私彼氏といろいろオソロにしたいタイプだから」

「あっ、そういうタイプなんだ。って、彼氏って、僕?」

驚きのあまり自分で自分を指差すという、なんとも間抜けなことをしてしまった。

「そう、僕。あなたってめんどくさいひとだけど、やっぱりいいひとでもあるみたいだから、すっごく興味が湧いてきちゃった。だから付き合おう」

「あっ、はい。よろしくお願い、します」

返事まで間抜けになってしまった僕を、彼女はウケると言って白い歯を見せて笑った。

清々しいほどの綺麗な笑顔を見て、いいひとでよかったと初めて思った。

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