あの夏の日の思い出

🌸春渡夏歩🐾

胸の中にある想いは

 父の生まれ育った家は、東北にある農家だ。五人兄妹の次男の父。


 小四の夏休み、父の運転する車で訪れた道程みちのりは、果てしなく遠かった。


 祖母と伯父夫婦、従兄弟いとこの住む家は、古く大きくて、お手洗いとお風呂場は母屋の外。足の間に深く暗い穴が開いたトイレには、怖くてひとりでは行かれなかった。


 長女の私には、兄のような歳上の従兄弟が嬉しくて、毎日、遊んだ。


 捕まえたトンボに糸をつけて飛ばす。田んぼでザリガニ釣り。縁側ではスイカの種を飛ばしっこ。

 オヤツは、畑で採れたトマトにきゅうり、とうもろこし。トマトに砂糖をかけるので驚いた。


 祖母の得意料理は、茄子を甘辛く炒めた茄子炒り。ミカン入りの牛乳寒天や、卵寒天の味。


 かき氷のシロップで赤や黄色に染まった舌が可笑しくて、見せあいっこした。


 夕立のあと、田んぼの向こうには大きな虹がかかり、涼しい風が吹く。


 夜は蚊帳を吊って、布団を並べて眠るのが楽しみだった。


 線香花火に火をつけて、どれだけ長く持っていられるか、競争した。

「ね、来年の夏もまた遊びに来てくれるんだろ」

 答えを持たない私は、花火を持つ手がゆれて、ポトリと火玉が落ちた。


 生家と疎遠な父が、そのとき以降、家族を連れて帰省することはなく、残ったのはごく淡い気持ち。


 その後、大きな古い家はリフォームして、祖母も伯父、伯母も他界した。

 私は従兄弟の顔が思い出せない。


 ◇


 卒寿を過ぎた父は、通院の付き添いをするたび、待合室でいつも何度も同じ話を繰り返す。


 学生の頃、兄嫁に持たされた弁当は、毎日、おかずが梅干しだけなのが恥ずかしく、隠すように食べていたこと。

 高卒で集団就職する列車は、上野に到着した。大学に行く学費を出してもらえず、夜学に通ったこと。

 

 満たされない気持ちは、満たされることがないまま、いつまでも記憶の中にある。

 祖母も叔父も叔母も、もういないというのに。

 誰かを許すというのは、これほどまでに難しいことなのだろうか。

 家族であっても。家族だからこそ。

 辛かった気持ちは、楽しい記憶までも塗り潰してしまうのだろうか。


 私にできることは、毎回、はじめて聞く話のように、うなずくことだけ。

「そうなんだ。大変だったね。苦労したね」

 何度も、何度も、何度でも……。



 今年は殊更に暑い夏だった。


 9月に入っても聞こえる蝉の声に、従兄弟と過ごしたあの日も、きっと蝉の声が降りしきっていたのだと思う。


 あの夏の日に戻れたら、私は何と答えるのだろう……。

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あの夏の日の思い出 🌸春渡夏歩🐾 @harutonaho

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