クロス・ログ:オールドメイド
FRACT……【A4K0】
第一幕「The Jack's Deal」
【>JW-01|μR:ci,bx-all#play】
輸送機〈W-0 “Wildcard”〉は、内臓のどこかで小さな雷が転がるように低く唸り続けていた。 床板の隅には、乾いた古い赤黒い痕がまだ残っている。かつての出撃で負った傷の記録。壁の鋼板には小さな凹みが点々と並び、誰もが口にしない弾痕の跡が光をかすかに拾っていた。換気は追いつかず、吐息の熱が金属の冷たさに貼りつき、胸を少し圧迫する。
床板を留めるリベットが時おりかすかに軋み、鉄の骨組みが呼吸している。壁面には通信装置の箱、爆薬のラック、油で黒ずんだ工具棚、折り畳みの医療ベッドが詰め込まれ、寄せ集めの拠点のようにごちゃついている。だが誰がどこに何を置いたのか、ここにいる六人だけは、目をつぶってでも言い当てられる。彼らの戦場は、いつもこの騒がしい腹のなかで始まり、この腹のなかへ帰ってきた。1第一幕
照明は昼と夜の境目のように白く、時折ほんのわずかに明滅する。パネルの緑ランプが、規則正しく、心拍のように点っては消えた。油と金属の匂い、汗と煙草の匂いが薄く混じる。その混ざり具合は、誰の仕事が今どれだけ進んでいるのかを、鼻先の記号だけで示していた。
「さあ――始めるわよ」
キャメロン・アン・ステュディが黒髪を払って声をかける。腰の銃を外して机代わりのコンテナ箱へ置き、引き出しからカードの束を取り出した。指の腹でカードの端を撫でると、擦れたプラ表面が小さく鳴く。彼女がそう言えば、全員が理解する。部隊だけに通じる恒例の儀式。名前など要らない。名前をつけると、どこかでそれが終わる気がするからだ。
「お、出たな!」ファイシル・シャリフが爆薬ポーチを腰で鳴らし、白い歯を見せて笑う。「前回はジョイの奢りだったな! あれは腹も心もパンパンだったぜ」
「……合理性のない浪費だった」
ジョイ・チャンは淡々と答え、赤十字のポーチの留め具を指で確かめる。金属の細い音が、芯の通った声と同じ高さで響いた。
「まあ、公平ではあったさ」
アレクセイ・ハベンスキーは狙撃銃を壁に立てかけ、肩の力を抜いた。疲れが瞼の縁に影を落としているが、口元には皮肉の線が薄く残っている。
「隊長を呼んでくる」
デルロイ・ブラッドショーが布でレンチを拭い、立ち上がった。彼が歩くたびに、機体の骨組みの音が一拍遅れてついてくる。コクピットのドアが短く鳴り、すぐ戻る。マナイア・ケアが葉巻を噛んだまま現れた。頬のマオリの紋様は彫りのように深く、灯りの角度で濃淡を変えながらも、決して揺れない。視線は薄い笑みをまとって鋭い。ここが自分の場所だ、と全身が言っている。
「配るのは私の役目」
キャメロンがカードを手早く混ぜ、指の腹で打音を刻む。配られた札は、銃を磨く手、薬瓶を並べる手、工具を握る手に、まるでもともとそこに置くために作られていたかのように滑り込んだ。機体が微かに揺れるたび、カードの角が光を弾く。
ジョイは札を取るときでさえ几帳面で、角を揃えて机に並べる。
キャメロンは指先を軽く弾ませ、札を跳ねさせるように持つ。
アレクセイは一瞥してから視線を逸らし、札を机に伏せるまでの間に眉をわずかに寄せる。
ファイシルは大げさに手を振り、札を掴む仕草まで騒がしい。
デルロイは札を裏返したまま掌で重みを確かめ、僅かに唸ってから胸ポケットへ滑らせる。
マナイアは札を指に挟み、煙草のように扱った。
「今回は俺じゃない」
「いや、私でもない」
「順番ってのは案外公平よね」
軽口が行き交い、乾いた笑いが混じる。いつもの、何十回と繰り返してきた、帰還前の遊戯だ。札が切られるたび、指先の皮膚が起こす摩擦熱がごく短く立ち上る。葉巻の香りがほんの刹那、油の匂いを押しのける。
ゲームは始まった。
機体の奥で、補助ジェネレータがトトトと細かく走る。リズムに合わせるように、キャメロンはまず自分の札を一枚引き、ぽんと重ねた。ファイシルが肩を鳴らし、アレクセイは指先でテーブルの傷を数える。デルロイは札を撫で、ジョイは呼吸を整える。マナイアは葉巻を噛んだまま、札の端で机を二度、静かに叩いた。
最初に揃ったのはジョイだった。
「……終わり」
短く言って、彼女は札を置く。その置き方まで几帳面で、音は一度きり、正確に鳴る。
「戻ったら、医務室の在庫整理。……散らかしたの、あなたたち」
言葉の後尾だけが、息の熱に触れて柔らかくなる。彼女は思い出す。棚の奥に押し込まれた古い救急バッグ、微かなアルコールの匂い、間に合わなかった患者の体温。あの冷たさが、夜になると腕の内側に残ることを。今日だけは、帰りに補充を終えよう。そう思ってしまう自分に、こっそり驚きながら。
その言葉は、ごく小さな願いのように響いた。医務室の棚を整えるなど、戦場に比べれば些細な仕事だ。だが彼女にとっては、無事に帰ることの証明そのものだった。
「やった、私も抜け!」
キャメロンが軽快に笑って札を置いた。「帰ったら隊長に酒。樽ごとね。逃げられないように、タグに『貸し』って書いとく」
彼女は思い出す。軍学校の短い廊下、汗の匂い、鳴り止まない笛の音。模擬戦でマナイアに挑み、秒で転がされた午後。笑いながら立ち上がった自分の足の軽さ。あの軽さを、また皆で嘲りながら飲みたい。
「ふん、俺もだ」
アレクセイは札を落とし、乾いた笑いを残す。「次はジャン=ジャックに勝ち越す。あいつの得意マップで、な」
モニター越しの光が網膜に残像を刻む瞬間を、彼は思い出す。匿名のライバルが画面の向こうで肩を竦める幻。誰にも言わない誇りと、誰にも見せない敗北の味。勝ち越して、初めて相手の名を口に出したい。些細な、だが譲れない願い。
「よし、来た!」
ファイシルは笑い声を爆発のように響かせ、派手に札を落とした。
「戻ったらハナンに会う。……あいつ、俺の話、半分も信じねえからな。爆薬の、あの気持ちいい話をよ」
幼い日の夜、ハナンと一緒に火薬を紙に詰めたことがあった。火花が走り、二人で走って逃げた。背後で花火が破裂し、笑いが夜空に吸い込まれた。
あの笑い声を、もう一度聞きたい――彼は爆薬のピンを弄びながら、そう思った。
残ったのは、デルロイとマナイア。
「新しい改造プランがある」
デルロイは札を握り、低く呟く。「見せたいんだ……命を長持ちさせるやつだ。パーツはもう、揃えてある」
彼の脳裏にあるのは青写真。誰の体のどの関節に、どの補強を当てるのか。工具の重さ、ボルトのトルク、グリースの硬さ。ここで死なせないために、次の出撃までに間に合わせるつもりでいる。言葉に熱が滲むのを、自分でも抑えられない。
「で、隊長は?」
全員の視線がマナイアに寄せられる。葉巻の先が赤く脈を打ち、煙が細い糸になって揺れる。
「――トレーニングだ」
一瞬、空気が止まる。それから、いつもの突っ込み。
「真面目すぎでしょ!」キャメロンが笑う。
「夢がねえな!」ファイシルが肩を叩く。
「……予想通りだ」アレクセイが肩をすくめる。
マナイアは笑って受け流す。だが内側では、言葉にならない何かが、葉巻の苦さと一緒に舌に溶けていく。――俺にとっては、この場こそがすべてだ。札を切る音も、金属の匂いも、呼吸の間合いも。未来を語るのは嫌いじゃない。だがそれは、今を鍛えるための影みたいなものだ。影が本体になることはない。
機体が少しだけ揺れて、照明が髪の一本を白く縁取る。カードの角が、また光をはじいた。
ゲームは終盤へ入る。札は薄く、重みは増す。ジョイは医療ベッドのベルトを点検し、キャメロンは銃のスリングを調整する。アレクセイは照準器のガラスを拭い、ファイシルは信管のピンを一本ずつ指で撫でる。デルロイは皆の手の甲を、一人ずつ、ほんの一瞬で見ていく。血色、傷、古い火傷。どれも彼の記憶の引き出しに収まっている。
デルロイは札を握りしめたまま、天井のリベットに目をやった。
機体が揺れるたび、いつもと違う低い響きが伝わる。緑ランプの点滅も、わずかに遅れている。
その違和感が胸に沈殿し、彼の口を開かせた。
「……嫌な予感がする」
デルロイが、そこで初めて顔を上げた。冗談でも弱音でもない、現場の職人が最後に残す慎重さの色。
「またそれかよ!」ファイシルが笑う。
「前回も同じことを言っていたじゃないか」アレクセイが肩を竦める。
「予感を理由にしたら、いつまでも勝負にならないわよ」キャメロンが呆れる。
マナイアは葉巻を噛み直し、札の角で机を二度、コツコツと叩いた。笑いは短く、目は動かない。大丈夫だ。大丈夫じゃなくても、大丈夫にする。
最後の一枚を引く。札の裏面に走る擦れ傷が、過去の全ての出撃回数を語っている。指先の熱が、紙の薄さで現実に戻る。マナイアがめくる。赤い道化の顔が、テーブルの上でゆっくり回り、揺れに合わせて小さく跳ねた。
「隊長の奢り、決定!」
笑いと歓声が機内に広がる。ジョイの口元さえ僅かに緩み、キャメロンは両手を上げて「やった」と言う。アレクセイは「公平だな」と鼻を鳴らし、ファイシルは「腹を空かせとけよ!」と叫ぶ。デルロイは微笑んで、レンチを布で包んだ。
その喧噪のただ中で、誰かのドッグタグが指先で弾かれ、金属音が薄く空気を縫う。乾いた一音が遠のき、別の一音が近づく。
彼らは順に、笑いながら抜けていった。最初に抜けた者から、札の場を離れ、作業へ戻る。その順番は、偶然のならびに見える。だが、鎖はいつも遠い方から切れていく。誰もそんなことを言わない。言ってしまえば、札の場が壊れる気がするから。
スピーカーが鳴った。
≪到着まで、あと十五≫
機内の空気が一瞬で硬直した。誰もが息を浅くし、視線を前方に縫いとめる。金属の床に響く心拍の鼓動が、自分のものか隣のものか区別できなくなるほどだった。
笑いの余韻は霧散し、ただ戦場の匂いだけが残った。
キャメロンは口を開けかけたまま閉じ、ジョイは手袋の指先を固めた。ファイシルの笑みは凍り、アレクセイの視線は鋭く前へ向いた。胸の奥で、全員の心音が同じ速さで打ち始める。 葉巻の火がわずかに強く燃え、白い煙が糸を引いてほどける。
胸の赤いジョーカー骸骨のパッチが、機体の鼓動に合わせて、かすかに震えた。
銃の重みが現実を引き寄せ、ベルトの擦過が皮膚に線を残す。ジョイは手袋をはめ、キャメロンはゴーグルを額に上げる。アレクセイは弾倉を確認し、ファイシルは爆薬の留め具を締める。デルロイは皆の背中を一度ずつ見て、頷いた。マナイアは葉巻を噛み直し、火を指で潰して金属皿に置く。
「行くぞ。理由は要らねえ」
言葉は短く、確かで、軽い。だが、その軽さは、ずっと積み重ねられてきた重さの上にしか生まれない種類のものだった。
【<JW-01|μR#stop】
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【>JW-01.ANL|μR#open】
彼らは順に札を揃え、笑いながら抜けていく。
未来を口にするたび、場から一人ずつ消えていく。
順番は、遠い方から切れていく鎖だ。
言葉は軽い。だが軽さは、重さの上でしか跳ねない。
ジョーカーを抱えた者だけが、最後まで場に留まる。
――観測は続行。指標は更新しない。
【<JW-01.ANL|μR#close】
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