第3話 転機
僕は転生者で、もともとは日本に住んでいた。
大学を出て、有名企業だがその実ブラックという会社に勤めているうちに、餅をのどに詰まらせて死んでしまった。
その日、僕は上司に押し付けられた仕事をこなすため四十時間もの連続勤務を強いられたあげく、疲れ果てた身体を引きずるようにして会社を出た。
家に戻る途中、腹が減ってしかたがないからコンビニに立ち寄った。
疲れているうえに、甘いものには目が無い僕は、そこで見つけた塩豆大福の誘惑に抗い切れず、ついつい購入してクタクタの口に放り込んだ。よせばいいのに、三つも立て続けに頬張ったものだから、気がつけば息ができなくなっていた。
「あなたは本当に気の毒な人です。上司に押し付けられた仕事を、手を抜かずに粘り強くやり遂げたおかげで、命を落としてしまったのですから」
いつの間にか僕は暗闇の中にいて、どこからかそんな女性の声が聞こえてきた。
「えっ、僕は死んでしまったんですか⁉」
「はい、見事に餅をのどに詰まらせて」
その、『餅をのどに詰まらせて』のあたりで、小さな女の子の忍び笑いが聞こえた。
なんか失礼だな。って、これは夢なのか?
「夢ではありませんよ」
周囲が明るくなって、自分がギリシャ神殿のような場所にいることが分かった。
目の前には目が覚めるほどに美しいお姉さんが優雅な椅子に座っていて、その両脇には小さな女の子が寄り添っている。女の子達はとても可愛くて、背中のこぶりな翼でパタパタとホバリングをしていた。
(女神様と天使?)
笑っていたのは、この天使のような女の子達だった。
それはとてもリアルな映像で、細部に至るまで論理的な破綻もなく正確にモデリングされている。
(これは多分、本物だな)
となると、僕は本当に死んでしまったってことか……。
でも、死んだのに意識があるのって、なんか不思議だよな。
「ここは死後の魂を査定し、進むべき道を定める審理の場です。あなたはこれまで誠実に生きて、コツコツと努力を積み重ねてきました。それはとても素晴らしいことです。本来なら良き伴侶に恵まれ、幸福な人生を築き上げるはずでした。それがかなう前に亡くなられたのは、本当に残念なことです」
「そのように言っていただけるとありがたいです。努力を認められるのは、嬉しいものですね」
「あなたは本当に素直で良い人ですね」
「恐縮です」
「あなたが本来の幸福な人生にたどりつけなかったのは、実は私のミスでもあります。まさかあそこで塩豆大福を三個も頬張るだなんて、思いもよりませんでしたから……」
天使達がまたクスクスと笑っている。
「面目ありません」
「謝る必要はありませんよ。塩豆大福という変数を見逃して、対処が遅れたのは私ですからね」
「いえ、食い意地が張っていた僕が悪いんです」
「疲れた身体が甘い物を求めるのは自然の摂理です。自分を責めないで下さい。お詫びとして、あなたには異世界での幸福な人生を、特別にご用意しましょう」
「本当ですか!」
「はい。極めて豊富な魔力と卓越した魔法の才能を差し上げます。身体的な特徴は、前世の姿に近くなるように構築しておきましょう」
「今のままってことですか?」
「いえ、異世界ですから、全く同じという訳にはいきません。そうですね。均整の取れた筋肉質な体形はそのまま生かしましょう。後は多少変化させなくてはなりませんが、頭髪は栗色で、瞳は琥珀色。整った面長な顔立ちというビジュアルでいかがですか」
「今よりも良くなる気がしますが、いいのでしょうか」
「問題ありません。記憶はそのままにしておきますので、今度こそ良き伴侶を得て幸せになってくださいね」
「ありがとうございます。魔法を極めて、絶対に幸福な人生を築くと約束します」
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こうして僕は、中世ヨーロッパ風の異世界で、裕福な伯爵家の五男に転生した。
五男だから家督を継ぐ権利はないに等しいのだが、適度に放任してもらえるからありがたい。
家督を継ぐ立場であれば、高い教養と実務能力のほかに、複雑な礼儀作法も身につけなくてはならないから大変だ。長男と次男を見ていると良く分かる。朝から深夜まで家の仕事と勉強に追い回されて、息つく暇さえないのだ。
ところがこれが五男ともなると、それはもう緩いものだ。最低限の教養と礼儀作法を身に付け、伯爵家の恥にならない程度に振舞えれば良いのだから。
おかげで自由時間が多くて、好きなだけ魔法を勉強することができる。
もっとも、近隣には魔法使いがいなかったので、魔法書で独学するしかなかったのだが、女神様からいただいた魔法の才能のおかけで問題なく修得することができている。
おかげで僕は、幼い頃から難しい魔法を使いこなして、周囲から神童ともてはやされていた。
だから十五才で成人したら王立魔法学校に通って、将来は王宮騎士団の魔法騎士になることを夢見ていた。
ところが十四才になった頃、不意打ちのように不幸が訪れた。
領地の畑を荒らし回わるレッサードラゴンの討伐を任された時のことだ。
ようやく見つけ出したレッサードラゴンを討伐するためにファイアーボムを撃ったのだが、それが大暴走してしまったのだ。
手の平から放たれたファイアーボムは、直径数メートルもある凄まじい威力の火球となって、領地の大きな山を一つまるごと消し飛ばしてしまった。
後にも先にも、これほどの大暴走は経験した事がない。
唖然とはしたものの、レッサードラゴンを討伐したことはお手柄だ。山の一つぐらい消滅したところで、大したことではないと自分に言い聞かせて帰宅した。
ところが帰ってその話をすると、途端に家族が冷たくなって、家の中に僕の居場所がなくなってしまった。
後から知ったのだが、その山は領地にとって重要な資金源になっている銀鉱山だったそうだ。
おかげで僕の家は、貧乏な伯爵家に成り下がってしまった。
そりゃみんな、怒るわな。
だから十五才になって成人すると、独立という名目で体よく家を追い出され、仕方なく冒険者として生きることになった。
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テストを終えてギルドの訓練場からギルマスの執務室に戻ると、さっそく公爵令嬢と付き人の契約を交わした。
もっとも正式には、ギルドと公爵令嬢が付き人の派遣契約を交わし、僕とギルドが付き人業務の請負契約を結ぶという形になっている。
サインする前に内容を良く読めと言われて、請負契約書を手渡された。
ギルドはきちんとした組織で契約書のひな型もしっかりしているから、ギルド加入者の不利になるような間違いはしないはずだ。公爵令嬢を待たせるのも気が引けるので、ざっと目を通しただけでサインをした。すると契約魔法が、公正な契約がなされたことを証明する紋章を書面に刻印した。
契約書を返すと、ギルマスが僕の顔をまじまじと見つめた。
「アラン、大事な給料についての説明を求めなかったが、本当によく読んだのか?」
「いや、そこは信頼しているから飛ばしましたよ」
今の僕にとって何よりも大切なのは、ギルド資格を剥奪されないことだ。給料については、食べていけるだけあれば十分だし、その程度の金額は確保してくれているはずだ。
「お前な、冒険者にとって一番大切なものは報酬だろうが。サインする前にしっかり確かめておくべきだぞ。まあ、お前は契約慣れしていないから無理もないか。今から説明してやるから良く聞いておけ」
ギルマスの説明によると、公爵令嬢は付き人派遣の対価としてギルドに毎月金貨三十枚を支払い、ギルドは僕に給料として月に金貨二十一枚を支給する。つまりギルドは、手数料として三割を天引きした額を僕に支払うということだ。
金貨一枚を日本円に換算すると約十万円だから、僕の月給は二百十万円ということになる。これは悪くない条件だ。いや、『付き人』の仕事でこの給料は、破格の待遇すぎる。何かおかしいぞ。
「付き人の仕事ごときで、そんなにもらっていいんですかね?」
「付き人と言っても、お前の場合は公爵令嬢の戦闘補助が業務に入っているからな。それくらいもらっても不思議じゃないぞ」
戦闘補助が業務に入っているということは、実質的に勇者パーティーのメンバーになるということだ。
(それ、契約前に教えてよ!)
契約書をろくに読みもしないでサインをする自分が悪いとはいえ、そんな業務が説明もなく紛れ込んでいるなんて、まるで騙し討ちみたいじゃないか!
いや、違うか。日本で仕事をしていた頃は、騙されないように契約書は細部までしっかり読み込むのが常識だったよな。こちらの世界でも、同じように慎重であるべきだった。
しかし、これはまずいことになったぞ。
僕も歴代のパーティーメンバーと同様に、使えない勇者様の我ままな指示に振り回されることになる。
果たして、一年間も耐えられるだろうか。
「ギルドマスター、付き人のご紹介ありがとうございました」
契約がすむと、公爵令嬢は立ち上がって深々と頭を下げた。
「これはご丁寧にありがとうございます。お互いに利益になることですから、ご紹介できて良かったですよ」
「フレミングさん、付き人になってくださって、ありがとうございます」
公爵令嬢は明るく微笑んで、僕にも頭を下げてくれた。
「いえ、こちらこそありがとうございます。これからよろしくお願いします」
こんなに丁寧に接してもらえるとは思わなかった。この人はうわさ通りの我まま女ではないのかもしれない。
とはいえ、うわさがある以上は、何かがあると考えておいたほうがいいだろう。覚悟はしておくべきだ。
「では、公爵家の館に戻ります。フレミングさんはついて来てください」
「はい」
先に立って部屋を出る公爵令嬢のあとを、不安な気持ちを押し殺してついて行く。
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