第43話:広瀬 啓介

 DNA鑑定の結果が出たあの夜以来、オレの胸に引っかかり続けていたのは、やはり詩織のことだった。

 沙良から届いたメールには——「詩織が部屋に籠りっきりで出てこない」と短く記されていた。

 食事もまともに取らず、学校もしばらく休んでしまい、泣いて過ごしているらしい。


 心配で仕方がなかったが、今の状況でオレが軽々しく手を差し伸べれば、余計に拗れるのは明白だった。

 オレはじっと、詩織が少しでも気持ちを落ち着けてくれることを祈るしかなかった。


 ——数日後。


 会議の最中、秘書から内線が入った。

 「取締役、受付に“詩織さん”と名乗る高校生のお嬢さんがいらっしゃっています」


 胸が高鳴った。

 オレは即座に会議の残りを部下たちに任せ、自室へ戻った。

 「大切な知人のお嬢さんだ。しばらくオレの部屋には誰も入れないように」

 秘書にそう告げて、ドアを閉ざした。


 扉が開き、制服姿の詩織が立っていた。

 顔は赤く腫れ、瞳は涙で濡れていた。


 「……何故、パパは私のパパじゃないの?」


 その問いは、胸を刺す刃だった。


 オレは深く息を吐き、できるだけ優しい声で言った。

 「詩織ちゃんのDNA上の父親は、亮さんだよ。でもそれでいい。立派なお父さんじゃないか」


 詩織は首を振り、泣きながら叫んだ。

 「……私はパパが良かった! ずっと、パパが本当のパパだって信じてたのに!」


 嗚咽が部屋に響く。

 拳を握りしめ、オレは何度も言葉を探した。


 「……もうパパと何の関係もなくなっちゃうなんて嫌……そんなの絶対に嫌!」


 その叫びに、心の奥が揺さぶられた。

 私は机に肘をつき、しばし考え込んだ後で口を開いた。


 「それなら……詩織ちゃんのご両親が許してくれるなら、これからも遊びに来てもいいよ。電話で連絡をくれてもいい」


 詩織は涙に濡れた顔を上げた。


 「詩織ちゃんとは、生まれた頃からずっと一緒に過ごしてきた。だから……パパも、もう会えなくなるのは寂しい。

 でも、お父さんを傷つけるような形では駄目だ。だから、ご両親と話し合って……特にお父さんが許してくれるなら、それでいい」


 「……本当に?」

 詩織の声は震えていたが、瞳は必死に希望を追いかけていた。


 「ああ。本当だ」

 そう告げると、詩織は嬉し泣きに顔を歪め、声を上げて泣き出した。


 私は胸の奥が温かくなるのを感じながらも、ふと困惑した。


「しかし詩織ちゃんが、このまま泣いた顔で会社を出て行かれたら、オレは社会的に葬られるんじゃないかなぁ……?」


 そんな風に冗談めかして言うと、詩織はオレの表情を見てから涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、ふいに吹き出した。


 「パパってば……そんな心配してるの?」


 その笑いに、私もつられて小さく笑ってしまった。


 ——ようやく詩織を守りきれたようだ。

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