第37話:藤沢 沙良
詩織が十六歳を迎える直前の金曜日、私たちは渋谷から少し歩く新しいレストランにいた。
展望の良い高層階、窓の外には夜景が広がり、流れる光の帯が街を彩っていた。
普段のような完全な個室ではなく、区切られた半個室のようなスペース。
人影は少なく、静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
事前に毎年の恒例行事となっている欲しいものの確認を詩織にする。
「誕生日プレゼント、今年は何が欲しいの?」
私がそう尋ねると、詩織はにこりと笑って——とんでもないことを言った。
「パパが欲しい」
私は息を呑んだ。
「あなたまさか……啓介さんのことを好きになってしまっているんじゃないの?」
「もちろん好き。大好き。でも……パパだから。パパとして大好き」
詩織の真っ直ぐな言葉に、私は返す言葉を失った。
——パパとして大好き。
その強調が、かえって危うさを孕んでいるように思えてならなかった。
「……プレゼントを『パパ』にするわけにはいかないでしょう。じゃあ、それ以外で欲しいものは?」
しばらく考え込んだあと、詩織は瞳を輝かせて言った。
「パパが私に似合うと思うものを自由に選んで欲しいな」
結局私は、そのままの言葉を啓介に伝えることになった。
約束の時間、啓介はいつもの落ち着いた様子で現れた。
グレーのジャケットに身を包み、どこにいても自然と人目を引く雰囲気を纏っていた。
食事が進み、夜景がいっそう美しく見える頃合いに、彼は用意していた小箱を差し出した。
「誕生日おめでとう。これはティファニーの今年の新作だよ」
開かれた箱の中には、プラチナの繊細なペンダントが輝いていた。
「そ、そんな高価なものを……」
思わず絶句する私をよそに、啓介は穏やかに言った。
「もう詩織はこういうものを身につけてもいい年頃だ。オレは毎年新作の発表会に招待されるから、本店の知り合いに頼んで、今年のデザインを選んだんだ」
彼は立ち上がり、慣れた仕草でペンダントを詩織の首元に掛けてくれた。
冷たいプラチナが肌に触れると、詩織は両手で胸元を押さえ、瞳を潤ませた。
「……パパ、ありがとう……!」
涙が頬を伝い、彼女はそのまま啓介に抱きつき、頬にキスをしてしまった。
「パパ大好き!」
その光景を前に、私は胸の奥がきしむのを感じていた。
父と娘の枠を越えそうな危うさ。
けれど同時に、詩織が心から幸せそうに笑っていることも事実だった。
——その時だった。
ふと視線の端に、人影が動いた。
すぐ近くを、偶然通りかかったのは——亮。
私の息は止まり、血の気が引いた。
——どうして今、この場に……!?
亮の目に、この光景はどう映ったのだろう。
娘と「パパ」と呼ばれる男とが、夜景のレストランで祝杯を上げ、抱き合っている姿を。
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