第22話:藤沢 沙良

 詩織が小学五年生になる誕生日を前に、私はまた頭を抱えていた。

 彼女が欲しいと口にしたのは——スマートフォン。


 中学生でもまだ早いとする家庭が多いのに、小学生のうちから自分専用のスマホを持つとなれば、亮に不審に思われるかもしれない。

 けれど、詩織の目は本気だった。


 「どうしてそんなにスマホが欲しいの?」

 私が問いかけると、彼女は少し口ごもりながらも、はっきりと言った。

 「……ネットで、パパの名前で検索したいの」


 心臓が大きく鳴った。

 ——もう、この子は気づいている。

 毎年一度だけ会える“オジサン”が、ただの親切な人ではないことを。

 新聞に載るその名前を見つけて以来、調べてみたいと思っていたのだろう。


 私はどうすればいいのか分からず、結局、啓介に相談した。

 「……詩織がスマホを欲しがってるの。理由は、あなたが誰なのか知りたいから」


 電話の向こうで一瞬の沈黙が流れた。

 それから、彼は低い声で答えた。

 「……もう隠せることじゃないんだな」


 「私、どうすれば……」

 不安で声が震えた。亮に気づかれるかもしれない。詩織がすべてを知ってしまうかもしれない。


 「沙良」

 啓介の声は穏やかだった。

 「大丈夫だ。詩織は賢い子だ。いずれにせよ、いままで通り“年に一度の時間”を守り続ければいい。……大丈夫だよ。だから心配しすぎなくていい」


 その言葉に、胸の奥に張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。

 彼がそう言ってくれる限り、私は信じられる。


 ——隠し続けることは、もうできない。

 けれど、たとえどんな形でも、この約束だけは守り抜くしかない。


 誕生日の夜。

 新橋のレストランで、啓介は小さな箱を差し出した。

 「誕生日おめでとう、詩織ちゃん」


 箱を開けた瞬間、詩織の瞳が輝いた。

 そこには、彼女が求めていたスマートフォンが入っていた。

 「すごい……! 本当に、いいの?」

 その声に、私は複雑な思いを抱えながらも、ただ笑顔を作るしかなかった。


 ——この子は、必ず真実に近づいていく。

 その未来を恐れながらも、私はもう抗えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る