いつか、野垂れ死ぬカイコガ

 私はふんだんに愛されている。

 だから愛には閾値しきいちがあって、超えれば簡単に人を殺せてしまうと思った。



 訳あって、1ヶ月ほど入院した。両腕と首にギプスが着いて、身体の自由が無くなった。

 その間、母父妹の3人が入れ替わりで私の病室に居座っていた。


「ぷーちゃん、ママがリンゴ剥いてあげよっか? うさぎさんにするわね」


 医師の話を聞けよ、絶食期間中だぞ。痛っ、やめっ、詰まるっ……! 


「知らない人にトイレの手伝いをさせるのって気まずくない? ママが手伝ってあげるわ」


 やめろ! 来るな。来るな! ギプスで顎が動かない! ナースコール、ナースコールは!? あぁ……!!


「ぷーちゃんが好きかと思って、色々本も買ってきたぞ。パパが読み聞かせてあげよう。

 宿題の範囲も友達に教えて貰ってきたからな! 教科書も読むか!」


 眠らせてくれ。個室だからといってずっと話しかけないでくれ。


「おねーちゃん、ギプスしてていたいいたいだね。あ、わたしお絵描きしてあげる!」


 クレヨンで書かないで! それも赤と黄色で。あぁ、次来る看護師の目が怖い。


 私は1ヶ月もの間、慰み者になって愛されていた。


 ■■■■■


 1ヶ月ぶりに教室に入ったら、入口でクラスメイトに囲まれた。


「シオちゃん、大丈夫だったの? 生物室の窓から落ちたって聞いたけど!」

「へーきだよ、へーき。私、頑丈だから」


 寄ってきた一人に、ピースサインを見せてやる。そしたら、教室の奥の方から続々と顔が寄ってくるのが見えた。


「シオっちが入院って聞いて、ガチビビったわ。てか、包帯とか色々えぐっ。ミイラじゃん」

「やめろ、デコつつくなー。痛くないけどさぁ」

「荒川ぁ。コルセット巻いてっけど、まさか首逝ったん?」

 

 気だるげな男子から指さされ、ふと自分の見た目を省みる。

 確かに退院したと言うには、痛々しい見た目だろうか。私は今、全身包帯やらコルセットやらでぐるぐる巻きなのだ。それでも早く出なければ、気が狂いそうだった。


「いやぁ。頭から落ちちゃってさー、捻挫したんよね。数日絶食でさ、しんどかったわー」


 そんな軽口を挟むと、群れの一人が間髪入れず絶叫した。


「ええ、頭!? 頭から落っこちたん!?」


 一人が騒ぎ立てた途端、教室中が沸き上がる。誰かの口から漏れた甲高い悲鳴が、耳をつんざいた。

 各々が目を丸くし、口を押さえ、口を歪ませる。私より痛そうな顔をしないで欲しい。

 

「それで頭の包帯!? うわ、つついてマジで申し訳ない」

「うっそ、頭打ったの! 後遺症とか無い?」

「顔に傷なかったから案外元気そうだなとか思っちゃった……ごめん」


 瞬く間に、歓迎会は葬式へ変わっていた。返答の選択肢をしくじったと、今更後悔した。

 憐憫れんびんの視線が完膚無きまで突き刺さる。全身の傷痕を舐め回してくるようだ。群れは揃って、私の顔色を伺う。

 仕方が無いので、精一杯元気だとアピールしてやった。


「気にしないで! 全然痛くもなんともないからさ!」


 その場で数度飛び跳ねてみる。コルセットを巻いた首に振動が響く。痛みで呼吸が止まりそうになりながら、笑顔を見せつけた。

 しかし、私を見るクラスメイトの顔は怪訝そのものだった。


「でもさあ。そんなに色々巻いてるってことは、治りきってないんでしょ?」

「落ちた日にめっちゃ警察来てたじゃん。ほんとになんとも無かったの?」


 口々に質問を飛ばしてくる。一呼吸する度に鼓動が早くなった。思考が回れば回るほど、『今まで通りのシオちゃん』でいられる気がしない。

 実際一つ一つは否定できるのだが、一度植え付けられた疑心は簡単に消えない。

 次に私は何を言えばいい? 何分こんな話をすればいい? 一体、どうすればよかったんだ。


「おい、そろそろ始業だぞ。席に着け」


 ガラリと後ろの扉が開いて、頭上から声がする。

 振り返ると、担任の佐倉が居た。


 相変わらず佐倉はスラリと背が高く、入口で身をかがめる様は妖怪のようだ。角張ったメガネの下から、切れ長の目で私を見ていた。


「荒川、久しぶりだな。まだ治りかけじゃないのか?」

「お久しぶりです。そう休んでも居られないので」

「そうそう、休んでたあいだの配布物があってな。直接渡すぞ?」

「ああ、貰います。ありがとうございま……」


 佐倉の出した茶封筒が、私が出した左手首に当たった。


「──ッ!」


 手首の表面に、鋭い痛みが走る。取り落とされた茶封筒の中身は散乱した。


「すまん! 大丈夫か!?」


 佐倉の筋張った両手が、私に付かず離れずギリギリ触れない距離で浮いていた。


「だ、大丈夫です! 何ともないですから!」


 慌てて足元のプリントを集めて、クラスメイトと佐倉に笑いかける。

 クラスメイトの視線は私への憐憫の視線を向ける者と、佐倉への敵視を向ける者で二分された。


「はぁ……」


 少し安心した私は、誰にもバレないほど小さくため息をついた。


 5月の終わりにしては気温が高い。久しぶりに人と話したせいか少し体が汗ばんでいる。体が冷えとベタ付きで気持ち悪い。鳥肌も立ってきた。

 私は上に着ているブレザーを崩さぬように、ブラウスの胸元をこっそりつまんだ。



 □□□□□



 お昼になると気温はさらに跳ね上がり、夏もかくやの暑さであった。衣替え前の重装備では耐え難く、額から玉の汗が吹き出る。まして両手首には包帯、首には厚手のコルセットを巻いているのでそこかしこに汗が染みた。手首に張り付いた包帯が擦れ、治りかけの傷口を繊維が逆撫でる。

 あまりのうざったさに発狂しそうになる。しかし衆人環視の中、叫び出す度胸もないのでやめた。


 さて、お昼のチャイムから数十秒後。私はお弁当箱を抱えて、教室から消えた。内履きのまま玄関を抜け、人目に付かないよう校舎裏に回る。


 そこには、園芸部が管理している畑があった。こぢんまりとした畝に、不揃いな背丈の作物が植えられている。あとは倉庫と貧相な花壇があるばかりで、昼休みはいつも無人だ。

 用があったのは、畑の隅に佇むコンポスター。重箱みたいなサイズの弁当でも、こいつは一呑みにしてくれる。その上トイレに流すよりよっぽど生産的だった。

 いつも通りコンポスターの前に立って包みを開けると、スマホがキャッチーな通知音を鳴らした。SNSに10数件の通知が溜まっている。昼休みが始まって5分も経っていないのに。

 未読で放置すると予後がひどい。しばしの逡巡の後、その場にしゃがみ込んで返信を打ちはじめた。



『シオー!! 

 いまどこにおるん??

 はやくね?もう教室から出てったん???』


 ごめん、トイレ!w 

 マジ焦ってたからめっちゃ走ったw

 心配しないで!!


『ご飯誰と食べ行くか決まった?

 みんなで食堂に居るんだけど良かったら来ない?』


 今トイレいるから結構かかりそう!

 行けたら行く!先食べてて!


 『ぷーちゃんへ♡

 パパ、ぷーちゃんが心配で心配で( ̄▽ ̄;)

 午前中の仕事が手につかなかったよー( ߹ㅁ߹)

 だから早上がりして、ぷーちゃんを迎えに行こうと思うけどどう?(๑•̀ •́)و✧』


 パパへ

 私はとっても元気です!

 腕も全然痛くないのでちゃんと帰れます!

 心配しないでお仕事頑張ってきてね!

 ぷーより



 ああ、愛されている。


 ひたすら鬱々としている。定型文と化した返信をする度、思考力が減っていく。脳みそを鋭利なノミで削っている感覚があった。

 しかし、返信すればするだけ、次々返信が飛んでくる。互いに距離のある者同士のキャッチボールはやめ時をみつけにくい。続いて遅筆な人からの長文メールやらが届いてきて通知欄はむしろ微増している。私の頭までパンクしそうだった。


 終盤はかわいい系のスタンプ1個でお茶を濁し、どうにか返信をし終える。昼休みは、半分ほど潰えた。

 いつもこんな調子なので、お弁当を半分も食べられない。お弁当を残すと親に心配される。心配している親は話を聞かないし、この世の何よりも恐ろしい。


「……暇なのかな、みんな」


 空のコンポスターを覗きつつ、一人呟く。


「あなたが一番暇そうに見えるけれど?」


 数十分ぶりに聞いた人の声に、慌てて弁当を後ろ手に隠す。それと同時に振り返ると、女生徒が居た。長い黒髪を一つに結って、ブレザーを小脇に抱えたブラウス姿である。汗ばむ季節とはいえ、少々無防備にすら見えた。


「隠し事かしら? だとしたら奇遇ね。話したいことがあったの」


 彼女は一抱え程あるダンボール箱を軽く持ち上げて、微笑んだ。一体この子は誰だっただろうか。

 私がこの子をと評したのは、話した記憶が全く無いからだ。入学式からひと月だけとはいえ、私は大抵のクラスメイトに気にいられて連れ回された。だから、どんなクラスメイトの身の上話もうっすらと知っている。

 なのに、この子だけは本当に知らない。見かけただけで全然話をした覚えがない。クラスの片隅にいたはずだけど、名前も思い出せなかった。そんな事は初めてだ。あまりの衝撃に、一言も口にできないまま、私の目は彼女の微笑に吸い込まれていた。


 茫然とする私を見かねてか、彼女はクスリと吹き出した。


「ふふっ、黒道こくどうわかなよ。ごめんなさい、避けていたわけではないのだけど」


 わかなは、躊躇なく地面に正座して再び私に笑いかけた。もしかして、私に座れと言っているのだろうか。

 私は再びその場にしゃがんで目線を合わせた。


「あなた、生物室の窓から飛び降りたでしょう?」


 わかなはダンボール箱を撫でながら私を見上げる。悪びれず、容赦なく、包み隠さず聞いてくる。思わず体が強ばった。


「ただの事故だけど?」

「あのあと生物室が閉鎖されたのはご存知? お陰で羽化を見損ねたわ」

「羽化?」

「それに、他にも隠している気がするけれど」


 わかなの視線が私の左手首に注がれる。

 じっとりと額に汗が浮かぶ。


「愛されるって大変なのね。でしょう? 荒川あらかわ 秘宝プレシオスさん」


 額を拭おうとした手が止まった。いつぶりだろう、本名をするりと言われたのは。


「ほんとうにお蚕様みたいで可愛いわ。

 だから、埋め合わせをしてくれないかしら」


 微笑む彼女の手には、白いカイコが一匹止まっていた。

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