ライリー・ライリーはお手のもの

 



     ※



 名前は短い方がいい──最初依頼をしたとき、ムはそう言った。


 どうして? と訊く。うまく説明できないんだ、とかれは言った。


「記憶を復元した仮想領域ドメインでは時系列がバラバラになる。でも、複数人で没入ダイヴすると、必ず基本の座標軸となる人物がいるんだ。〝神の視点〟とも言うんだが、そんな大層なもんじゃない。

 だけど、ものごとはそいつの意識の流れで記述される。で、どうやらおれの時間遡行レンダリング能力の振れ幅はらしいんだ──」


 具体的には? わたしは訊いた。


「そうだな──だいたい千文字くらい、じゃないかな」

「なにそれ。千文字ってどれくらい?」

「さあな。こうやってくっちゃべってればあっという間に消えてしまうだろうし、その気になれば人ひとりの人生を丸ごと描くことだってできるはずだ」

「そういうものなの?」

「例えばさ、芥川龍之介の短編の密度はすごい。かれの筆に掛かれば、千文字で濃い人生が送れるはずだ」


 でも、事実を告げる言葉はとても単純だった。「意識不明の重体」──この単語の羅列だけで、何が起きたか分かってしまう。

 わたしはこのときほど、人の物分かりの良さを恨んだことはない。


「目的は、東雲しののめ愛梨沙ありさの記憶を探索し、犯人を見つけること。それでいいね?」


 わたしはうなずいた。


「もしかすると犯人じゃないかもしれない。それでも、真実が知りたい?」


 大丈夫。だってわたしは、


 オーケイ、とムは言った。


「契約は決まりだ、名倉由依。きみは自分の意思で、危険を冒す。おれがしくじっても法律上でそのことをカバーできないからね」


 うなずいた。契約は、それで成立。


 あとは淡々と記憶を探って、真実が明らかになるだけ──そう思ってたのに。


「どうした? それでおしまいかァ?」


 いま。わたしたちは。、息も絶え絶えになっている。


 何が起きたんだろう──わたしは必死に記憶の中に降り立ってからの記憶を辿りなおしている。でも、強いショックを受けたせいなのか、とても断片的にしか思い出せない。

 アリサ──そう、アリサ。わたしはアリサの記憶の中にいる。そのはずなのに。


 


「しろうとって感じだなァ、お嬢ちゃん」


 男はムの身体を蹴り飛ばして、わたしの前に降り立った。


「おれはコリアンダーってんだ。よろしくな」


 偽名だ、と思った。何の説明にもなってないじゃない。わたしはコ「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 男の顔が、突如ちぎれた。


 何? いったい何なの?


「あー」とボロボロの身体を起こして、ムは言った。「時間遡行レンダリングしちゃったかぁ。しかもドンピシャ。長い名前ってのは不便だねぇ」


 もはや見てられないほどのカタチになったその男の残骸を、ムは蹴り飛ばした。

 グシャ、という音が──「おい、あんまりを使うなよ、ユイ」


 え?


「いまのお前は記述者だ。〝神の視点〟なんだよ。東雲アリサの真実を調べたいんだったら、おまえがおまえ自身のをコントロールできないといけない」


 だから──とムは続けた。


「正しく記憶を遡るんだ。人によっては記憶保護プログラムを掛けている奴がいる。今回のターゲットもおそらくそうだ。だって財閥のご令嬢だもんな」

「その情報、どこから」

「知らないわけがない。東雲メディカル・プレスタイン財閥のひとり娘で、やり手だ。その昏睡状態を狙って、機密情報の一個や二個、盗もうって輩はいるはずだろ──」


 そうか。言われてみれば、そうだ。


「とりあえずもう少し周りを観察してくれないか。字数をケチれ、とは言ったが、ここがいつ/どこの記憶なのかを描写できなかったら、結局発掘したいお宝がどこにあるのかすら、わからなくなっちまうからな」

「わかった」


 わたしはできる限り意識して周囲を見た。


 まるでスキャンでもするみたいに、あたり一面の風景が具現化した。信号機があり、交差点になる。神社の前? 横断歩道に向かって開かれた鳥居があって、その階段を登った先に何かあるはずだった。

 お地蔵様がいる。

 別になんてことないはずなのに、すごく強い印象に残っている。あれはなんだろう。いや、それ以上にいまは何時いつだろう? わたしは空を見た。茜色の空。赤黒くなるような夕暮れの深い時刻が、雲と混ざり合って気持ち悪いほどの不吉な雰囲気を醸している。


 わたしは──アリサとここで何をしていたんだっけ?


「ん。上出来だ」とムは言った。

「これでほんとに良いの?」

「これほどの高い解像度で記憶を出力できれば、おそらくたくさんの〈不調和音パラ・ノイズ〉が出てくる。記憶の辻褄を無理やり合わせようとして出てくる破綻のようなものだ。そいつを糸口にしていけば、、その時何があったかを再現できるって寸法だ」


 わたしはムの言った含みに反応した。


「気づいてたの?」

「いや。これは職業柄、そういうもんだっていう経験則さ。依頼人は多かれ少なかれ記憶喪失みたいなもんなんだ。どんなに綺麗に復元した記憶にもほころびはある。人間はそのことに絶えず辻褄合わせをして自分が生きていることを肯定しようとするんだ」


 だが、とムは続けた。


「繰り返し思い出そうとするたびに、破損したり、意味が書き変わったりする情報がある。これが記憶と記録の根本的な違いだ。おれは記憶を専門に扱ってる。だからあえて訊くんだがね──」


 ムは初めてわたしの顔を見た。夕闇を背にした黒い影、その奥で輝く黒い目が、わたしを見透かしていく。


?」

「……え?」

「知らねーフリしても仕方ないけどな、あー、いや、ほんとに知らないのかもわからないが、名倉由依という名前の人物は、二〇六五年の住民管理台帳には載ってなかったんだ。つまり、物理的に〝名倉由依〟は存在しない。きみは、いったいだれなんだ?」


 わたしは──霞みそうになった。でも、ムは立て続けに手を伸ばし、わたしに触れた。リアルな感触が、わたしをわたしとしてもう一度実体化させてくれた。


「先に言うが、依頼は完遂する。そしておれはきみを契約主体として尊重もする。重要なのはきみが本当は何者で、東雲アリサとの真の関係性がどうだったのか、だ」

「わからない、わかんないよ……」

「ひとつ、仮説がある。というか、いまはそれしか手掛かりがないって意味だが」


 ムが言うことには、わたしは実はAIアシスタントなのではないか──と。


「東雲アリサは人形に名前を付けるのが好きだったらしい。彼女自身はAIアシスタントを複数同時実行して仕事を回すくらい、非常なやり手だったが、ひとつくらい、親友と名付けるくらいにプライベートを相談するアシスタントがあったっていい。それが自分のオーナーを助けるというプロセスは、ひとつの仮説として成り立つ」

「でも、じゃあなんでわたしは記憶喪失なの?」

「AIアシスタントの学習機能に制約がある。なんでかは知らんが」

「そんな……」


 アリサが、わたしに秘密を?


「それともきみ自身が忘れてしまったか、だな」

「……いじわる」

「すまんな。職業柄なんでも疑ってかかるクセがあるもんでね」


 悪戯っぽく笑う。そのしぐさが少年らしさすら感じる。


「さて、おれたちはこの風景のどこに向かえばいいんだね?」


 かれの問いに少し考えてみた。そして、特にこれといった記憶らしい記憶の筋道がないことにびっくりした。でも、その混沌からふと口を衝いて出た言葉に、さらに驚く。


「……帰りたい」


 どこへ?


 その思いがまるで記憶世界に新しい地平を切り拓くかのように、神社前の交差点から、さらに遠景に住宅地が広がっていった。


「ほう」


 ムが、面白そうに目を細めた。


「時代設定からすると、これは二〇三〇年代くらいの風景に近い気がする。きっと幼少期のなんらかの原風景なのか──」


 左右をキョロキョロ見回してから、かれはわたしに思いもよらぬ提案をした。


「神社に行こう」

「え?」

「きみは帰りたいのかもしれない。だが、可能な限り記憶の地形は頭に置いておいた方がいいんだ。探索可能なら、おれはまずそっちを見る」

「……わかった」


 横断歩道を渡ろうとする──


「危ない!」わたしはとっさにムを庇った。


 クラクションが疾走した。大型トラックが、急ハンドルを切って、神社の鳥居手前で蛇行し、なんとか進む。

 見れば、赤信号だった。

 何秒経っても、それは変わらない。


「……何か別の〈鍵〉を開けなきゃならんらしいな」


 かれはわたしを見た。


「きみは無意識にあの神社に秘密を隠している。そして、どうやらそこにおれを近づけたくないみたいなんだよ」

「そんな、どうして」

「きみ自身も恐れてるんだろう。真実を知ること、をね」


 かれの悪戯っぽい笑みは、わたしのささやかな気持ちを逆撫でした。


 カア、カア、と鴉が鳴いている。空から突然降ってきたような不吉な鳴き声だった。それがいきなり鳥居の上に立って、わたしたちを見下ろしている。ムはそのことに気づいて、眉をひそめた。


「ご機嫌を損ねたらしいね。記憶世界の辻褄合わせのノイズって、ああいうのを言うんだ。こういうのを避けたり、力付くで退かしたりしながら、おれたち記憶探索者メモリー・サーチャーは仕事をするんだな」


 さてと、ムは言う。


「カラスが鳴くからかーえろ」


 指差した方向──そこにわたしの〝家〟があるはず。

 その先に何があるのか、自分でもわからないというのが少し怖い。


 でも、アリサ、待ってて。

 ■■■は、必ずアリサを助けるから。

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