C-2グループ
フォルトゥナ、いのちを終わらせて
最大多数の最大幸福。
ヴァーチャルリアリティなるものはそれに資した。
現実に実現不可能な資源配分は、仮想の資源で補われる。
【FALL-TUNA】の登場で世界は一段歩みを早めた。
【FALL-TUNA】――脳を格納するための完璧な水槽。いくらかの電力をベースに、たくさんの世界を内包して、ばかみたいな理想を叶えるヴァーチャルリアリティの成れの果て。
いまや通常資源を使い生活をするのはずいぶんな奢侈品となって久しい。
最低限度の生命維持と、どっぷりつかった夢の世界。
これがとある島国の行きついた――今ある命を最良の形で推し進める、最後の幸福装置であった。
「ゆえに、夢の機構フォルトゥナを脅かすものはみな人類の敵である。我ら共通の夢の基盤を壊すものはみな、排斥されなければならない――だったかな?」
私は拘束されていた。
私が希望しない限り私の望み通りになるような世界で、私は私の希望しない姿をさせられていた。
斬首刑一歩手前。ギロチンの刃が今にも落ちてきそうな光景の中で、私を踏んずけて彼は語り続ける。
「不思議かい? 僕にとっては何の不思議もないけどね」
恐ろしいほどに落ち着き払った声色に、寒気が走る。
異常だ。異常でしかありえないのに、この正常さ。
どこからどう切りとったって、怖さしかない。
恐怖で言葉が口に出ない間も、彼は話つづける。
「要するに、うっすらと超えたがってるんだよ。君だけじゃあない、誰もが、ね。君は君という可能性の内側に飽きているんだ」
「……許されませんよ、自由の侵害なんて。他者の夢の侵蝕であれば、厳罰は免れません」
口が、慣れた言葉をなんとか紡ぎ出したところで、彼は変わらない調子で答え続ける。
「免れない? 君がそうしたくてそうしているだけだろう? ここはフォルトゥナ。君が望まないことはできない。そういうふうにできているだろう?」
――そうだ、そのはずだ。
希望だけでできた、私のためだけの世界たるFALL-TUNAの中である以上、望んだことしか反映されない。起きているのなら、望んでいることである。
だというのに、ちっとも望んでないはずのこの処刑される姿になっているのは不可解というほかない。
「不思議な表情だ。これは、望んだ姿とは違うとでも?」
「違う、違うはず。私はこんなこと望んでいない」
「なら、望んでいないことがどうして起きるんだい。信じるべき人類の友人、フォルトゥナの欠陥かな?」
ふわり、と笑って見せる。
その笑顔はずいぶんと計算されたように緻密で、見るものの心に忍び込むようだった。
「いえ、フォルトゥナに欠陥はありません」
ない。くちをついて出た。
慣れ切ったことばのひとつ。そうだ、私はそう課していた。
少なくとも、職務中は、フォルトゥナに欠陥はないものと思い込む。
「ああ、いい目だ。忠実な、実に人間らしい素敵な目だ。そうだろう、君はそういうふうに生きてきた。これからもそういうふうに生きていくんだろう? 波多江八千代懲罰官」
「言われるまでもなく――カジカ・レイ」
「おや、名前を知っていただけるとは光栄の至り」
「思い出しました。そうです。そうでした」
フォルトゥナは望んだものしか映さない。
だとするならば、この状況は私の望んだもの。
いったんの忘却まで織り込んで、望みつくしたもの。
フォルトゥナのとらえた望みはたったひとつ。
数百の命を終わらしめた、大自殺教唆犯カジカ・レイをとらえること。
「そのためのフィールドに適切だったのが、これだったということでしょう」
フォルトゥナの解釈の余地というものがある。
無ければ、到底人には望みがかなえられない。すべてをオーダーメイドできるようには人間の計算能力はできていないのだから、必然として補うような演算がなされる。オーダーのない限り現実に準拠して、その中で最大限、夢に沿ったフィールドを展開する、という建前。
「その通り。君自身が僕に対する撒き餌として機能している。君のユメの空間は、僕にとってそこそこに居心地が良いようにできていて、招くようにできていて、そして、それこそが君の心のバックドアでもある」
言わんとすることはわかる。
要するに、カジカ・レイをとらえるという夢を捨てない限り、カジカ・レイに殺されかけるユメはいつだって起動させられる。そしてこの大自殺教唆犯はどうしたことか、付け入る隙すべてに浸透するように現れる。
それこそが、彼の隙とも知らずに。
――フォルトゥナに潜る以上、彼は肉体的には精神離脱をしている。
フォルトゥナ内部でしか生きられない一般市民ならそれが十分な脅威かもしれない。されど私たちは懲罰官。
現実から忍び寄り、自然計算機たる脳を止めてしまえるだけの権限を、もつ。
『……聞こえるか。エリアを絞り込んだ。あと30秒で終わらせる』
私の命も終わりそうな光景の中であれ、優秀な現実側の懲罰官からの通信は、何よりも心強かった。
「そうか、現実から干渉しようというのかい。まだ人間同士関わるという概念は残っていたんだね。少しだけうれしい。人間といういきものであってくれたみたいだ」
カジカ・レイは、事態を把握して尚もその優位性じみた面を剥がさなかった。
「人間なんて、ずっとそうだったでしょう」
「そうか、そうだな――君はひとと人間の違いについて考えたことはあるかい?」
考えたことはない、場面によって使い分けるべき言葉であって、それ以上のものではない。厳密にはいろいろ区分はあるのだろうけれど、それを知ったところで私の幸福指数の針が揺れるわけでもない。
いろんな考えが数巡頭の中を駆け巡り……最後に職務的自己肯定感だけがその質問に答えさせた。
――なんでも良い。繋がるように言葉を紡げ。30秒稼げばいいのだ。
わかりやすい道。
これこそ私の
愛すべき報酬系タスクマシン。達成可能な、分割済みタスクの昇華。私が望む、やればやるだけ満たされる素敵な世界だ。
「言葉の違いでしょう。もっとも砕いたものがひと。少しだけ固くしたものが人間。でも、あなたは満足しないのだろうけれど」
「そうだとも。全然足りやしない」
一拍置いて、カジカ・レイは続けた。
「人間というのは、ひとのあいだ、という字を書く。ひとのあいだだ。あいだという概念は、前提に少なくとも両端という概念を持つ。二つ以上のものだ。一つの中に間は生まれえない」
「それから?」
「――人間は、ひとに退化した、ということさ」
話の飛躍が酷い。ついていけない。けれど知ったことか。
「退化なんて言葉は前時代的で非人道的よ」
「おやまあ、他人への言葉もずいぶんと当たりが強くなったね。フォルトゥナの反動かな」
「反動、ね」
ふと、飛躍に飛躍を重ねた会話は理解可能なものに戻る。わからない概念ではない。
「フォルトゥナの中ではなんだって許される。外ではそれほど許されはしない。そういう環境ならみんな好んで相対的に素敵なフォルトゥナの中にいるようになるだろう? 繋がりを廃し、孤立し、静止した、穏やかな終わりのためのフォルトゥナ。いきながら真っ直ぐに終わりを目指す機械はそのなかでこそ自らの想像力の限界を突き付け」
話の途中だ。けれどもうどうでもよかった。
「――30秒、ね」
どうだってよかった。けれど報酬系は満たされる。彼が消えることで、全てはハッピーになる。もしかしたら少しだけこの会話が刺激的だったかもしれないけれど――
【感情検閲済】
何も感じいる事は無く、淡々とこなす。
淡々とこなすことに確かな幸せを得る。
『特異反応カジカ・レイの脳を発掘、及びスタンドアロン処置、完了した』
現実側からの処理完了の連絡を受けて、タスクはすべて完了。
すくなくとも。
そのはずだった。
「――突き付けるからこそ、僕は生まれた。君が造りだした、君たち孤独なヒトが勝手に共鳴して作り出した共同幻想」
まだ、言葉は帰って来る。
現実からの情報と相違する。
「何をしているの? 早くスタンドアロン処置を」
『――処置済みだ。接続ができるはずがない』
事の発端は、フォルトゥナ自身の改善要望案だった。フォルトゥナのセキュリティの一部には侵食の余地がある。それから、その脆弱性をつく彼がいること。だから私たちはこうして彼を罠に嵌めている。はめおわった。想定通りに。
現実からアクセスを殺したはずだ。
――だがどうだ? 彼はどうして消えない?
完全に接続を隔絶した、フォルトゥナに干渉できるはずがない。
「――あなたは何?」
こぼれた言葉を彼は拾う。
「言っただろう。僕は共同幻想にして、ユメにひたったすべての脳を借り受けるもの。己で生み出し得ない不確定要素を望まれたもの。それとも、君の脳が知っている情報を開示した方がいいかい?」
一拍置いて、彼は、うたいあげた。
「大犯罪者、カジカ・レイ。フォルトゥナを通じた大殺人を引き起こしたもの。その数、発生からわずかひと月に、9万5963人。誰もが薄く受け入れる可能性があり、至急の排除を必要とする大犯罪者。一面的で、わかりやすい覚え方だね」
秘匿資料のはずだ。彼が、読み上げられるはずがない。関係者しか知らないはずの文言そのままの読み上げ。
「僕としては、こういう言い方で読んでほしいものだ」
カジカ・レイはうたい続ける。
「カジカ・レイは幸せに資する不確定要素。想像力の限界の外側から、ヒトを退屈と絶望から救い上げるやさしさの権化。ヒトが人間に戻るための介助者。さあ、僕に任せてほしい。
――まるで優しさみたいに、フォルトゥナの定義する幸せなんて、すべてこわしてあげるから」
大犯罪者の宣誓は甘美に響く。
幸せの見つけ方。イメージできる幸せの在り方。うっすらと抱いていた自身の想像力の限界を指摘され、どこかで本能がうけいれはじめようとす――
【検閲済】
るはずもなく私は、私たちはそのすべてに対処する。
今日だって、
たとえばこの命題に、疑問があったとしても――
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