野生のヤクザと出られないお嬢

 山と海、どちらが好きか問われ、男はとっさに「山」と答えた。名字に山が入っているのもあって、山のほうが好きだった。


 そして……



  ◯



「うっ……」


 朝靄の中、男は意識を取り戻した。


 頭がズキズキする。全身が痛い。上等なスーツと革靴が、草や土で汚れている。


 何よりも、頭上から聞こえる若い女の声が耳障りだった。


「かえかえ〜! 皆さんどうも、おはこんばんちわー。オカルト系配信者の戸隠カエデでっす。今、緊急で動画回してまーす」


 十代後半くらいの少女だった。男に背を向け、自撮り棒に取り付けたスマホへ手を振っている。


「さて、本日も伝説の人喰いツチノコを探す予定だったので・す・が!」


 くるり、と少女は振り返ると、倒れている男へスマホのカメラを向けた。ぱっちりとした大きな目が特徴的な美少女だった。


「見てください! 野生のヤクザに遭遇しました! この山って、ヤクザまで住んでいるんですねー。カエデ、びっくり!」


「……!」


 少女の顔を目にした瞬間、男はハッと息を呑んだ。彼女とよく似た女性の記憶が、頭の中で断片的に浮かぶ。


『テツ!』


 男に気づき、振り返る女性。紅葉柄の、淡い色合いの着物が目を引く。


 屈託なく笑う女性。


 直後、銃声が響く。女性の体から血が吹き、着物が真っ赤に染まる。


 倒れる女性。男はわめきながら駆け寄り、女性を抱え上げる。女性はひとこと二言つぶやくと、儚く微笑み、息絶えた。


「お嬢!」


 無意識に、そう呼んでいた。全身の痛みを忘れ、少女へすがりつく。


「生きとったんですね! 良かった……!」


「お、お嬢?」


 少女は目を白黒させた。


 明らかに、男を警戒している。スマホの画面でも『お嬢?』『お嬢?』『お嬢は草』とコメントが流れていた。


「あ……」


 その反応を見て、男は冷静さを取り戻した。確かに顔はそっくりだが、左目の下に泣きぼくろがない。


 それに、格好も違う。着物を好み、つややかな黒髪をきっちり結っていた「彼女」とは異なり、少女はピンクと紫に染めた髪をツインテールに結び、キャラクターものの蛍光色のパーカーを着ていた。


 よく似た別人だった。


「すまねぇ、間違えた」


 フラフラと立ち上がる。


 朝靄は晴れつつあった。男が倒れていたのは崖下で、周囲は鬱蒼とした森に囲まれている。街どころか、民家すら見当たらない。


「早く……下山しねぇと……」


 太陽を頼りに、街がありそうな方角へ足を踏み出す。すると、「待って!」と少女に引き留められた。


「せめて、インタビューくらいはさせてよ! お兄さん、名前は? 老け顔だけど、年いくつ? お仕事は何を? そんなシティーヤクザ感あふれる格好で、この山にどんな用事が?」


「俺は……」


 男は少女の質問に答えようと、口を開く。開いて、そのまま固まった。


「俺は……誰だ?」


 記憶がなかった。自分の名前も、年齢も、職業も、何をしにこんな山奥へ来たのかも分からない。


 唯一思い出せたのは、少女にそっくりな着物の女性を大切に想っていたことと、その女性は銃弾に倒れ、息絶えたことだけだった。



  ◯



「誰だ、って……覚えてないの?」


 男の答えに、少女も口をぽかんと開いた。


「あぁ。何も思い出せない」


「それって、記憶喪失ってやつじゃん!」


「だろうな」


「ガチ?!」


 少女は驚き、


「バズり確定ネタきたー!」


「は?」


 嬉々として、男の顔へカメラを向けた。


「速報! 野生のヤクザは記憶喪失でした! この顔に見覚えのあるリスナーのみんな、情報求むー!」 

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