殺した相手に残機があった場合、殺人未遂は適用されるのだろうか

 ドキドキとうるさい心臓を抑えつけ、私は深く、しかし静かに息をする。

 そう、静かにするのが大切だ。

 ほんの小さな物音でも、は簡単に目を覚ましてしまう。


 私は、逆手に握った短剣を振り上げた。


 安らかな寝顔に、心がずきりと痛む。

 けれど、暗殺これが私の仕事だ。

 短剣を握る手に震えはない。


 だから、そのまま思い切り振り下ろした。




 ◆




「実は昨日、殺されちゃったんだ」


 早朝、宿の食堂に仲間全員を集め、勇者のヘラクはそんな爆弾発言を繰り出した。


「……どう見ても生きてるように見えるんだけど」


 遠慮がちに事実を指摘したのは、魔術師のアロマだ。


「うん、今は生きているからね」


 ヘラクは気を悪くした様子もなく、やはりいつも通り微笑んだまま首筋を撫でた。


「生きてるって……いや、どういうことだよ?」


 戦士のレイがそう問い掛ける。

 すると、ヘラクはテーブルの下から真っ赤に染まったシーツとシャツを取り出した。

 瞬間、周囲に広がったのは違えようのない鉄錆の香り。戦場以外には似つかわしくない赤色。

 布地を染めているのは間違いなく血液だった。それも、未だ乾かず周囲に香りを漂わせる程度には新鮮な。


「っ!? すぐに治療を」

「大丈夫、もう治ってるから」


 確実に致命へ至る出血量。

 すぐさま立ち上がった神官のミリアを、やんわりとヘラクが制止する。


「実は昨日の夜、首を刺されたみたいでね。起きたらこんなになってて驚いたよ」


 ははは、と笑い出しそうな雰囲気のヘラクに、私はドン引きしていた。




 ◆




 私はティル。

 魔王陛下直属の暗殺部隊である。

 仕事は言うまでもなく暗殺。

 そしてその暗殺対象は人族だ。

 角や鱗が生えていたり、肌の色が異なる他の魔族と違い、生まれつきの特徴が人族と近かったため、特別に訓練を受けた暗殺者として育てられた。


 魔族と人族は、永く争っている。

 しかし近年、魔族優勢で進んでいた戦局が逆転し始めた。

 その原因は、人族から現れた勇者ヘラクと呼ばれる男。一騎当千と呼ばれる勇者には、たった一人で戦局を動かす力があったのだ。


 もちろん、魔族にとって勇者は目の上のタンコブに他ならない。

 故に、暗殺部隊たる私は命じられた。


『勇者を殺してこい』


 いかな勇者とて、戦場の外ではただの人。

 増して相手が仲間なら油断もするだろう。


 そうして、シーフとして仲間に潜り込んで約一年。

 ようやく目的を果たした私は、確かな達成感を胸に宿のベッドで目を覚ました。

 聞き耳を立ててみるが、未だ騒ぎになっている様子はない。しかし、それも時間の問題だろう。


 騒ぎに乗じてこっそり逃げ出そう。


 そんなことを考えていた私の目に飛び込んで来たのは。


「おはよう、ティル。今朝は早いね」


 いつも通り優しげに微笑む勇者の姿だった。




 ◆




 何だこれ。何か起きている。

 私は確かにヘラクを刺し殺した。

 心臓が止まったのを確認してから部屋を出たのだ。それなのに。


「ど、どうなってるんですか……?」


 立場も忘れて思わず問い掛けると、ヘラクは一つ頷いてから口を開いた。


「簡単に説明すると、僕には幾つか命があってね。何度かは死んでも生き返るんだよ」


 しんでもいきかえる。


「つまり……殺されても?」

「そう」

「首を刎ねられても魔法で焼かれても?」

「何でも生き返るかは分からないけど、その二つは大丈夫だったね」


 おい誰だ一騎当千にそんなふざけた能力持たせたの。


「最近は強くなって滅多に死ななくなったから、みんなには言ってなかったんだ。ごめんね」


 私以外も驚いているので、どうやら全員知らなかったらしい。当然私も知らなかった。というか知ってたら暗殺なんて実行しない。


「それで本題なんだけど」


 ここで初めて、ヘラクから表情を消えた。

 自然と引き締まる空気に、私も思わず姿勢を正す。


「僕を殺した人は、この中にいる」


 冷気にも錯覚するような威圧感を撒き散らし、勇者は厳然と断言した。


「こ、この中って……魔族の仕業じゃないんですか?」


 声が震えないように喋れたと思う。

 もし震えていても、この状況なら違和感は持たれないだろう。


「いや、考え難いかな。宿にはミリアが結界を張ってくれていたし、部屋に知らない相手が入って来たら気付くよ」


 ミリアの結界は強力だ。外部からの侵入は難しいし、強引に破れば気付かれる。

 部屋に入ったら起きるのもその通り。仲間になったばかりの頃、部屋に忍び込んだら普通に起きられて死ぬほどビビった記憶がある。お陰で宿が変わる度に部屋を間違えるドジっ子キャラになったのだから、忘れるわけもないが。


「できたら、正直に話してほしいな」


 やばい。

 やばいやばいやばい。

 何がやばいって逃げ場がない。


 これから始まるのは犯人探しだ。

 宿は未だミリアの結界で閉じられている。

 内側からなら何とか破れるが、その後逃げ切れるかは別の話。具体的には、一騎当千とのデスレースが始まる。


 無理だ。絶対死ぬ。


 この状況を乗り切る方法はただ一つ。

 他の人間に罪を押し付ける。


 やるしかない。

 何とか冤罪を生み出すのだ……!

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