第三回 おとーふコロシアム

AIR-MOVE!!

　模擬戦で、クロスボールに向かって跳んだ刹那。

　爆発的な衝撃で、一瞬、意識が明滅した。

　なんとか身を起こし、口に入った土を吐き出す。背中の汗が冷たい。耳鳴りがする。悲鳴、駆け寄る人の足音。その先に目を向け、息が止まる。

「兄、さん？」

　ゴールポストの前。

　うつ伏せに倒れた祐平兄さん。

　彼の苦痛と混乱に揺れる双眸が、自らの足に向いている。

　足が、全く動いていなかった。

　＊

　俺の膝が祐平兄さんの腰に入った時、腰椎が粉砕骨折したらしい。下肢の完全麻痺も疑われた重症だったと聞いた。

　全日本選抜（ナショナルトレセン）の経験もした程の、才能を。

　祐平兄さんの輝きを、俺は──

　＊

　なのに、兄さんの代わりにサッカーを楽しむなんて

　＊

　それから三年が過ぎて、俺は高校生になった。

　祐平兄さんの実弟であり、幼馴染で同輩の涼太が遊びに来ている。彼は俺のリフティングを見ながら、神妙に頷いていた。

「そろぼち、フリースタイルやろうぜ」

　何度目かわからない提案だった。

「絶対やだ」

「マジなんだけどなぁ」

「こっちもマジで嫌」

　つま先からふわり、浮かしたボール。その周囲で右足を一周させてから、ボールを地面に落とすことなく次の技につなげる。

　涼太は物欲しそうなため息をついた。

「もったいねぇ」

　彼のいうフリースタイル・フットボールは、サッカーで用いる技術を『魅せる』ことに特化したもので。確かに挑戦したい想いもある。

　でも、この狭い庭でずっと、独りでリフティングの技術のみを磨くだけで。それで満足するべきだと思う。

　だって、祐平兄さんはまだ、リハビリをしているのだから。

「独りでやるのがいいんだよ」

「本当？なんか半端じゃね？サッカーやめねぇって兄さんに言ったのに」

「やめてないじゃん」

「それが必要最低限って感じで、中途半端くさいんだよ」

「……祐平兄さん、まだボールも蹴れてないだろ」

「うーんなんか、なぁ、お前メンドイなぁ」

「うるせーな」

　珍しく、涼太は呆れたようなため息をついた。縁側に仰向けに寝そべって天を仰いでいる。なんだか気が削がれた感じがして、俺はリフティングをやめた。

　春の終わりの風が、地に落ちたボールを少しだけ押した。

「……あ、そういやぁなんだけど」

　ガバッと涼太は身を起こして尋ねる。

「スパイクがダメになったんだよ。下我澤（しもがざわ）まで付き合ってくれん？今週日曜！」

「えらい急じゃん。べつに問題ないけど」

「ありがとう、さすが」

　人の好さに絆されて、思わず口角が上がる。涼太が急な奴なのは昔からだ。だから、まさかこれが、策略だとは知る由もなかった。

　＊

「だって、お前こうでもしないと来ねぇじゃんな」

「にしても、嘘までつく？」

　混乱から思わず声が裏返る。

　駅前の広間の一角にいた、サッカーボールを持った連中。フリースタイラーの前に俺を引き出して、お前はなんて言った？

　こいつが前話した、俺の幼馴染っす！じゃねーよ。

「よろしく！」と言ったら「聞いてませんが」とスカされた彼らの気持ちも考えてくれよ。気まずいだろ。なんか俺のせいみたいじゃん。

　もう帰ろ。涼太は謝ってくるまで無視しよ。

　踵を返し駅に向かう。が、涼太に袖をつかまれた。

「逃げんな逃げんな、もうえぇだろ、そーゆーの」

　真剣なのに面倒くさそうにも見える、表情と声音。急なテンションの差に困惑を隠せない。

「はぁ？」

「兄さんがな、お前には言うなとは言ってたけど。はぁ、本当に面倒くせぇ。翼も兄さんも、どっちも」

「……」

「えぇとな、翼。お前がサッカー楽しめなくなったのは自分のせいだって、兄さんは感じてるんだわ」

「え？」

　これだけは聞き捨てならない。なぜ兄さんが俺に対して負い目を感じる必要がある？

「そんな、加害者は俺だろ」

「俺はな、兄さんの気持ちの話をしてるんだぞ」

「あ……」

　心臓が跳ね上がる。

　────サッカーやめんなよ！

　茶化すように一回だけ、入院中の祐平兄さんに言われたことを思い出した。

　兄さんの本気のお願いだったとしたら。でも、俺はその言葉を今の今まで、自分を罰するために使ってきた。それに今、気づいてしまった。

　涼太は俺の腕を離す。足元に偶然落ちていたボールを足で掬い上げる。俺に対して、浮かせてよこす。

　咄嗟に、癖が出た。右足の指の付け根で、勢いを殺すように受け取る。そのまま足の上にボールを乗せっぱなしにする。

「とにかくなぁ、やりたいことやって楽しくいこう。兄さんもそうしてる」

　涼太には、俺たちの板挟みで嫌な思いをさせてしまっていたのかもしれない。

　ずきりと心臓が重くなった。

「……わかった」

「ん」

「一回な。一回楽しむ。その後は少し考えさせてくれ」

　答えを聞くと、涼太はパッと晴れやかな表情になった。ここ最近で、一番幸せそうだった。

「それで充分だよ！」

「ぐぇ！？」

　そして、涼太は僕の背中をおもくそ叩いて、フリースタイラー達の前に出させる。よろめいた拍子にボールが足から滑り落ちて、前へ走っていく。

「がんばれな」

　その小さな呼びかけが、ひりつく背中に染みこんだ。