第3話
レイさんはとにかく何でもマルチにできる人なんだな、とある程度一緒に暮らしていると分かった。
レイさんが敷地内でやっている家庭菜園(こんなおしゃれな豪邸で唐突に畑が出てきてびっくりした)のお世話は暇な私が引き継いだ。素人ながら丁寧にお世話されていたのがわかるし、よく多忙なのにそんな時間が捻出できるな?と思った。
それから私が電化製品の調子が悪いといえば翌朝には直っているし、レイさんが読んでいる本や資料がそこら中に散らばっていてそれを片付けているけれど、英語だけじゃなくて他の国の言葉も頻繁に出てくる。
何ヶ国語できるんですか?と聞けば、悩んだ挙句読むだけなら調べながらでもどうにでもなるよ、と言われびっくりしてしまった。
あれ?もしかしてこの人相当すごい人なのでは?
レイさんに恐る恐る経歴を聞いてみたけど、海外の大学へ行ったことまでは分かったがそこから先はちょっと理解できなかった。
医師になろうとしたけど研究の方が向いてると思い、医師資格も一応とりながら並行して薬関係の勉強と研究をして就職、ということをざっくり理解した。まあだから医者と言っても資格あるだけだし薬関係の方が詳しいよ、と言われ、医者の資格がおまけのように扱われていて私は混乱した。
私なんて5教科だけでずっと苦しんでたのに、さらに何個も何個も勉強しているなんて。できる人はすごいなあ。
「レイさんって、できないことあるんですか?」
夕食後のちょっと一息つける時間に質問した。レイさんはコーヒーのカップをテーブルに置きながら、声を出して少し笑った。
「あるよ。たくさんある」
「最近一緒にいて思うんですけど、何でもできますよね?」
「うーん、そう思ってもらえるなら嬉しいけど、泳ぐのも苦手だし、あとは……」
立ち上がって、リビングの一角に飾りとして置かれていたギターをレイさんが手に取る。お掃除していて思ったけど、もちろん高くていいやつだ。それを持ってソファに座って足を組み、ギターを鳴らす。
「え!弾けるんですか?!」
「兄の趣味でね、教えてもらって……」
確かめるように音を鳴らしながら、だんだんと演奏に入っていく。
――上手い。私もちょっと弾けるけど、ここまでじゃない。あれ?これって難しいバンド曲じゃない?
歌のパートにそろそろ入る。私がワクワクして身を乗り出す。レイさんがニヤリと笑って歌い始める。
……音痴だ。音程もリズムも全然取れてない。
歌唱が難しい曲だということを踏まえても、なかなかの音痴っぷりだ。本人も弾きながらあれ?という顔をし、時々止まって確認してから再スタートしている。
1番を何とか終えて、私は歌い終えたレイさんの頑張りに拍手を送った。
「ね?ひどいでしょ」
苦笑しながらレイさんがギターを脇に置く。
「でも、ギターうまかったです!びっくりしました。あと、レイさんみたいな何でもできる人がちょっと音痴なの、なんか、かわいい」
「か、かわいいかな……」
レイさんがちょっと困惑気味の表情を浮かべる。私は横に置かれたギターを、再度レイさんに手渡した。
「ね!今度は私が歌いたいです!レイさんに弾いて欲しい!」
「いいね」
そう言ってレイさんが弾き始める。可愛くてポップなアイドルの曲だ。さっきのバチバチのバンド曲とは正反対だ。
「何でその選曲なんですか?いいですけど……」
「かわいいから」
弾きながらそう意趣返しのよう言われて、私は笑った。
レイさんとは結構うまく生活できている方だと思う。
実家にいたときは気が休まる暇がなかったんだ、と最近気付いた。
私の親は農業をやっていて、それを末っ子長男の弟に継がせるつもりなのに、弟には畑仕事を手伝わせることはなかった。
私にだけ家事や畑仕事をさせていて、進路も縛って家から出すつもりはなかった。家の中でも私は褒められもせず、馬鹿にしたり愚痴を吐かれたりなど、感情のサンドバッグの対象だった。
レイさんはとにかくいつも落ち着いていた。感情的になることはなく、私がポンコツなことをしても怒りもせずサラッと対処してくれる。
レイさんと一緒にいるときはとても平和なので、他人へのリスペクトがあるとこんなに楽なんだ、と思えた。やっぱりあの家からは早めに出よう。
やたら休む時間があるので、そう落ち着いて考えることができた。動きたくて何かしたくて、学校の授業に遅れてしまうことにソワソワする気持ちだったけれど、最近は自分のことに目を向けられるようになっていた。私、やっぱり疲れていたんだ。
もうすぐ約束の1ヶ月になるが、そんなことを考えていた矢先、また熱を出してしまった。風邪症状があるわけではなく、ただただ体がだるい。
「うう、レイさんごめんなさい……」
私の寝ているベッドの横で、パソコンのキーを叩くレイさんに謝罪をする。普段は裸眼のレイさんだが、パソコンを操作するときだけメガネをかけている。それに画面の光が反射して光っていた。画面から目を離さずにレイさんが答える。
「何で?ちゃんと体調悪いの教えてくれて良かったよ。約束の1ヶ月経つから外に出たいって、そのために体調不良隠されるよりは、全然」
この間の脱走事件を指しているのだろう。私が何が何でも外に出たいからって 嘘をついたりされるよりはいい、と突かれている。
「その節はご迷惑を……」
「ごめんちょっと嫌味だったね。ホノカちゃんって結構熱出しやすいタイプ?予防接種のあと、熱出しちゃう、みたいな」
パソコンから目を離し、体ごと私の方を向く。
私は記憶を辿る。どうだろう、そもそも最近病院へ行ってないなあ。そういえばインフルエンザのワクチンも打ってないんじゃないだろうか。
「うーん、最近ワクチン打ってないので覚えてないです……結構健康には自信ありますし……」
「…………そっか」
レイさんはメガネを外して眉間を揉む。
今日は仕事を在宅に切り替えて、ずっと私の隣にいてくれている。
ちゃんと寝ているので心配しないでほしい、忙しいのに申し訳ないと伝えたが、何かあったら不安だから側にいたいと言われた。
そう言われたら前科もあるし何も言えない。私は大人しくベッドで寝ることにした。
正直レイさんってかなり過保護だから家の中に監視カメラとか備え付けてるんじゃないか、それで遠隔で私のこと監視してるんじゃないか?と思ったけどそうではないらしい。もちろん豪邸なので、外には監視カメラ付いてるけど。
「じゃあやっぱ疲れてるのかな。ゆっくり休んでね。私のことは気にしないで。隣にいてくれる方が仕事捗るから」
「それも、嫌味?」
私が聞くと、レイさんはフッと笑ってメガネを掛け直し、パソコンに視線を戻す。
「離れてると心配で手につかないから、近くで状態見れると安心するよってことだよ」
「そっかあ」
何だかくすぐったい。体調を崩せば邪険に扱われるのが普通だったので、心配されるとどうすればいいかわからない。
パチパチとキーボードを叩く音を聞いていると段々眠たくなってきた。
「レイさん、何で私にこんな良くしてくれるんですか?バイトだから?」
「え?」
「迷惑じゃ、ない?全然役に立ててないですよ、私」
「え、そんなことないよ。料理も上手だし、家事も隙がないよ。それに家庭菜園とかやっぱり私より全然知識あるよね。庭でアボカドって育てられるんだね」
早く食べたい、とレイさんが呟く。(ちなみに植えてはみたが育つかどうかは分からないとも伝えてある)
私はホッとした。役に立ってないわけじゃなかった。
「うーん、何でそんなにホノカちゃんに良くするか、か。うーん……そうだね……」
レイさんは机から離れ、足で床を蹴り椅子ごとクルクル回る。うーん、うーん、とうなる声が聞こえる。あれ、私もしかして変な質問をしちゃった?
「良くしてるつもりないかも。でも、相手がホノカちゃんじゃなかったらしてないかな」
「?ちょっと、難しい」
うとうとして眠気に支配された頭では難しい。だよね、とレイさんが呟く。
「ホノカちゃんは特別ってことだよ」
私が?特別?不思議に思ったけど、そこで限界だった意識が途切れた。
私が元気になったら家に戻るから、レイさんとの生活も終わっちゃうのかあ。それはちょっと、とっても、寂しいかも。あの家に戻るの、嫌だなあ。
でもずっとここにいるのもレイさんに迷惑だし。相談したら家に置いてくれるかな?……そうするためにはお金が必要だ。
レイさんのお家に仮に住まわせてもらうなら、やっぱり今やってるバイトは続けなきゃダメだ。
親もすごく怒るだろうな。弟の受験期間は良くても、それが終わったら引き戻したいだろう。まあでも学生の期間だけ我慢して、お金を貯めてさっと出ちゃえばいいか。
――こうやって自分に考える時間ができてありがたいな。倒れたのも、良いきっかけだったのかも。レイさん、ありがとう。
***
「……寝た?」
スヤスヤ寝息を立て始めたホノカちゃんを見て、安心した。
朝、真っ青な顔で具合悪い、と言われた時には心臓が止まるかと思った。今のところ熱だけで他の症状はない。恐らくストレスからの一過性のものだろう。
ここ最近は元気そうだったので安心していたが、やはり今日の様子を見ているとまだ通常の状態だとは考えにくい。一ヶ月と言ったけれど、まだ安静にしてほしい。納得してもらえるだろうか。
「学校、ね……」
ホノカちゃんは学校に通おうとしているけれど、正直単独行動をせたくない。学校まで車で30分ほどかかるようだし、道中何があるか分からない。今の状態で行かせるのは本当に危険だ。どう納得させよう。
ズキズキと頭が痛む。ここ最近、慢性的な頭痛に悩まされている。原因は分かっている。ストレスだ。しばらく耐えれば治るが、煩わしい。薬を飲むのすら面倒臭い。
「……はあ」
ノートパソコンを押し除けて、ガラスのテーブルに額をのせる。冷たくて気持ちがいい。
ホノカちゃんに目線を向けると、相変わらず幸せそうにスヤスヤ寝ている。この空間だけを考えれば、スヤスヤ眠る彼女の隣にいれて、何て幸せなんだろう。
何だか、私も眠たくなってきた。頭痛が治るまで仮眠を取ろうか。メガネを外してテーブルの上に置く。近くのソファに横になり、天井を仰ぐ。
ホノカちゃんは私にとって特別な子だ。失ってはいけない。眠っている間にホノカちゃんに何かあれば、彼女の腕についているスマートウォッチから通知が来て、アラームで私は起きるだろう。正常に作動していることを確認して私は目を閉じた。
「おやすみ」
小さく呟いた言葉の後に、ホノカちゃんのスヤスヤとした寝息が聞こえる。そのまま頭痛とともに私は眠りに落ちた。
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