叔母の話相手

かたなかひろしげ

順番

「なんで俺が叔母さんの相手をしなくちゃいけないんだよ!」


 俺は母に多額の借金をしている。そんな母は、はんば面倒ごとを無理矢理押し付けるように、叔母の面倒をみることを俺に押し付けた。

 いくら電話口でぼやいていても仕方がない。母に借りている金の利息だと思えば安いものだ、と俺は自分で自分を納得させ、叔母の入院する病院に日参し続けていた。


 そんな日々の中で、俺はとあることに気がついた。

 叔母は病床で、そこに存在しない誰かと会話を始めるのだ。


 叔母がそうして、そこに存在しない誰かと会話している時にだけ、叔母は少しだけ俺の問いかけに反応を示してくれた。なにせ本人は末期の認知症患者であり、ただでさえ遠縁の俺の顔すら忘れているどころか、普段はまともに会話すら成立しない有り様である。張り合いがない見舞いの日々の中で、少しでも会話が成り立つのは、地味にありがたかった。


「叔母さん、今日は誰と話しているの?」


 俺がそうして尋ねると、その時だけ叔母は矍鑠かくしゃくと返事をくれる。会話相手は、息子の嫁であったり、親戚の従兄弟であったり、と叔母が若かった時に付き合いのあった人間ばかりである。どんな話をしているのかを、彼女は詳細に説明してくれた。


 興味を覚え、それらの人達の現在の様子をそれとなく調べてみると、皆しっかりと生きている。あの世の人たちと会話するにはまだ早い、ということだろう。彼女は彼女の記憶の中の、その人達と会話をしているのだ。



 俺は病院屋上の一番隅に申し訳程度に設けられた喫煙コーナーで、紫煙をくゆらせながら、しみじみと思いを馳せる。


 俺は今まで、クズのような人生を送ってきた。だがあの人は、そんな俺みたいな人間とはまるで接点のない、人の当たる明るい人生を送ってきたことが、会話の端々から読み取ることが出来た。人を疑うことを当初から放棄したかのような、優しい会話の数々。もしも、俺もあんな女が母親でなければ、こんな風な人生を送れる可能性があったのかもしれない…… 


 いや、それはないか。俺は短くなったマイセンを缶珈琲の空き缶にこすり付けて火を消した。このタバコのように名前だけ変わっても本質は変わるまい。



 ───そんな日々を惰性でこなし続けた、ある日のこと。


 いつもの様に祖母がベッドから上半身を起こし、そこにいない誰かと会話を始めるのかと思っていると、その年輪を感じさせる目元から、突然ぽろぽろと涙をこぼし始めたのだ。


 ガラにもなく動揺した俺は、ナースコールをし、どこか痛むのではないかと確認をしてもらった。だが身体に差し当たって異常はなく、どうやらそういうことでもないらしい。激しく感情が動いているだけ、ということだろうか。


 叔母は泣き止むと、そのままいつものように、そこにいない誰かと会話を始めた。

 会話の相手は、数年前に亡くなられている叔母の夫のようである。いままでのような、まだ生きている人との思い出の会話とは空気が違う。


 会話の内容の殆どはいつのものように他愛のない話ばかりであったが、その中でひとつだけ、興味深い話があった。叔母の夫は、どうやら税金対策として金塊を隠して庭に埋めていたようなのだ。それに思い残しがあったらしい。


 消費者金融から借りた俺の借金は、数千万に達したが、その全てを母が肩代わりして精算してくれた。そんなどうしようもないクズの俺だが、ここにきて慣れない善行───たいして付き合いもなかった叔母の世話をすることで、やっと運が回ってきたのかもしれない。


 俺は叔母の家の鍵も預かっていた。既に無人となった叔母の家の敷地に入り、話にあった庭の池の底を掘るのは、かなりの重労働だった。しかしそんな仕事に見合うだけの金塊がそこには隠されており、俺は一夜にして大金を手にすることが出来た。当然、一連の話は母には秘密である。



 ───そこから俺の叔母への見舞いは、数日に一度から、毎日の見舞いへとその頻度を変えた。


 亡くなった人と会話を始める際、叔母は決まって泣きはじめる。その瞬間に居合わせることが大事だ。そして、叔母にそっと尋ねるのだ。「なにかその人に思い残した財産などないか、聞いてみて?」と。


 そこから数ヶ月が経った。

 母からは、突然叔母への見舞いの頻度が上がったことをいぶかしがられたりもしたが、そこは上手く誤魔化ごまかした。嘘なら吐き慣れている。母には何かあると見抜かれているかもしれないが、真実まではわかるまい。


 叔母の話し相手が言う、色々の話を叔母から伝え聞き、俺は何度か大金をくすねることに成功した。俺はただの半端なチンピラだが、それなりに世間の仕組みというものはよくわかっている。亡くなってしばらくが経ち、皆が忘れていた金品、果ては土地の権利なども耳ざとく聞き集めては、俺は自分の懐にそっと入れていた。



 ───そうして今日も叔母が泣き始めた。


 今度は誰と話すのだろう?


 もう手慣れたものだ。俺は彼女の背中に手を添えて、上半身をゆっくり起こす。

 すると、彼女は目の焦点が合わないまま、俺の目をきっと見据えた。

 この数ヶ月、まともに目があったことなど、ただの一度も無い。ただの一度もだ。


 だが間違いなく、今、彼女はその光沢の失せた虚ろな目で、俺をみつめている。


「おはなしきくわよ?」



***



 ───プルルルルル


 センター宛の院内PHSコールは大部屋の患者を見ている新人看護師からのものだった。

 まだ若い彼の動揺そのままに、上ずった声で告げられた連絡は、長期入院している女性患者の上に覆いかぶさるようにして、男が心肺停止状態で突っ伏せていたことを知らせるものだった。


 ここ数ヶ月毎日のように見舞いにきていた半グレ風のその男は、なにかに驚いたかの様に目を見開いたまま、彼女の上で冷たくなっていた。


 乗られていた彼女は、その男が亡くなっていることを理解できていないようであり、ベッドでいつもと変わらずに、その生気を無くした目で天井の照明をみつめているばかりであったという。

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