第10話 俺の部屋はゴミ屋敷じゃない(下)

 やってきた終末……じゃない、週末。


 俺は昨日ドラッグストアで買い込んだ洗剤の類やゴム手袋などを用意すると、ひとまず志乃がやって来る前に簡単な片づけをおこなうことにした。

 脱ぎ散らかした服はまとめて洗濯機にぶち込み、ネットで注文した肌色面積の多い同人誌は本棚の奥の方へと収納。作業デスクの上に置きっぱなしだった出前用の調味料も、しっかりキッチンに戻す。

 これだけで俺の部屋は見違えるように綺麗に……なるはずもなかった。超汚かった部屋が汚い部屋になっただけだ。まあでも、大局的に見たら小さい一歩だったとしても、俺にすれば大きな一歩だ。このまま片づけを進めていこう。


 ヴーッ。


 と、ゴム手袋をして完全に掃除モードに入っていた俺の耳にスマホの着信音が聞こえてきた。ポケットから取り出して画面を見てみると、都月佳春と書かれている。こんな休日の朝っぱらからどうしたのだろうか。


「もしもし」


「あ、風見先輩。おはようございます」


「ああ、おはよう。なにか用か?」


「今日って風見先輩、大掃除の日ですよね」


「なんでそれを知ってるんだ」


「桜ヶ丘先輩から聞いたんです」


「なんだって?」


「つきましては、私も参加しようかと思いまして」


「おい待て、どうしてそうなる」


「もしかして桜ヶ丘先輩と二人きりのほうが良かったですか?」


「そういう意味じゃない。お前はそもそも掃除しない側の人間だったろうが」


 1年ほど前、ひょんなことから彼女の部屋にお邪魔したことがある。そこで俺は自分の目を疑った。


 ……自分の部屋と、汚さがなにも変わらなかったのだ。


 脱いだ服はそこら辺に取っ散らかっているし、夜食用に食べたのだろうカップラーメンのゴミもそのまま。参考資料として使っているっぽい画集は床に山積みになっているし、作業デスクに出前用の調味料を置いてあるところまで完全に一致していた。

 クリエイターはみんな根っこが同じなのだろうか。いや、そんなことはない。たぶん俺たちが自堕落すぎるだけなのだ。

 そんなわけで、都月佳春という少女は少なくとも俺の部屋の掃除に参加できるほどの資格を有していない。こっちを手伝うくらいだったらまず自分の部屋を掃除しろと言ってやりたいくらいだ。


「えー、でも先輩の部屋とかすごい面白そうじゃないですか。行きたいです」


「悪びれもせずに本音を出しやがったな……」


「それに、これ以上、桜ヶ丘先輩と風見先輩を同じ空間に閉じ込めておくと、よくなさそうなので」


「……それはどういう意味だ?」


 聞くと、しばらくの間があってから。


「だって、風見先輩のことですから手を出してもおかしくないじゃないですか」


「なにが『風見先輩のことですから』だよ!? 手なんか出さねぇよ!」


「ホントですか? 神様に向かって誓えます?」


「えっ? それは……」


 急にインパクトのある言葉がこっちに突っ込んできたせいで、一瞬だけ固まってしまう。


「ほらやっぱり犯す気まんまんじゃないですか!」


「だから違うって言ってるだろ! あと女の子が『犯す』とか言うな!」



「……あの、まだかかりそう?」



「え?」


 ふいに耳元以外の場所から声がかけられ、驚いて振り返ると、開けられた玄関から志乃が気まずそうにこちらを見ていた。 頭には三角巾、身体にはエプロンを着用しており、掃除する気まんまんの様子だ。

 ……思いのほか、エプロン姿も可愛い。それにボブカットと三角巾の相性の良さたるや。これは次回の同人誌のヒロイン(妹)に使えるかもしれない。


「おお、志乃か。すまない、謎の電話が」


「桜ヶ丘先輩! 風見先輩が私だけ仲間外れにするんです!」


 と、スマホから佳春のクソデカボイスが響き渡る。


「え、えーと……佳春ちゃんもお掃除したいってこと?」


「はい、そうです」


「別にいいんじゃない? 人手はたくさんあったほうが――」


「いや、騙されるな志乃。こいつの部屋は俺の部屋と見分けがつかないくらいのゴミ屋敷なんだ。そんなゴミ屋敷の主が助けになると思うか」


「ちょ、ちょっと風見先輩。仮にも女子の部屋をそんな風に言いますか?」


「どう見ても女子の部屋じゃないからセーフだろ」


「じゃあ今から先輩が今月買ったえっちな同人誌のタイトル羅列していきますね」


「うおおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉおお今日はよろしくな!!」


 俺は雄叫びをあげながら勢いよく通話を切った。そういえば大手同人誌通販サイトで買い物をしたとき、間違えて共有のサークルアカウントでログインしてしまっていたような気がする。

 スマホをポケットに入れた俺は、手の甲で汗を拭うと何事もなかったかのように清掃作業へと戻った。


「……え、待って。風見くんって佳春ちゃんの部屋行ったことあるの?」


「突っ込むとこそこなのかよ」


「いや、これは大問題だよ。あの風見くんが女子の部屋に上がるなんて」


「別にそこで甘酸っぱいイベントが起きたわけじゃないぞ」


「ホント? ラブコメっぽい展開になったんじゃないの?」


「なわけ」


 そもそもあのゴミ屋敷でどうやってラブコメをしろと言うのだろうか。


 可能性があるとすれば、ソファに引っ掛かっている彼女のパンツを見つけてどぎまぎするくらいだろう。

 ただ、俺の場合はそこら辺に下着が放ってあるのにまったく躊躇することなく自然体に振る舞う佳春のせいで、これが女子の普通なのかと思い込んでまったくドキドキすることができなかったが。


「もしかして、風見くんって思いのほか大胆……?」


「大胆なのはアイツの性格だから」


 それよりも、とっとと掃除を進めたい。


「とりあえずリビングとトイレは俺が掃除するから、志乃はキッチンと風呂場の掃除を手伝ってくれないか」


「うん、わかった」


 あらためて掃除をしてみると、俺の部屋は1年半でかなり汚くなっていたことがわかる。たまに掃除機をかけてはいるものの、テレビの裏や棚の一番下などはホコリまみれだし、テーブルの上もどことなく汚れている。

 俺は志乃から借りたワイパーで細かいところのホコリを落としながら、掃除機や雑巾などを駆使してとりあえず見える範囲の汚れやゴミをなくしていく。


「わ、来たばかりの頃は気づかなかったけど、キッチンもひどい汚れだね」


「3か月に一回くらいはキレイにしてる」


「それ1年で4回しか掃除してないってことじゃん。病気になっちゃうよ?」


「住めば都ってやつだ」


「それ掃除をしない言い訳に使えることわざじゃないから」


 そんなこんなでお互いしばらく掃除に勤しんでいると、ピンポーンとインターホンが鳴らされた。画面を確認してみると佳春の姿が映っていた。どうやら本当に助けに来たようだ。

 玄関を開けると、佳春は紺のデニムパンツにベージュのシャツというラフな格好に身を包んでいた。


「先輩の家がゴミ屋敷と聞いて」


「少なくともいまのお前の部屋よりはゴミ屋敷じゃないから安心しろ」


「失礼な、私だって最近は掃除してるんですよ? 3か月に一回くらいですけど」


「なんでクリエイターってみんなそんな感じなの……?」


 と、奥のほうでシンクを洗っている志乃が青ざめている。どうやら彼女はまだ俺たちの生態をよく知らないらしい。


「まあ、志乃もそのうち分かる」


「わかりたくないよ……」


 とりあえず、リビングの残りの掃除は佳春に任せ、俺はトイレ掃除を始めた。志乃はスポンジを洗い、キッチン掃除用の抗菌剤をスプレーすると、今度は換気扇の掃除に映る。あまりにも手際が良すぎて家政婦でも雇ったのかと勘違いするほどだ。

 俺も志乃に負けじと、ドラッグストアで買っておいた洗剤で便器の中をブラシでゴシゴシとこする。と、頑固な水垢の汚れがみるみるうちに落ちていった。やっぱり志乃の提言を聞いておいて正解だったかもしれない。


「先輩、ここら辺にある同人誌の山はどうすればいいですか?」


「テレビ横の棚に入れといてくれ」


「とりあえずサークル別に収納しておきますね」


「ああ、助かる」


「この『いもうとパラダイス』っていう同人誌ってどこのサークルでしたっけ」


「それは『シスターホリック』さんの作品だ」


「了解です。じゃあ、この『わたしはお兄ちゃんのおよめさんになれないの?』っていう作品も同じですかね」


「……ああ」


「『お兄はどうしようもないくらいの変態さんです』はどのサークルですか?」


「……『秘密結社いもうと』だ」


「先輩、この『お兄ちゃんのことが大☆大☆大好きないもうとと過ごすらぶらぶ♡ハッピーシスターデイズ2』っていう美少女ゲームはどうすればいいですか?」


「いちいちタイトルを読み上げるな!!」


 さっきから佳春がタイトルを読み上げるたびに志乃が「うわぁ……」っていう顔でこっちのことを見てくるんだよ!


「しょうがないじゃないですか、わかりやすく収納するために必要な情報を聞いているだけです」


「だったら大声で言うんじゃなくてこっちに持ってくればいいだろ」


「わざわざ立ち上がるのが面倒くさいんです」


「くっ……自分も似たような人間だから文句が言えない」


「今日中に掃除終わるかなぁ……」

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