第7話 マジでエロ同人とか知らない!

 午後の授業を無事に終え、放課後。


 筆記用具やノートなどをカバンにぶち込んだ俺は、このあとの予定をなんとなく考えながら席を立った。ふと、斜め前を見てみると、志乃のまわりには昼休みのときのように大量の生徒が群がっている。

 会話の端々に耳を傾けてみたところ、どうやら放課後にショッピングやカラオケに誘われているようだ。この学校の周辺はスーパーすらないどうしようもないくらいのド田舎だが、登校する際に乗った工業団地行きのバスにそのまま乗っていけば、ある程度栄えている繁華街に行くことができる。

 また、ローカル線に乗って15分ほど進めば、そのまま県庁所在地のハブステーションに行くこともできるため、ここの生徒の寄り道先はもっぱらその辺が多い。


「……まあ、今日は別々に帰るか」


 昼休みのときは彼女がヘルプを出していたためやむなく助けたが、今回は別にそういうわけでもなさそうだ。転校してきたばかりなんだし、クラスメイトと遊んで交流を深めてもらうのも大事だろう。

 ……ちなみに、クラスの人間とまったく交流を深めていない人間が言っても何の説得力もないことは重々承知している。

 と、クラスメイトに囲まれている志乃を置いて教室のドアに手をかけたところ。


「……ぁ」


 ガラガラ、とドアが開いて見覚えのある顔が現れた。佳春だ。


「あ、風見先輩。ちょうどいいところに」


「アニメのコラボ料理を食べつくすためにカラオケ籠るのはナシだからな」


「今回は違いますよ。もっと別の用事があります」


「別の用事?」


「はい、この前の夏コミで買えなかったサークルの新刊を買いたいんです」


「ああ、もうサークルによっては委託販売始まってるのか」


「ですです。今回はめちゃくちゃ有名な壁サーが『な〇は』の二次創作本出してて激アツだったんですよ」


「マジか、それは知らなかった」


「はい、なのでいっしょに買いに行きましょう!」


 そんなことを話しながら、俺はふと後ろを見やる。志乃は相変わらずクラスメイトと楽しそうに談笑していた。あの様子ならたぶん大丈夫だろう。

 


 学校からバスに乗って10分。いつもの駅にやってきた俺と佳春は、冬コミで出すイラスト本の内容を話し合いながら、アパートとは反対方向の電車に乗る。

 15分ほど揺られたあと、改札を出てすぐ近くにあるアーケード街へ。さすがに県でいちばん栄えている場所ということもあり、人の量は圧倒的に多かった。

 この通りは居酒屋や小洒落た店が多いので、学生や子供よりも大人のほうが多く見受けられる。俺たちがひいきにしているオタクショップはこのメインストリートから一本奥に入った路地に位置している。分かりやすいほどのアングラ感だ。


「えーっと、どこでしょうか……」


 いま俺たちがいるのは国内最大級の同人ショップ。コミケの新刊をどこよりもいち早く入荷してくれるので、俺たちみたいな人間や現地に行けなかった人にとって非常に大助かりな店だ。

 佳春は棚に並べられた同人誌をひとつずつチェックしている。俺も同じように探していたところ、目立つ位置に見覚えのある本が置いてあるのに気づいた。


「佳春、俺たちの本があるぞ」


「あ、ホントです。なんかめちゃくちゃプッシュされてますね」


「昔はらせん状にディスプレイされてることが多かったけど、最近はめったに見なくなったな」


「たぶん地域差ってやつでしょう」


 と、佳春がお目当ての同人誌を持ってきたので、さっさと会計を済ませる。佳春はほかにも別サークルのオリジナル本や二次創作本も買っていた。

 店の外に出た俺たちは、特にこの後やることもなかったので近くの喫茶店へ。どうやら店内が混んでいたらしく、店員さんにテラス席へ促された。


「なんかほかにも買ってたみたいだが、なにを買ったんだ?」


 俺が聞くと、佳春は嬉々として袋から同人誌を取り出す。その様子はまるでクリスマスプレゼントに喜んでいる子供のようだった。


「ふふ、これです!」


 そう言って佳春が取り出したのは、ほとんど紐みたいな水着を着た女の子が海辺でイチャついているイラスト本や、完全に全裸だけど大事な部分は隠されている有名キャラの二次創作本だった。

 絵柄を見ただけで分かる。どれもSNSのフォロワーが数十万人規模の超有名絵師のものばかりだ。

 ……今になって、さっきクリスマスプレゼントに喜ぶ子供を例に出したことを激しく後悔している。子供ごめん。


「SNSの購入報告は後にして、とりあえず読みましょう」


「こんな人通りが多いところでそれを読むな」


「大丈夫ですよ、別に顔見知りもいないので」


「そういう問題じゃないんだけどな……」


 佳春は身長が150センチにも満たないという、高校一年生の女子にしてはかなり低身長の部類に入る。事前情報がなければ小学生に見えなくもないくらいだ。

 そんな少女がカフェテラスで堂々と微エロ同人誌を読みふけっているという光景は、ちょっとインパクトが強すぎるし同席している俺まで注目を集めかねない。


「それより、早く先輩もそれ読んでみてくださいよ。めちゃくちゃ萌えますよ!」


 そう言って佳春は強引に同人誌を手渡してきた。相変わらず彼女はイラストのことになると頭のネジが何本か外れるみたいだ。まあ、その一途で猪突猛進なところに助けられている部分はあるが。

 そんなこんなで、注文したアイスコーヒーを相棒に30分ほど買った本に目を通していると、ふと視界の隅にウチの学校の制服っぽい影が映る。


 ……上高かみこうの生徒か?


 そう思って少しだけ顔を上げると、さっき教室を出る際に志乃のまわりに群がっていたクラスメイトのひとりが歩いていた。よく見れば、その周囲にいる連中もめちゃくちゃ見覚えがある。

 よりによって俺のクラスかよ……


「あれ、そういえば桜ヶ丘先輩はどうしたんです?」


 目の前でメモを取りながら同人誌を読んでいる佳春が尋ねてくる。


「たぶんほかのクラスメイトと遊びに行ってる。ショッピングかカラオケだろう」


「……なんか、相手の予定を把握してるのきもいです」


「耳に入ってきたんだからしょうがないだろ!」


 否、実際は耳をそばだてていたのだが、そのことを言うと十中八九面倒くさくなるので言わないでおく。

 俺ってそんなに独占欲強かったのか……?


「でも、そうなってくると桜ヶ丘先輩がこの辺りを歩いている可能性ってかなり高くないですか? わたしたちの高校の生徒って、だいたいここで寄り道してますし」


「たしかにそうなんだよな……」


「あ、もしかしていまテーブルに広げまくってる同人誌片付けたほうがいいですか」


「普通はそんな肌色面積の多い本を広げるもんじゃないっていうかいつの間に広げてたんだよ!? 目立つから閉じろ!」


 言われて、佳春はしゅんとした表情で水着の女の子たちが描かれた本を閉じていく。本当に心臓が止まりそうになるからやめてほしい。


「でも、よくよく考えたらどうしてそこまで桜ヶ丘先輩に隠してるんですか? 年頃の男性が興味あるものなんて、たぶん向こうも把握してると思いますよ」


「そうかもしれないが、それが事実であることを志乃に認知させたくないんだよ」


「うわ、めちゃくちゃ面倒くさいですね」


「悪かったな面倒くさくて!」


 なんとなく気まずくなり、氷が解けて薄くなったアイスコーヒーを流し込む。


 自分でもなかなかキモいことを言っているとは思っているのだが、俺は志乃のことを心の中でつい神聖視してしまうきらいがある。あれだけ純粋で無垢で健気な少女を自分の手で汚したくないというか、ずっと綺麗なままで居てもらいたいというか。

 いや、わかっている。そんなことを思うのは単なる傲慢でしかないし、自分の理想を相手に押し付けているだけだ。たぶん4年前の自分だったら、そんなこと頭の片隅にも思わなかっただろう。

 でも、いまそんなことを考えてしまうということは、すなわち志乃が俺の中で確実に大きな存在になっているというわけで。しかもそれは、彼女に特別な想いを抱いているからこその拗らせ方で。


「もしかして先輩って、桜ヶ丘先輩のこと好きなんですか?」


「ぶふぉっ!?」


 盛大にコーヒーを噴き出した。それをティッシュで拭きながら反論する。


「そういうわけじゃないから! 別にそういうアレじゃないから!」


「いや、どう考えても好きですよね。普通は好きでもない相手にそんな気の使い方しないですよ」


「なんていうかほら、志乃とは十年以上の付き合いがあるわけだし、そこで築かれたイメージを崩してほしくないというか」


「そうやって見栄を張ろうとするのが余計にそれっぽいんですよ」


「くっ……!」


 ダメだ、なにをいっても墓穴を掘ってしまう。ここはしばらく黙るしか……!



「なんか、わたしの話してた?」



 ふと、真後ろから聞き馴染みのある声がする。


 振り返ってみると、そこには学生カバンと小さなショッピングバッグを手にした志乃が立っていた。


「あ、桜ヶ丘先輩こんにちは」


「お、おう。こんなところで会うとは奇遇だな」


 急いで持っていた水着の同人誌を袋に仕舞う。


「二人はなにしてたの?」


「風見先輩に私の買い物に付き合ってもらっていました」


「あ、ああ。それより志乃、誰かと遊んでいる途中じゃないのか?」


 俺が尋ねると、彼女はどうしようもないといった感じで肩をすくめた。


「今日はお隣の女の子とここをめぐってたんだけど、急にその子、バイトのシフトが入っちゃったみたいで」


「なるほど」


「それで、すぐに帰るのもあれかなーと思ってぶらぶら歩いてたら、風見くんたちの姿が見えて近寄ったんだよ」


「桜ヶ丘先輩はなに買ったんですか?」


 志乃は手に提げていた小さな袋をテーブルに置くと、小瓶を取り出した。やけに凝った作りの入れ物で、中には透明な液体が入っている。


「香水だよ。さっきそこのアパレルショップでいい感じのやつを見つけて」


「へぇ、すごいオシャレです! 何の匂いですか?」


「マンゴーかな。シトラスノートが好きで」


「私もです! 自分はピーチ系とかユズ系持ってます!」


「そうなんだぁ、えへへ、じゃあ後で交換してみる?」


「はい、ぜひ!」


 ……あまりにも女子力が高すぎてついていけない。


 ぼーっと二人の会話を聞いていると、それを見かねた志乃がこちらにも話題を振ってきた。


「さっきお店でテスター使わせてもらったんだけど、どうかな?」


「え?」


「手首のとこ、香水つけてみたから嗅いでみてよ」


「あ、ああ。分かった……」


 と、志乃の急な提案にどぎまぎしている俺を見て、佳春が分かりやすくニヤニヤしている。本当にいい性格してるな、あいつ。

 俺はひそかに敵愾心を燃やしながら、志乃の手首に顔を近づける。シミひとつない真っ白な彼女の腕からは、まるで南国ののどかな島で育ったとれたてのマンゴーを彷彿とさせる爽やかでみずみずしい香りが漂った。


「……めっちゃいい匂い」


「えへ、ほんと? じゃあ買ってよかったかも」


「風見先輩も香水とか買ってみたらどうですか?」


「あいにくそんな金はない」


「でも、最近は男子も匂いとか気にしたほうがいいって聞くよ?」


「……え、もしかして俺の匂いって気になる?」


 言うと、志乃は少しだけ距離を取りながら俺のまわりをぐるっと回った。


「うーん、無臭。強いて言えば柔軟剤の香りかな」


「まあ、汗臭いよりはマシですね」


「でもさすがにずっと同じ柔軟剤の匂いっていうのもつまんないし、あとで買いに行こうよ。安いのだったら二千円くらいで買えるやつもあるよ」


「俺が香水つけたところでどうにもならなくないか? 嗅がせる相手もいないし」


「香水は別に特定の誰かに嗅がせるだけじゃなくて、通りすがりの人に『あの人いい匂い』って思わせるような使い方もあるんだよ?」


「なるほど、そんな使い方もあったのか」


 これまでの人生で一度もそんなこと考えたことなかった。


「風見先輩、せっかく誘ってくれたんですから行かないと損ですよ」


「……まあ、そこまで言うなら今週行くか」


「ほんと? やった!」


 俺の返答を聞いて嬉しそうにした志乃は、続けて俺たちが持っている真っ黒なビニール袋に興味を示した。


「風見くんたちはなに買ったの?」


「マンガだ」


「え?」


「マンガを買った」


「でも、それにしては袋薄くない?」


「最近のマンガは割と薄めなんだ」


「そうなんだぁ」


 志乃はたまにゲームをやったりマンガを読んだりするが、サブカル文化に触れる機会は本当にその程度だ。中学時代を経て嗜好が変わった可能性もなくはないが、さっきの反応からしてサブカルへの興味度はそんなに変わってないだろう。

 だから、こうやってゴリ押してしまえばきっといい感じに話が流れてくれるはず。特にいまは、袋のなかにさっき咄嗟に隠した佳春の微エロ同人誌が入っているから、絶対に中を見られてはいけない……!


「どんなマンガ買ったの?」


 なんで今日に限ってそんな食いついてくるんだよ!!


「え、えっと……まあ、なんていうか、普通のラブコメ?」


「恋愛モノってこと?」


「そ、そう。そこまで突飛な設定のない、オーソドックスなNLだよ」


「えぬ、える……?」


 やっべ。


「まあ、あれですよ。少年漫画によくあるやつです」


 と、ついいつものノリでヲタバレしそうになったところを、すかさず佳春がフォローに入る。やっぱり彼女はデキるパートナーだ。たまにムカつくけど。


「そっかぁ。わたしも最近、スマホで恋愛モノの漫画読んでるんだ~」


「そ、そうだったのか」


「風見くんが買ったやつ、ちょっと読んでもいい?」


「……おう」


 よし、今度こそ終わった。


「べ、別にいま読まなくてもいいんじゃないか?」


「え、でもせっかくカフェでゆっくりできるなら、いま読みたいな」


「えーっと、ほら、カフェに長居すると店側に迷惑だし」


「いまそんなにお客さん入ってないし大丈夫じゃない?」


 そういう問題じゃない……! 


 俺は必死に頭のなかで打開策を練るが、どれもこれも思考が空回りしてしまってどうしようもない。頼みの綱の佳春も、もうこれ以上は面倒見切れようといった顔でこちらを静観していた。

 そんなことをしている間に、志乃の表情がどんどん怪訝なものへと変わっていく。


「……なんか、風見くん隠してる?」


「べ、べ、べ、別にそんなこ、ことないし」


「お互いに隠し事はしないって、昔からの約束だよね?」


「そう、だな」


「じゃあ、買った漫画、見せてくれるよね?」


「…………」


 万事休す、といったところか。


 いや、待てよ。佳春の同人誌は表紙からして完全にアウトなのだが、もう一冊――つまり「な〇は」の二次創作本のほうは、別に志乃に見せたところで申し分のない健全度を保っていたはず。だからそっちを見せればこの場を安全に切り抜けられるのではないか!?

 俺は袋を背中のほうにまわして、彼女にバレないように微エロ同人誌のほうを抜き取ると、残りのほうを志乃に手渡した。


「……ほら、見たければ見ればいい」


「うーん、と」


 志乃は袋の中をのぞいてから、その本を取り出した。


 とにかく、これで危機は免れた。あとは決して彼女に背中を見せないようにしながら、いま持っている同人誌を袋に戻せばいいだけだ。そう、たったそれだけの作業。だから、決して間違うことなく確実に――


「……美少女☆水着パラダイス?」


「は?」


 志乃が手に持っている本をよく見てみると、そこに書かれていたのは、ほとんど紐みたいな水着を着てイチャついている女の子たちの姿だった。


「…………」


 俺は冷や汗が止まらなくなるのを感じながら、そっと後ろ手に持っている本を確認する。そこには、躍動感に溢れるポーズを決めているな〇はちゃんのイラストが描いてあった。

 ……神様、俺、なにか悪いことしましたか。


「風見くん、これ18歳未満が買っちゃダメなやつだよね」


「い、いや、違う! 説明させてくれ! そもそもこれは俺のじゃ――」


「佳春ちゃんがこんなの買うわけないじゃん!」


 買うんだよ! こいつそういう人間なんだよ!


「……えっと、桜ヶ丘先輩? これには深いわけがありまして」


「佳春ちゃんは庇わなくていいよ。いまから風見くんとお店の人に頭下げてくるから」


「間違えて店のもの壊した子供かよ!?」


 

 ……その後、佳春の説得と俺の必死の言い訳を聞いた志乃は、かろうじてこれらの同人誌に理解を示したものの、終始なんともいえない表情をするばかりだった。

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