第5話 平穏な学校生活はたぶん訪れない

 県立上河原かみがわら高等学校のクラスはA組からC組まで存在している。成績優秀者はどのクラスに割り振られる、みたいなクラス分け制度はない。どこになるかはあくまで運だ。つまり、志乃がどのクラスになるのかも運しだいということになる。


 ……はず、だったのだが。


「今日から2年B組の一員になります、桜ヶ丘志乃です!」


「…………」


 そんな元気いっぱいな彼女の挨拶を、俺は後方の席でしっかりと聞いていた。同じクラスになるのは3分の1の確率とはいえ、あまりにも都合が良すぎる。

 そう思って志乃からクラスを聞いた後、担任の先生に尋ねてみたのだが、どうやら顔馴染みがいるクラスにした方が不安もないだろうという先生の粋な計らいだったようだ。

 まあ、たしかに成績順でクラスを決めているわけではないのだから、どこのクラスにするかなんて適当でもいいのだろう。


「えっと、好きなことは食べることと、飲むことと――」


 自由気ままに自己紹介をする彼女の話を、クラスメイトはみんな真剣に聞いていた。たぶん志乃の放つ都会オーラがみんなの注意を惹きつけているのだろう。あと単純にめちゃくちゃ可愛いのも目立っている理由かもしれない。


「はいっ!」


 と、俺のとなりに座っている男が高く手を上げた。彼は小さく息を吸うと、魂のこもった声で志乃に尋ねた。


「桜ヶ丘さんは彼氏とかいますか!」


 彼の問いにクラス内で笑いが起こる。志乃はしばらく取り乱していたが、こほんと咳払いをして率直に答える。


「いないです。いまは、ですけど」


 彼女の答えに男性陣が盛り上がる。さすがは陽キャのオーラを纏いし者、場の盛り上げ方がうまい。というか、なんか男性陣の変容がヤバい。急に獰猛な捕食者の目をし始めたような気がする。これホントに大丈夫なやつか……?

 と、そんなことには気にも留めないで、志乃は自己紹介を続ける。落ち着いた声と柔和な物腰も相まって、クラスメイトはすっかり彼女の虜になっていた。


「おう、聞いたか風見! 桜ヶ丘さん、彼氏いないんだってよ!」


 と、さっき質問をしていた男が席に座るなりこちらに話しかけてくる。彼の名前は平良たいら真司しんじ。こう見えて生徒会副会長だ。彼とは高校一年の頃に出会ってから、いまでも友人関係が続いている。

 日焼けした肌に少し長めの髪、目鼻立ちは整っていて体格もいい。おまけに豪放磊落で誰に対しても明るく接する。

 そんなわけで校内でも女子の人気を集めている男子生徒の一人だ。ただ、こいつにはそれらの長所をすべて無に帰すほどのどうしようもない欠点がある。


「桜ヶ丘さんって、見た目は穏やかで物静かだけど、実はめちゃくちゃサディスティックな一面とかあったりしねぇかな」


「あったりしないと思うぞ」


「でも、けっこうムチとか似合いそうじゃないか? それで優しい声色で静かに、けれど激しく罵倒してくるんだ」


「しないと思うぞ」


 ――そう、こいつはMだ。Mという性癖の真ん中ドストレートを行く、Mだ。彼の本性はまだ周囲に露呈していないものの、唯一気の許せる友達である俺にだけは、その奥深い感性を余すところなく発揮してくる。

 ただ、彼自身は紳士的なマゾヒストを目指しているらしく、どれだけムチで叩かれようと、どれだけ罵声を浴びせられようと、それらをすべて冷静に受け止め、即物的に快感を浪費するのではなく、しっかりと噛みしめていきたいらしい。

 

 知らねえよ。


「いやあ、まさかあんな子がウチに転校してくるなんてな。まさに人間万事塞翁が馬ってやつだ」


「変な絡み方するなよ」


「オレを誰だと思ってるんだ。紳士的なマゾヒストを目指す者だぞ」


「それで安心させられると思うなよ?」


 と、真司とくだらないことを話しているうちに志乃の自己紹介が終わった。担任の先生から席を指示された彼女は、静かにこちらの方へ歩いてくると、俺が座っている席の斜め前――つまり、真司の前に座った。

 志乃はとなりの女子や男子に軽く挨拶をしたのち、斜め後ろに座っている俺に対しても小さくお辞儀をしてきた。こちらも小さいお辞儀で返す。幼なじみにしてはあまりにも他人行儀すぎるが、ここで親しげな雰囲気を出して面倒ごとに巻き込まれるのも避けたい。たぶん志乃はそのことを分かっているのだろう。


「桜ヶ丘さん! オレ、平良真司って言います! よろしくっす!」


「よろしくね、平良さん」


 彼女の返答を受け取った真司はこれ見よがしにドヤ顔をしてくる。なんだか無性に腹が立ってきた。コイツの性癖を校内放送で叫んでやりたい。


「ま、風見も頑張れよ」


 本当に叫んでやろうかな。



 その後は普通の授業がおこなわれた。時間が経って、いまは昼休み。案の定というかなんというか、志乃のまわりには長蛇の列ができていた。おそらくいっしょにお弁当を囲みたい人たちの集まりだろう。

 ちなみに、ここの学校には食堂なんていう贅沢な設備はないから、お弁当がない場合は昇降口付近の購買でなにか買う必要がある。しかも、購買は例外なく激戦区だ。場合によってはメロンパン一個さえ買えない時もある。


「ねえねえ桜ヶ丘さん、あたしたちといっしょにご飯食べようよ!」


「桜ヶ丘さんッ! オレといっしょにランチどうですかッ!!」


 志乃は少しだけ困った様子でクラスメイトたちの提案をなんとか捌いている。俺も手助けをしてやりたいところだが、ここで割って入ったら逆に怪しまれるだけだ。

 ……と、志乃の視線が一瞬こちらを向いた。合ってるか分からないがたぶんヘルプのサインだろう。ここは演技派同人作家として一肌脱いでやるか。


「アー、今日ハ屋上で昼ご飯デモ食べようかナー」


 そう言って、財布を持って購買へと向かう。


「あー、えっと、ごめんねっ。実はもういっしょに食べる人決めちゃってて……明日から順番にご一緒させてもらう感じでもいい?」


「まーちょっとショックだけど全然いーよ! じゃあ明日ねー!」


「桜ヶ丘さんッ! オレとのランチはいつ頃がいいですかッ!!」


 ここのクラスメイトが物分かりの良い人たちで助かった。


 とにかく、早めに購買でパンを買って屋上へと向かうことにしよう。その前にいちおう佳春も誘っておこうかな。たぶん一人だろうし。



 そして、激戦区の購買でなんとか食料を手に入れることに成功した俺は、ホクホクの状態で一年A組に寄る。ここは佳春のいるクラスだ。

 机をくっつけたり椅子を並べたりして思い思いの昼食を楽しんでいる生徒の中に、明らかに孤立している一人の少女を見つける。俺は開け放たれている廊下側の窓越しに佳春に向かって呼びかけた。


「佳春、いっしょに昼メシ食わないか」


「あっ、はい。いま行きます」


 屋上へと向かう道の途中、佳春はお弁当といっしょに持ってきたタブレットを俺に見せてきた。

 そこに書かれているのは、ボブカットの髪が印象的なメイド服の姉妹。この子たちは最近俺が描いている同人誌のキャラだ。

 背景や服のディテールなどはできるだけ簡素なものにして、キャラの躍動感とか可愛さを前面に押し出したようなイラストになっている。


「今年の冬コミで売る予定のトートバッグのイラストなんですけど、こんな感じでいいですか?」


「ああ、いいんじゃないか? ちゃんとポーズから二人の性格が読み取れるかつ、アイテムに即した目立ち過ぎず地味過ぎない構図かつ、はちゃめちゃに萌える」


「ふふっ、風見先輩にそう言ってもらえて、嬉しいです」


 今さらだが、俺と佳春はおなじ同人サークル「春見風はるみかぜ」に所属している。いわゆるユニットのイラストレーターだ。

 コミケなどで売る新刊は、あらかじめ決めたストーリーを話ごとに二人で分担して書くことが多いが、トートバッグやTシャツなどのグッズを売る場合のイラストは基本的にどちらかに任せている。

 今年の夏コミでは俺がイラストを描いたB2タペストリーを販売したため、次の冬コミで売る予定のトートバッグのイラストは佳春が担当する……という感じだ。


「あ、あと今日の昼メシなんだけど、志乃も一緒でいいか?」


「はい、まったく構いませんよ。私も桜ヶ丘先輩のことよく知りたいですし」


 そこまで言ったあと、佳春は思い出したように首を傾げる。


「でも、どうして今日は屋上なんですか? 普段は中庭で食べてるじゃないですか」


「人目の付かないところに行く必要があったんだ」


「3人でしたかったんですね」


「うん、あんまり動詞を簡略化しない方がいいと思う」


「それに、桜ヶ丘先輩ってあの感じだと昼食の相手は引く手あまただろうに、今回はどうしてわざわざ私たちといっしょに?」


「あまりにも、引く手あまた過ぎたんだ」


「……なるほど」

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