第4話 どう考えても都会のほうが楽じゃない?

「眠すぎて死ぬ……」


 次の日。登校日であるにも関わらず、俺の意識は今にも途絶えそうになっていた。原因は考えなくても分かる。つい筆が乗り過ぎて日が昇る一時間前くらいまで原稿を描いていたせいだ。

 ……でもまあ、後悔しているわけではない。おかげで印刷所には迷惑をかけないで済みそうだし、即売会にももちろん間に合うだろう。

 いまは眠い目をこすりながらソーセージとスクランブルエッグをつくっている。時間がないときにはオススメの二品だ。用意するものもソーセージと卵だけで済む。


「風見くん、タオルってどこにあるの?」


「え? ああ、洗濯機の上の棚にあるぞ」


 ちなみに、志乃は俺よりも10分くらい遅く起床したのち、自分の恰好を見て瞬時に風呂場へ直行した。どうやら風呂に入らずに眠ってしまったことが相当ショックだったらしい。

 やがて、風呂から出た志乃の衣擦れとドライヤーの音が脱衣所から聞こえてくる。とても気まずいので卵をわざとうるさく溶いて音を聞こえないようにした。ちなみに自分の部屋でシャワーを浴びなかったのは、まだシャンプーやボディーソープなどの日用品が揃っていないからだそうだ。


「そういえば制服って用意してあるのか?」


 ドア越しに尋ねると、志乃から「ちょっと待ってて」と返事があったのち、静かに脱衣所のドアが開く。

 

「おお」


 そこに立っていたのは、上河原高校の制服に身を包んだ志乃。めちゃくちゃオーソドックスなセーラー服だ。

 ひとつ異なる点があるとすれば、襟や袖の主張がそこまで強くないので、上にブレザーを羽織っても違和感のないニュートラルなデザインに仕上がっていることくらいか。とにもかくにもめちゃくちゃ可愛い。志乃がついこの間まで通っていた高校はブレザーだったそうだが、そちらも是非いつか見せてほしいものだ。


「じゃーん。どうかな」


「これは創作がはかど……」


 と、つい心の声が漏れそうになったところで必死に口をふさいだ。まずい。


「……いま、はかどるって言おうとした?」


「ち、違う! 聞き間違い! 聞き間違いだから!」


 よりにもよってそこだけ聞こえてるの勘弁してくれ……! これじゃあ俺が幼なじみの制服姿を見て興奮してるただの変態じゃないか!

 ……いや、まあ興奮したのはたしかだけど! でもニュアンスが違うし!


「風見くん、親しき仲にも礼儀あり、だよ?」


「はい……」


 ここは変に否定しない方がいい。そうするとかえって自身の変態的言動を必死にもみ消そうとする慌ただしい変態になってしまう。

 だったら、全てをあきらめて目の前の現実を受け入れる物分かりの良い変態になるほうがまだマシだ。

 ……ホントか?


「いや、まあ、とにかく、制服があってよかった」


「風見くんって真面目ときどきスケベだよね」


「そんな天気予報みたいに言わないでくれ」



「えーっと、とりあえずこのバスに乗ったら必要な過程はすべて終了だな。お疲れさま」


「が、学校ってこんな遠いの……?」


 まずアパートから駅まで徒歩で15分。そこからローカル線に35分揺られてから、駅前のバス停で市営バスに乗って10分。

 学校が都市部の隅っこに位置しているが故に、俺たちみたいな辺境に住まう者たちは、毎朝強制的に都市部へのルートを行き来させられる羽目になる。その結果が先ほどの公共交通機関+脚力フル活用コースだ。

 アパートから駅までの道は、田んぼの中心にぽつんと孤立した森林や、そのなかにひっそりと佇んでいる神社、のどかなあぜ道など、都会に住んでいる人が羨むような要素のオンパレードとなっている。

 ただ、それを毎日見せられている側の人間からすれば、それらはただの虫発生装置でしかない。特に夏場なんかは地獄と化す。虫嫌いな志乃が果たしてこれから生き抜いていけるのか、幼なじみとして非常に不安である。


「志乃の学校はどれくらい遠かったんだ?」


「地下鉄一本で15分」


「そりゃまあたいそうお気楽なこって」


 東京へは5年ほど前に遊びに行ったことがある。そのときはどの電車も5分くらいで次のやつが来ることに驚きを隠せなかった覚えがある。

 こっちは一本電車を逃すと30分は確定でこないっていうのに。


「まあ、でもそのうち慣れる。あのローカル線の時刻表だって、一年もすれば勝手に身体が覚えてくれるさ」


「そういうものなの?」


「ああ、電車の出発が5分後に控えているときに駅の近くまで来ると、時計も見てないのになぜか足が走り出す」


「なにそれ怖い……」


 志乃とそんな会話を交わしつつ、上河原工業団地行きと書かれたバスに乗り込む。車内は昭和の空気が残ったままの雰囲気で、あずき色のシートや塗装の剥げた降車ボタンが出迎えてくれる。

 ちなみに、このバスは学校を経由したり最終的に工場へ向かうこともあってか、利用者の数が考慮されて本数はそれなりに多い。いつも電車のために全力疾走している田舎民にとってはありがたいことだ。

 都会と田舎の要素が2:8くらいで織り交ざった街並みを眺めながら10分ほど。とあるバス停に着いて車体が停止すると、見覚えのある顔がバスに乗ってきた。

 空のように透き通った髪をなびかせている小柄な少女は、眠そうな顔で車内をきょろきょろと見回したのち、後方に座っている俺たちを発見して歩み寄ってきた。


「おはようございます、風見先輩」


「ああ、おはよう」


 と、彼女は俺の隣に見慣れない顔がいることに気づいて訝しげな表情を浮かべる。


「先輩、またどこかの売り子ひっかけてきたんですか」


「またってなんだよ!? そんなこと一度もしたことないわ!」


「え、えぇと……」


 と、明らかに気まずそうな声を上げる志乃に、俺は慌てて他己紹介をする。


「こいつは都月とつき佳春かはる、俺の後輩だ。そして……佳春。彼女は俺の幼なじみの桜ヶ丘志乃だ。東京から転校してきた」


「あ、えっと、よろしくお願いします」


 うやうやしくぺこりと頭を下げる志乃に対して、佳春も無表情でお辞儀を返す。


「風見先輩とおなじサークルの都月佳春です。以後お見知りおきを」


「……サークル?」


「ああ! えっと、ほら、同好会のことだよ同好会!」


 首を傾げる志乃に必死の言い訳をする。


「風見くん、部活は入ってないって言ってたよね?」


「え、えっと……は! っていう意味」


「すごい屁理屈……」


 不信感MAXのジト目を向ける志乃。今すぐにでも佳春に助けを求めたいところだが、彼女はこちら側の事情をよく知らない。よって助けにはならないだろう。


「先輩、先輩」


 と、佳春がこちらにしか見えない位置でこちらに手をこまねく。俺は少しだけ身体をずらして佳春のほうに身を寄せる。と、彼女が至近距離で耳打ちしてきた。

 温かい吐息が妙にくすぐったい。


「先輩、彼女にサークルのこと、言ってないんですか?」


「言うわけないだろ、俺らが描いてるのは基本的にR17.9の微エロ同人だぞ」


「もしかして、そういうのにあまり詳しくない?」


「そもそも同人というもの自体まったく知らないんじゃないか」


「……なるほど」


 オタクではない人が「最初から全年齢向けに制作された美少女ゲーム」を見て「これエロゲーじゃね?」と言うように、同人の世界に詳しくない人にとって、微エロ同人誌はただのエロ同人誌だ。

 だから、そんなものを俺が描いていることを知った日には……たぶん速やかに荷物をまとめて東京に帰ってしまうだろう。いや、絶対そうだ。そうに決まってる。

 だから、彼女と今後も円滑な人間関係を築いていくためにも、同人活動のことについては絶対にバレてはならないのだ。


「風見くん、わたしに隠れて内緒話とはいい度胸だねぇ」


 後ろを向けば志乃が冷ややかな微笑をたたえてこちらを見つめていた。


「いや、いまのは情報のすり合わせというか、なんというか」


「大丈夫ですよ、桜ヶ丘先輩。別にあなたのことをとやかく言っていたわけではないので」


 と、ここで佳春からナイスフォローが入る。俺の言うことならまだしも、彼女の言うことならまだ耳を傾けてくれるだろう。


「まあ、都月さんの顔に免じて今回は不問としようかな」


「あ、あと私のことは呼び捨てで構いませんよ。年下ですし」


「うーん、あんまり呼び捨てって好きじゃないんだよなぁ……じゃあ、佳春ちゃんはどうかな?」


「……っ」


 佳春はこれまでにないタイプの呼び方をされたことで、少しだけ背筋をぴくっとさせた。そして嬉しいようなむずがゆいような表情を浮かべる。


「それで、いいです」


「じゃあ、これからよろしくね! 佳春ちゃん」


「お、おぉ……」


 佳春は志乃の「陽キャオーラ」に完全に取り込まれている様子だった。たしかに、あの太陽みたいな笑顔を間近で見せられたらそういう反応にもなるだろう。


「先輩、こんな眩しくて可愛い子が幼なじみとか聞いてないです。まんま同人誌みたいな展開じゃないですか」


 また耳打ちでそんなことを言ってくる。


「事実は同人誌より奇なりって言うだろ」


「言いませんよ」


 佳春から鋭いツッコミが入ったところで、誰かがピンポーンと降車ボタンを押した。そのまま、俺たちの乗っているバスは上河原高校前に到着するのだった。

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