ツーリング日和30
Yosyan
千草
千草は生まれつきのブサイクだ。これは思春期で変貌することなく今に至るなんだ。だから男には見事なぐらい縁が無かった。誰一人、千草に興味も関心も抱いてくれなかったってこと。
千草にだって結婚願望はあったし、いつの日か白馬の王子様が迎えに来てくれると夢見ていた。そんな夢も二十五歳を過ぎ、ついに三十歳を過ぎる頃にはあきらめの境地に達し、このまま一人で生きていくしか無いと思ってた。
そして三十三歳の時に十八年振りに開かれた中学の同窓会があったのよ。これだって独身だったからやめとこうと思ってたのだけど、幹事に無理やり見たいに引きずり出されて出席した感じかな。
そこに現れたのがコータローだ。幼馴染にして中三の同級生。そのコータローだけど中学の時は野球部のキャッチャーであだ名はマメタン。野球部だったからこれ以上は焼けないってぐらい真っ黒で、キャッチャーだからじゃないと思うけど、まさにズングリむっくりだったのよね。
そんなコータローだったはずだけど、背が伸びてスリムになっただけではなくイケメンに変貌してしまっていた。さらにだ、医者になってるだけじゃなく、人気イラストレーターの水鳥透にもなっていたのに腰抜かした。
どれだけ腰抜かしたかと言うと、なかなかこのイケメンがコータローだとわからなかったんだもの。そうなんだよ、コータローは中学を卒業して十八年の間にイケメンになり、地位も名誉も手に入れた男になっていたんだ。
トドメは独身でバツイチでもない。これで気にならない訳がないだろうが。でだよ、何故かコータローは千草に興味を持ってくれた。そこから連絡先を交換し、デートを重ね、ついに結ばれてしまったんだよ。
ここまでだって夢の中にいたようなものだけど、そこから同棲、ついには結婚して夫婦にまでなってしまってる。そうなんだよ、コータローは千草が夢でも見れないぐらいの白馬の王子様だったんだ。
コータローは夫婦になってからも渾身の愛を注いでくれる。そんな生易しいものじゃないな。毎日毎日怒涛のように押し寄せてきて、溺れ死ぬんじゃないかと思うぐらいだ。どれだけ千草を愛し、大切にしてくれることか。
結婚するとなって千草もあれこれ考えてはいたんだよ。結婚ってどうしてもリアルな部分に直面して行かなくちゃならないはずだもの。そこから夫婦関係の破綻が始まる話なんて幾らでも転がってる。
たとえば家事分担だ。これだけでも失敗したら溝が出来てしまう。ここについては専業主婦を覚悟してた。そりゃ、コータローの収入だ。千草のお給料なんてアテにもされないぐらいはわかってるもの。そしたらだよ、
「千草、悪いけど、麻酔科の仕事の日はやってくれへんか」
結婚当初なら週に三日ぐらい、今なら二日ぐらいコータローは麻酔科のフリーターの仕事に行くのよね。
「フリーターやのうてフリーランスや」
それ以外の日は自宅でイラストレーターの仕事をやってる。自宅でやってるものだからその日はすべての家事をやってくれる。さらに土日や祝日もやってくれる。つまり今なら週に二日だけ千草が夕食を作るのが家事分担なんだよ。
だから仕事もそのまま。そのままどころじゃない。コータローは家計に千草のカネを一円たりとも入れさせない。入れさせないどころか、千草の手取り分ぐらいのお小遣いまでくれるのよ。それはあんまりだと文句も言ったのだけど、
「アホ抜かせ、自分の女房を養なえんでどうするねん」
さらにだよ、千草が欲しいものはポンポン買ってくれる。これだって、そんな甘いものじゃない。千草が欲しがる気配を察しただけで買って来るだけじゃなく、千草が自分の収入で買うのだって嫌がるどころか怒るぐらい。
「当たり前や。誰が嫁やと思うてるねん。千草を嫁に迎えたからには不自由させたら男の恥や」
じゃあ、コータローが贅沢かと言えばクスリにしたくても無い。呆れるぐらいのケチなんだ。とにかく自分の事にはカネをかけない。服なんか貧乏コーデが大好きだし、日常品だって百均専科。
「コーナンにも行っとるわい」
同棲した頃のコータローのマンションは、とにかく殺風景も良いところだったもの。とにかく無駄なものを親の仇ぐらい敵視する人なんだよ。なのに千草にはチクロより甘いのがコータローだ。
千草だって無駄遣いは好きじゃないから間違ってもブランド品を買い漁ったりしないし、コータローに買って欲しいものを悟らせないように努力してる。千草がやりたいのは贅沢三昧じゃなく、慎ましくとも幸せな暮らしだもの。
「社長令嬢なのに尊敬するわ」
あのね、社長の娘であるのは認めるよ。そうだな、田舎のセレブもどき程度の家ではある。けどね、その程度の家だからお嬢様教育なんてされてないんだって。
「お花が活けられるのはお嬢様の何よりの証や」
ぐぬぬぬ。華道だけは師範だ。けどね、他の習い事はすべて挫折した立派過ぎる経歴なんだぞ。学歴だって、勉強嫌いが祟って短大止まり。それを言うならコータローだって医者のボンボンだろうが。
「あれはあれであれこれ言われまくったけど、医者のボンボンやったから、なんとか社長令嬢の千草と釣り合いが取れて結婚を認めてもらえたようなもんや」
そんな訳があるものか。結婚式を挙げたのは三十三歳の時だったけど同い年だぞ。
「夢の同級生結婚や」
そうではあるけど、女と男では年齢での価値が全然違う。女の方が早く下がるのはどうしようもない。千草はもう行かず後家だった。一方のコータローはいくらでも若くて美人を選び放題じゃないか。
釣り合いなんてコータローが医者であると言うだけで、こっちの方がはるかに軽いだろうが。医者であるのを舐めるな。なんとか釣り合いが取れそうだったのは、千草が田舎でもセレブもどきの家の娘だったからしかない。
コータローと結婚すると聞いて、誰もが驚いていたじゃないか。それどころか、考え直すように言われたのだって知ってるんだから。もっともコータローは怒りまくっていたけどね。
「あいつらどんだけ節穴やねん。この世に千草以上の女がいたら連れて来てみいや」
これね、口だけじゃないよ。千草が貶されたり侮辱されたりしたら、マジでトンデモない報復を喰らわすのよ。とはいえ絶対に実力行使はしない。これだって弱いからじゃない。そりゃ、千草のために逆上したら大根を握り潰してしまうぐらい強いもの。
コータローの報復はとにかく陰険の権化みたいなもので、これでもかの計算と策略を施し、自分の手を一切穢したりはしない。それでいて、相手には致命傷としか思えないぐらいのダメージを与えるんだよ。ああいうのを何があっても敵に回してはならない人なんだと思う。
そんなコータローの恋愛遍歴をすべて知ってる訳じゃなけど、決してブス専じゃない。だってだぞ、千草の前の彼女はトップモデルの朝凪カグヤなんだ。あそこまで行けば並の美人を超越するトンデモクラスだ。もっともコータローに言わせると、
「好みやあらへん」
これで一刀両断なんだけどね。ちなみに好みじゃないより興味が低い女は、
「趣味やあらへん」
どちらにしてもコータローの好きな女の基準は歪み倒していて、どうにもこうにも千草しかいないと思うぐらい。けどね、こんなバラ色の幸せな日が千草に訪れるとは思わなかった。どう考えたってここまで千草にのみ都合の良すぎる男が他にいるとは思えないもの。
どれだけコータローが千草にベタ惚れなのかは、体にも刻み込まれてる。千草はね、顔もブサイクだけど、スタイルも宜しくない。なのにコータローはこれでもかの性欲を煮え滾らせるんだもの。
あれだけ煮え滾った劣情を受け止めてたら千草だって変わる。それも千草が欲しい時には、欲しいだけの性欲を煮え滾らせてくれるんだよ。それが付き合い出した頃から数えてもう三年になろうとしてるのに、まったく衰える気配すらない。
あれってもし千草が毎日欲しがったら、毎日満たしてくれるとしか思えないんだ。それと、千草が欲しがらない時には手も出さないのがコータローでもある。だから一度たりとも嫌々応じたことがないもの。常に欲しい時に欲しいだけ満たしてくれるのがコータローだ。
「千草はオレの理想が歩いてるようなもんや」
これも、そうじゃないのは知ってる。ブサイクなのは置いとく、同い年なのも置いとく、これは結婚してからわかってしまった衝撃の事実なんだけど、相当どころでないぐらい妊娠にしにくい。はっきり言って不妊症なんだよ。
コータローはね、子ども好きなんだ。結婚してから、いや結婚する前に同棲してた時から、子どもが出来たらなんて話を何度もしてたもの。どんな子に育てようとか、子どもを連れてどこに遊びに行くなんて話をやりだしたら止まらないぐらいだったのよ。
コータローは一人っ子だったから、兄弟とか姉妹に憧れがあるんだよ。やっぱり寂しかったと思うんだ。だから千草も三人ぐらいは頑張る気でいたもの。なのに、なのになんだよ。目の前が真っ暗になるとまさにこの事だった。子どもが産めない千草なんて妻で居る価値も意味もないじゃいないか。
不妊を告げられ、病院から家に帰る時にはコータローの言葉さえ耳に入らなかった。頭の中をグルグル回っていたのは、これで捨てられ、離婚されるしかないの絶望に突き落とされてた。
コータローの顔なんて怖くて見れなかった。コータローの言葉を聞くのがとにかく怖かった。目に見えるものがすべて灰色に見えるとはあの事だったと思ってる。真っ暗になっていた千草に、コータローはさも不思議そうな顔をしてこう言ったんだ。
「なに陰気な顔しとるねん。なんか悪い事でもあったんか」
そんなもの子どもが出来ないって、
「オレは子どもなんか大嫌いやねん。千草が欲しそうにしとったから話を合わせただけや」
ウソだ。あんなに欲しがってたじゃないの。
「ああ全部ウソやった。やっぱりウソはあかん。千草との世界に子どもなんかいらん」
えっ、えっ、
「ホンマにせいせいしたわ。今夜は祝杯や。やっぱり千草はオレのパーフェクト・レディや」
あれから子どもの話題が出るたびに吐き捨てるように言ってくれる。この一点だけでも、コータローに死ぬまで付いて行く価値は余裕であり過ぎる。
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