第5話 すれ違う軌道、交わる赤面

(……間違いない。昨日の夜の仮説は揺るぎない)


 昼前、トイレの個室を出たあかりは、鼻息を荒くしながら廊下を闊歩した。制服のスカートが揺れ、足元の靴音がタイルに反響する。小さな胸の奥では、昨夜発見した“肛門=宇宙”理論の余韻がくすぶり続けていた。


(もう、これが確定だ……私の仮説は、間違ってなんかいない……! ふふふ……!)


 教室のドアを開けた瞬間、冬の日差しが机の上に反射し、微かに舞う埃の粒までが、あかりの目には星屑のように見えた。宇宙の扉は、いつだってありふれた瞬間から開かれるのだ。



 昼休み。教室に戻ったあかりは、やけに堂々と弁当を広げる。小さな箱の中には、好物が詰まっていたが、彼女の頭の中では別の計算が渦巻いていた。


(……肛門=宇宙。食べたものは便となり、また新しい世界を生み出す……! すべては循環……私の仮説は宇宙そのものだ……!)


 机の横で小さく震える足。隣の友達がチラリとこちらを見て微笑むが、あかりの視界は妄想で埋め尽くされていた。


 カバンの横目チェックも怠らない。だが、チャックの隙間から禁書の背表紙がちらりと顔を出した瞬間、心臓が跳ねる。


「……っ!? やば……見られたらどうしよう!?」



 そこへ現れる東雲光。


「お、また本か。さすが宇宙オタク!」


(やばっ!? 見られた!?)


 慌てて押し込むあかり。しかし光はまったく気にせず笑った。


「やっぱり宇宙好きなんだな。星の本、持ち歩いてるなんて」


(……宇宙? 本? あ、医学書を宇宙本と勘違いしてる!?)


 助かったと同時に、墓穴を掘らないようあいまいに笑う。


「そ、そうそう! 宇宙……だいすき……」


 光は頷き、楽しそうに語る。


「だよなー! だって宇宙ってロマンだろ。爆発で始まったのに、それが終わりじゃなく“始まり”なんだからさ」


(ちょ、ちょっと待って! それ、昨夜の“小さなビッグバン”と同じ理論じゃん!!)


 あかりの胸が跳ね、思わず机を叩いて身を乗り出す。


「そ、そうなの! 出すって、むしろ始まりなんだよ!!」


「……お、おう? なんか熱くね?」


 光は苦笑しつつも話を止めない。


「俺さ、最近思うんだ。宇宙って“入口であり出口”だなって。ブラックホールとホワイトホール、表裏一体でさ」


(……入口であり出口!? 肛門じゃん!! 完全に肛門じゃん!!)


 顔を真っ赤にして震えるあかり。頭の中でブラックホールが肛門とリンクして、無限ループする映像が再生される。


「もし俺たちも宇宙の一部なら、体のどこかに“宇宙”が宿ってるのかもな」


「~~~~っっ!!!」


(やめて! それ絶対肛門でしょ!! 私の頭ではもうそうとしか聞こえないの!!)


 さらにあかりの妄想は膨張する。机の上に置いたお弁当の一口サイズの食べ物まで、宇宙船の燃料や小惑星のように見えてくる。パンの断面は未知の惑星の地層に、ミニトマトは赤く光る衛星に。彼女の心の中では、昼休みの教室が一大銀河系へと変換されつつあった。


 隣で光が軽く手を振ると、その動きすら宇宙船の航行操作に見える。


「……あ、あかり? 顔赤いけど、大丈夫か? 宇宙の話してただけだぞ?」


「な、なんでもないからっ!!」


 叫ぶように返し、席に崩れ落ちるあかり。机に突っ伏しながら、心臓が爆発しそうに鳴っていた。


(……違う、宇宙の話。宇宙……わかってるのに……! どうして全部、肛門宇宙論に直結しちゃうの私~~!?)


 頭の中の宇宙妄想がさらに広がり、教室の窓の外では冬の光が反射し、銀色に輝く雪が静かに舞っていた。その一つ一つが、あかりの脳内では肛門宇宙の星々に変換され、無数の銀河が手の届く距離に存在するかのように見える。


 さらに妄想は細部にまで到達する。窓の結露は惑星表面の霜に、廊下を歩く生徒の靴音は探査船のスラスター音に、机の上のノートの紙の質感すらも、宇宙服のパネルや計器類に変換される。全てが一つの巨大な小宇宙となり、あかりはその中心で指揮を執る司令官となった。


 だが、光はただ隣で無邪気に笑い、話を続ける。あかりはそれを受け止めながら、心臓を押さえ、息を整えるしかなかった。


(……いや、落ち着け。これはただの昼休み。宇宙妄想は、私の中だけで膨らんでいればいいのだ……!)


 彼女の小さな心臓は、今日もまた、宇宙の鼓動と共鳴し続けていた。机の上のノートには、肛門宇宙論の新たな仮説や図が追加され、銀河と人体の関係性が少しずつ可視化されていく——まるで宇宙の真理を一人で紐解く研究者のように。

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