第3話 振ったはずのあの子

 神崎さんの指定どおり駅前のバス停で待った。だが、約束の時間から十数分経過しても一向に来る気配がなかった。

 平日といえど、駅前は人が多く繁盛していた。一人者や家族連れ、カップル、サラリーマンと順番に眺めていても、神崎さんの特徴的なお団子ヘアーが見つからなかった。俺と同年代と思しき者を見つけて目を凝らすが、黒髪のポニーテールであっため即座に除外した。

 歳の近そうな相手を見ると同じ学校の生徒かもと不安になってくる。神崎さんと二人きりでいる光景を知り合いに見られたくない。

「鴨川君」

 どこからか呼ばれる声が聞こえて振り返ると、探していたお団子が真先に映った。待たされたことに一言文句を言おうとしたが、神崎さんを見た瞬間に言う気が削がれてしまった。

「呼び出したのに遅れてごめんね。準備に手間取っちゃって」

 神崎さんは申し訳そうに笑いながら言った。準備という台詞に、俺はその様相をまじまじと見た。顔には薄く化粧気があって、口紅も塗ってある。整った睫毛にも気付くと、何の準備もしなかった俺の方が失礼な奴のように思えてくきた。遅れて来た事を咎めることは筋違いだ。

「良いよ別に」

 俺は気にしていないよう平坦に言いながら、ずっと気掛かりだったことを口にした。

「それで、電話のことなんだけど······」

「ていうか、さっきから何見てたの?」

 神崎さんは俺の言葉を遮り、訝しげながら言った。突然のことで、訳が分からず「え?」

と返した。

「あたしが来るときさ、なんか観察してるみたいだったから。なに見てんのかなーと思って」

 神崎さんが向いた先にはまだポニーテールの子がいた。無感情で眺める姿に、俺の体温が下がった。神崎さんは何も言わず、懐疑的に俺へ首を向けた。

「なんだその目は。ちげぇよ。同じ学校かどうか気になっただけだ」

 他意はない。と付け加えると、神崎さんは信じてくれたようで、疑った表情を解いた。

「あの子は違うと思うよ? 見たことないもん」

「分かんの?」

「うん。あたし友達多いし」

 その言葉に、神崎さんは思ったことを遠慮なく口に出す性格なのだと分かった。開放的すぎる物言いに、俺は「おう······」と濁した反応しか返せなかった。

「まぁ、違うなら良かった」と俺は肩を竦めながら一抹の不安を解消させた。

「それよりさ、どっかでお昼にしない?」

「良いよ」と俺は言った。「神崎さんの食べたいもんで良い」

「良いの?」と神崎さんは双眸を輝かせた。おもちゃを買って貰う前の子供のようだ。「じゃあ上の階に行こう。気になってたお店があるんだよね」

 神崎さんに案内されながら、俺はその背中を懐疑的に見た。あの一件を全く気に留めていないようで、以前から友人だった物同士であっているような感覚だった。

「そうだ、今日はありがとね」と神崎さんは言った。「絶対断られると思ってたから。来てくれて良かったよ」

 そう言ってはいるが、自分では強引に連れてかれたような感覚に近かった。有無を言わせないというか、動揺に付け込まれたというか、断る選択権を最初から持たせないように誘導された気分だった。

「······まぁ、暇だったしな」

 だが、その事に触れると、またのらりくらりと言い逃れされる気がしてならない。あの通話から、もしかしたら神崎さんは詐欺の手口に長けているんじゃないかと疑っていた。

「それに、俺も雅人に声かけたし、ある意味ちょうど良かった」

「そうだったんだ」と神崎さんは依然として明るい口調を崩さなかった。「ここだよ」

 神崎さんに飲食店の多い階に連れられて、そのパスタ専門店を指さした。

「あぁ、ここか」

「知ってるの?」

「行ったことはないけどな」

「凄いんだよココ。注文したらパン食べ放題」

「へぇ······」

 食べ放題という文字並びが甘美な響きだった。気になることは多いが、まずは腹ごしらえと思い、今度は俺の方から神崎さんに「入ろうぜ」と促した。

 パスタ専門店と銘打っていたが、店内にイタリアンレストラン風のカラフルな装飾はなく、質素な和風の内装をしていた。暖色系な色合いが落ち着いた印象を抱かせる。この店のおすすめも和風カルボナーラなだけあって、パスタって和食だったっけ?と不意に思ってしまった。腹が満たされれば何でも良かったので、とりあえずメニューに存在を誇示している和風カルボナーラにしておいた。

 片や神崎さんは、うーんと唸りながらメニューを睨んでいた。寄った眉間が真剣さを漂わせている。彼女は凝然と見ていた俺に気づき、ハッと顔を上げた。

「もう決めたの?」

「あぁ」

「はやっ、もうちょい待ってて」

「ゆっくり決めて良いよ」と俺は苦笑を交えながら言った。

神崎さんのメニューに悩む姿や俺に話しかける口調も自然体のままに感じられて、その様相が俺を更に困惑させた。

「よし、決めた」と軽快に言いながら呼び出しボタンを押した。「鴨川君はなんにしたの?」

 唐突に尋ねれて、俺は咄嗟に「これ」とメニューの写真を指差した。

「あ、それも結構美味しいんだよね。そっちでも良かったなぁ」

「もう遅いだろ」

 俺が苦笑しながら言うと、店員が注文を尋ねに来た。互いに注文を済ませた後、グラスの水に手を伸ばした。乾いた喉を潤しながら様子を伺う。一瞥すると、神崎さんは俺に向いていなかった。電話のことを尋ねるなら今しかない。

「あのさ、」

「鴨川君てさ、よくどんなお店行ってるの?」と神崎さんは尋ねた。

 俺が言う前に遮られてしまった。意図して遮ったのか純粋な問いなのか定かでないが、真摯な双眸で見詰められると声が出なくなった。

「······マックとスタバが多いかな。文化祭が終わった後はつるんでる奴らと串カツを食べに行った」

 またも俺が屈する形となってしまった。この変哲もない日常のような雰囲気を重苦しくすることは憚られた。

「市原君たち?」

「基本アイツらだな」

「なんか男子って感じがする。4人とも仲良いよね」

「気の良い奴らではあるよ。一緒にいると笑えるし」

「分かる。西田君とかホント面白いもん」

 西田は浩二の名字だ。

「アイツは馬鹿なだけだよ」

 直截に言うと、神崎さんはフフッと吹き出した。俺も友人たちの話をするのは気分が良く、自然と口元が緩んできた。話が途切れると、神崎さんがグラスに手を伸ばした。俺は口を付けた瞬間の油断を好機と捉えた。切り替えるなら、静寂ができた今しかない。

「じゃあ、次は俺が聞く番」

 ハッキリと通るように言うと、神崎さんは水を飲んだまま目を見開いた。すぐさまグラスから口を離し、ゴクリと喉を鳴らした。

「あたしの行く店?」

「違ぇよ。後夜祭のことだよ」

 惚けているのか、本当に店のことだと思ったのか不明瞭だったが、俺は気にせず一蹴した。

 俺は冷静な姿勢を心掛けて、真剣な口調をぶつける。弛緩していた空気が一瞬にして張り詰めた。神崎さんは押し黙ると、「あー」と居心地が悪そうな笑みを浮かべた。

「やっぱ聞くよね······」

「気にするなって方が無理だろ」

 俺は真剣な態度を崩さないよう努めた。冷淡かもしれないが、俺は彼女の心境を知るために此処に来たのだ。今更引き返せない。

「気持ちに応えられなかったことは申し訳ないと思ってる。別に気兼ねなく話しかけるのも全然良いんだ。こっちだって今まで通りに過ごせるならそれで良い」

 俺は緊張の走った空気を少しでも和らげようと、神崎さんの遠慮が抜けるように言った。

「ただ、あのときのことをどう思ってるのか気になるんだ」

 あの一件は互いに気まづい。本当なら知らない振りするのが一番良い。そのうち時間の流れが解決して、友人同士の過去の出来事として笑い話にできるかもしれない。  だが、今の俺では笑い流せるほど簡単な話に済ませられなかった。俺を誘った心境が気になっていた。

「分かってる」

 幾許か黙っていたが、神崎さんは覚悟を決めたように肝の据わった声を上げた。

「いつかは聞かれるだろうなって思ってた。話すつもりでもいたの」

「なら······」

「でもね」と神崎さんは語気のある声で遮った。「必ず話すけど、それは食べてからで良い?」

 そう、ハッキリと遠慮するような口調で言った。

「せっかく来たんだから、気まずい空気になんの嫌じゃん?」

 今更気が付いたが、彼女は一度も文化祭の話をしてこなかった。最後はお互いに苦い思いをしたが、楽しかった思い出であることも事実で、二日前に終わったばかりのイベントだ。本来なら思い出話に興が乗るはずだが、それでも話に挙がらなかったのは、神崎さんが文化祭の話を避けているからだ。

「だよな。悪い」と俺は神崎さんを優先し、今は引く事を選んだ。

「あ、来たみたい」

 横を向くと、盆に二つのパスタを乗せた店員が来た。

 俺たちは食べながら、当たり障りのない会話を続けた。神崎さんは絶え間なく弾んだ口調で喋るので、俺も吊られて笑みを浮かべられた。けれど、その応酬は文化祭の話を避けていた。一度でも口にしたら暗い気分が思い出してしまう。お互いに本心を語らないまま、淡々と時間が過ぎていった。

 当初は俺自身が気を遣っていると思っていたが、話しているうちに神崎さんに気を遣わせているような気がして、彼女の明朗さに胸が痛くなった。だが、それも暫くの辛抱だ。いずれ語ってくれるその時を、今は待つしかない。

 


 俺たちは店から出て駅内をぶらぶらと並んで歩いた。神崎さんはご満悦のようで、パスタだけでなくパンも10個以上は平らげた。細い体のわりに俺より食べている。正に本能のままだ。

「いやぁ、美味しかったね。パン」と神崎さんは言った。

「パスタ食った感想がそれかよ」と俺は突っ込んだ。

「あっはは! それ!」と神崎さんは手を叩きながら笑い声を上げた。「だけど、鴨川君こそ結構食べてなかった?」

「元運動部の名残かもな」

「もう運動はしてないの?」

「過剰な運動はしてないな。軽い筋トレとかジョギングで体力を維持するくらいだよ」

「良いねそれ。運動部的にも日々の行いが大事だったりするんだよ」

「運動部みたいなこと言うんだな」

「いや運動部だし。知らなかったの?」

「あ、忘れてた。確かにそうだったな」

 神崎さんは女子バレーボール部に所属していたのだった。更に思い返すと、レギュラーにメンバー入りして大会に出場するほどの実力者でもあった。そして、バレーボール部はビーチバレーチームも持っており、神崎さんは成田とペアを組み、そちらの大会でも好成績を収めていた。

「ちゃんと覚えてよね? 壮行会にだって毎回出てるんだから」と神崎は不満げに言った。

「俺は神崎さんのことずっと考えてた訳じゃないし、そこまで多くのことは知らねぇよ。それに、これまではあんまり話したことなかっただろ」

「あ、そっか。あたしたちってあんまり話したことなかったよね。······アレも結構前か······」

神崎さんは思い出したように言い、最後にぼそりと何かを呟いたが、聞き取ることができなかった。

「ねえ、鴨川君。ちょっと付き合ってくれない?」と神崎さんは唐突に提案してきた。

「今がそうだろ」と俺は言った。

「今から二人でゆっくり話せる所に行きたいの」

 その言葉に、俺は遂にその時が来たと悟った。これまで敬遠していた後夜祭の一件と、神崎さんの胸の内をようやく聞くことができる。

 俺は黙然と頷き、彼女の背中を諾々と付いて行った。

 目を眇めるほどの陽光に、俺の気分は今日の快晴とは正反対に曇天のように陰鬱となる。

 俺は快晴が苦手だ。苦手になってしまった。体感的な問題ではなくて心の問題。嫌な記憶が蘇る日差しだ

「雄一君、ずっとあの事気にしてたでしょ」と神崎さんは振り向いていった。俺の心情を全て分かっていると豪語するように、口元を愉快げに吊っていた。「なんかずっと気を遣ってるなーって感じだった」

「当たり前だ。飄々となれるほど気楽な性格じゃないからな」

「振ったのはそっちでしょ? 堂々としてれば良いのに」

「神崎さんがそれを言うのか」

 少なくともお前の台詞ではないだろ。と呆れながら思った。だが、神崎さんは俺の態度にもクスクスと笑っている。彼女の精神力には感服しかない。

「鴨川君って結構付き合い良いんだね。前も言ったけど、あたし絶対断られると思ってたし、絶対変な奴だと思われる気がした」

「実際変な奴だとは思ったよ」

「はぁ?」と神崎さんは苛立った声を上げた。「言っとくけど、電話するの大変だったんだからね? 私の勇気を褒めてよ」

「ハイハイ、すごいすごい」

「超ムカツク」

 むくれながら俺を叩こうと腕を挙げたので、咄嗟に防御の姿勢を取った。下手に茶化すのはやめよう。

「俺は全然気にしてないと思ってた。すぐに忘れて新しい出会いを求めてんじゃないかって」

「失恋が平気な人なんていないよ」

「そんなこと言っても、文化祭の片付けの時もなんか楽しそうだったからな。俺の事も眼中にない感じだったし、そう思うのも無理ないだろ」

「鴨川君にはそう見えたの?」と神崎さんは意外そうに言った。「あのときのあたし結構ナイーブだったよ? とにかく動いて、振られたこと考えないようにしてたし」

 こちらの印象とは真逆の回答に、俺は呆気に取られた。道理で活発過ぎると感じていたが、無理をして元気に振る舞っていたと思うと、余計に申し訳なくなる。

「······それは悪かった」

「それに、鴨川君のことも無視してなかったわけじゃないよ? ずっと面倒そうで、隙を見てはサボろうとしてたのも分かってたし」

「そこは見なくて良い」

 俺は迷惑だと訴えるように言うが、神崎さんには全く響いていなかった。的中させた喜びから意地悪そうに笑う。だが彼女の言ったことは事実なので、見ていないようで見ていたことに驚いた。むしろ、神崎さんから目を背けたのは俺の方だった。勝手な思い出作りと決め付け、飄々とした風情を見ていたら憤然となりそうだったから。

 話しながら歩くにつれ、大きめな公園が見えてきた。どうやら神崎さんはあの場所に向かっているようだ。

 広い公園には俺と神崎さん以外誰もおらず、世界で二人だけが取り残されたような閑散ぶりだ。文化祭のときとはまるで違うが、俺たちはまた二人きりだ。

 神崎さんはベンチの端に座った。隣に俺が座れる分のスペースを作って、座りなよ、と言うようにポンポンと板に触れた。だが、俺が首を振ったことで、彼女は不満げに口を窄めた。

「今日のこと、そろそろ聞いても良いか?」と俺は蟠っていた想いをようやく吐露できた。

 真剣な口調と双眸で神崎さんを真摯に向き合った。また軽々と逃げられないよう、視線で捉えた。

 だが、そこに笑みはなく、掴み所のない無感動な顔があった。体温が下がりそうな、静かな圧力を感じる。だが、俺は屈せずに見詰め返した。流れた沈黙に車のエンジン音が轟く。

「鴨川君ってさ、好きな子いるの?」

「······は?」

 この状況に何を思ったのか、神崎さんの口から予想外の言葉が落ちて、俺は間抜けな顔を晒した。こちら怪訝を更に深める発言だ。思考回路は混線状態で、俺はショートした機械のようにその場で立ち尽くした。

「なに、その顔」と神崎さんがクスリと笑った

「お前が変なこと言うからだ」と俺は我に返った。

「で、実際のとこどうなの?」

 俺はその質問の答えに迷って、頭を掻きながら逡巡した。いるかいないか、自分にとって相応しい選択肢を選ぶだけなのだが、どちらも不正解な気がしてならなかった。自然と自室に置いて来たペンダントを思い返していた。

 アイツの顔が過ぎる中で選択を迫られる。どちらを選んでも胸が痛い。

「······いない」

 俺は締め付けられるような苦しさから、喉に引っ掛かる言葉を絞り出した。その声は自分でも分かるほど掠れていた。

「いないの?」

「あぁ」

「ホントに?」

「本当だよ」

「神に誓える?」

「何にでも誓ってやるよ」

 詰問してくるので、俺は鬱陶しく思いながら言い放った。嘘は言っていないが、胸のあたりが濁っていて気持ち悪い。

 神崎さんは何故か安堵した。彼女の笑みなど既に見飽きていたが、その面持ちには余裕が感じられて、俺は違和感から怪訝に見入ってしまう。

「だったら、あたしはまだ好きでいて良いわけだ」

「は?」

 その毅然とした物言いに、俺はまたしても当惑を煽られた。彼女に意識を持ってかれるのは今日で何度目だろうか。言葉に詰まりながらも神崎さんの意図を確かめようとする。だが、彼女は遮って話し続けた。

「鴨川君に好きな子がいるなら応援するし、キッパリと手を引くよ。でもいないならどう思おうと勝手だよね」

「ちょっと待て」

 俺は神崎さん台詞を整理するため、慌てて手を伸ばし静止させた。彼女の言葉にはある感情が見え透いてならなかった。雰囲気がまるで違うが、文化祭と同じような状況が再現されている。デジャブと言うには記憶に新しい。

「つまり、お前はまだ俺のことそういうふうに······」

 恐々と尋ねた俺とは対照的に、神崎さんは悠然と構えていた。その口から紡がれるだろう台詞に、俺は言わないで欲しいと拝でいた。

「思ってるよ」と神崎さんは即答した。

 そして、俺の強張っていた体は脱力して嘆息が溢れた。この現実は拒めないという諦念だけが体内を巡っている。

 とはいえ、俺の言うべき事は変わらない。背筋を伸ばし、毅然と神崎さんに向き直った。

「あのときと同じだけど、俺じゃあお前の気持ちには応えられない。そもそも、誰かと付き合うとか、恋愛とか、そういうのをする気がないんだよ。だから諦めてくれ」

「お願いしても?」

「駄目だ」

「世界の中心で叫んでも?」

「どこでも駄目だ」

「百一回告白しても?」

「一億回でも駄目だ」

「あたしの膵臓あげるよ?」

「いらねぇよ」

「なんならトラックの前に飛び出してみようか?」

「出来るのかよ」

「あ、ごめん。あれは無理」と神崎さんは、あっはは!と手を叩きながら呑気に笑った。

 なんでコイツはこんなに楽しそうなんだ。俺は彼女の心の中を覗きたいくらいに困惑して頭痛がしそうだ。

「······なんだって俺なんだ」

 他の誰かならこの状況に舞い上がるだろう。彼女ができたら喜ぶのが当然だし、普通の男子なら迷いなく神崎さんの告白を受けるはずだ。

 そう、俺は普通ではないのだ。ある日を境に普通さが欠落した。そんな俺を好きになってしまった神崎さんには不憫だが、早々に諦めた方が賢明だろう。

「俺なんかと付き合ったって、面白いことなんて何もねぇよ。それに、付き合うだけだったら他の男とでもできるだろ」

 俺は諭すように言いながら、浩二の発言を思い返した。アイツは少なからず神崎さんに好意がある。神崎さんも面白いと言っていたし、俺よりずっと適任だ。

「鴨川君はさ、私が単に誰かと付き合いたくて、あのとき告白したと思ってるの?」

 神崎さんは静かな口調だったが、奥底には怒りのような感情が内包しているようだった。

 俺は失言をしたと思い、押し黙ったまま神崎さんと向かい合った。表情は薄いが、その静けさが逆に緊張を煽った。

「あたし、そんな中途半端な想いで告白なんてしないよ」

 先刻とは打って変わった語気の強さと淀みない瞳に、神崎さんが本気であると認めるしかなかった。

 だが、こちらにも譲れない信念がある。たとえ彼女の想いがどれだけ強かろうと俺自身が折れるわけにはいかない。それを自身に証明するために、あのペンダントを大切にしている。

「······もう勝手にしろ」

 俺はもう何を言っても無駄という諦観から吐露していた。神崎さんの気持ちを承知しても、俺自身が確固たる信念を貫けば良い。そうすればいずれは諦めてくれるだろう。どんなに好意が大きくても、自分に向かなければ寂しさが募るし、最後には無駄と悟る。結局のところ、自分を好きなってくれる人間を好きになるのだ。

「俺の気は変わらないぞ」

「分かった。あたしも諦める気ないから」

 ベンチから立ち上がった神崎さんの瞳は闘志で燃えているように見えて、俺は堪らず影へと伏せた。会ってからどれ程経過したのか、影は長くなっていた。

「もう帰るぞ」と俺は神崎さんを置いて行くように公園を後にしようとした。

「あ、ちょっと!」と神崎さんは慌てて後を追った。「近くまで送ってよ」

「嫌だよ。そんなことしたらお前がその気になるだろ」と俺は淡白に言った。

「えー」と神崎さんは仰々しく残念振った。

 これからは神崎さんを諦めさせるため、こうした冷然な態度で臨むしかない。どちらが先に息切れするかの根気との勝負だ。だが、俺は負ける気は微塵もなかった。神崎さんを好きになるなど有り得ないと断言できる。

「ねぇ、これから雄一君って呼んでも良い?」と神崎さんは言った。

「ご勝手に」

「あたしのことも朝陽って呼んでも良いからね」

「分かったよ、神崎」

 名前呼びが叶わなかったことで神崎は不服からムッとなったが、直ぐに持ち前の明朗さを戻した。

 俺は対照的に暗然となるばかりだ。コイツのお陰で胃が痛くなる日々が始まり、折角の休日も無駄な体力を消費してしまった。席替えでは近くにならないことを祈る。

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