第6話

 偶然の再会、そして揺れる心


冷たい夜風が路地裏を吹き抜ける。

俺――ホーリーナイトは、破れたスケッチをくわえ、倉庫の影を転々としながら息を整えていた。

胸の奥に残るざわめきが、どうしても消えない。あの少年の瞳。あの声。


「……馬鹿らしい。」


自分に言い聞かせるが、鼻をくすぐる匂いがそれを許さなかった。

紙と鉛筆の擦れる匂い、そして絵具のかすかな香り。

それは大通りで嗅いだ匂いと同じで、まるで俺を呼んでいるかのようだった。


そのとき、足音が遠くから近づいてきた。

雪を踏む軽いリズム。人混みとは違う、ひとり分の音。

俺は耳をぴくりと動かし、影に身を潜める。

……また、あいつか。


ランプの灯りが揺れ、少年の姿が現れた。

腕の傷を押さえながらも、迷いのない足取りで路地を進んでくる。

視線は闇の奥を探し続けていて、その目には恐れも怒りもなく、ただ真剣さだけが宿っていた。


「……どこに行ったんだろう。せめて、もう一度だけ……」


小さな声が夜気に溶けた瞬間、胸の奥が締めつけられる。

逃げるべきだとわかっているのに、体は動かない。


俺は一歩引いて角を回り込んだ――が、運命は皮肉だ。

次の瞬間、目の前に少年が立っていた。

ランプの光が俺の姿を照らし、互いの瞳が再び交わる。


「……やっぱり君か。」


少年は驚くでもなく、静かに微笑んだ。

引っかかれたはずの腕を押さえながら、それでも俺を真っ直ぐに見ている。

そこには怒りも哀れみもなく、ただ「会えた」ことを喜ぶような光だけがあった。


胸がざわついた。

「ふん、変わり者め……」

心の中で吐き捨てても、しっぽはぴくりと揺れてしまう。


少年はしゃがみ込み、スケッチブックをそっと取り出す。

紙の端には、俺の影が描かれていた。

荒い線なのに、不思議と命を宿している。

まるで俺の息づかいまで紙に残っているようで、目を逸らせなかった。


「……くそ、興味を持つなってのに。」

唸り声を漏らすが、胸の奥は否定できない熱で満ちていた。


少年は紙を地面に置き、俺に見えるように差し出した。

「僕は君を描きたいんだ。逃げなくてもいい。」

その声は穏やかで、必死さと優しさが入り混じっていた。


夜風が二人の間を吹き抜ける。

雪が静かに降り積もり、世界から音を奪っていく。

互いの距離はわずか数歩。

それなのに、心の距離はもっと近く、もっと遠い。


俺はしっぽを高く掲げ、誇りを示す。

逃げる自由と、惹かれる気持ちがせめぎ合い、胸を掻き乱す。

まったく、くそったれだ。

なぜ、また会ってしまったんだ。


それでも――足は止まっていた。

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