第2話「稟議書、ドラゴンは経費で落ちますか?」
王国特別補佐官としての初日。
俺、山崎健二は、小鳥のさえずりでもなければ、教会の鐘の音でもない、兵士がドアを力任せに叩く音で叩き起こされた。時刻は、日の出前。空がようやく白み始めた頃だ。
「…労働基準法という概念はないのか、この国には」
文句を言っても始まらない。与えられた豪奢な執務室に入ると、そこには既に羊皮紙の山が築かれていた。内容は、近隣の村からの陳情書、各部署からの業務報告書、そして予算の要求書。どれもこれも、結論が冒頭に書かれておらず、だらだらと情緒的な文章が続くだけで、要領を得ないものばかりだった。
「ひどいな、この書類フォーマット…。まずは全様式の統一と、報告・連絡・相談(ホウレンソウ)の徹底からか…」
無意識に改善案を呟きながら書類の山を仕分けていると、国王と宰相、そして見るからに頑固そうな初老の男と、ピンと尖った耳が特徴的な美しいエルフの女性騎士が入室してきた。
「おお、ヤマザキ! 早速で悪いが、緊急の案件じゃ!」
王様が指し示した議題は、騎士団からの「ドラゴン討伐予算の増額要求」だった。
北の渓谷に住み着いたドラゴンが交易路を塞ぎ、近隣の村を襲っているらしい。報告書(という名の日記)を読む限り、被害は甚大だ。
エルフの女性騎士――騎士団長のリズ殿が、熱っぽく語る。
「我らが騎士団の誇る剣技と、古より伝わるエルフの魔法を以てすれば、あの邪竜を討伐することは可能です! しかし、そのためにはドラゴンの硬い鱗を貫くミスリル銀の矢と、癒やしの効果が高いハイポーションがどうしても必要でして…!」
情熱は伝わる。伝わるが、あまりにも根性論がすぎる。具体的な計画や費用対効果の説明が一切ない。これは典型的な「熱意だけで突っ走る若手社員」のプレゼンだ。
案の定、頑固そうな初老の男――財務大臣が、腕を組んで首を横に振った。
「却下じゃ! ドラゴン討伐など前例がない! そもそも、討伐に成功する保証はどこにある? 失敗すれば、貴重な騎士と装備を失うだけだ。そんな不確定なものに割く予算は、この国には一銭たりともない!」
これはこれで、典型的な「前例がないと動けない経理部長」タイプだ。
リズが「気合で乗り切ります!」と言えば、財務大臣は「気合では腹は膨れん!」と返す。議論は完全に平行線だった。
見かねた俺は、すっと手を挙げた。
「少し、よろしいでしょうか」
全員の視線が俺に集まる。俺は近くにあった一番大きな羊皮紙を壁に貼り付け、木炭を手に取った。ホワイトボード代わりだ。
「まず、この案件の目的、いわゆるゴール(KGI)を明確にしましょう」
俺は羊皮紙に、さらさらとフレームワークを書き始める。
「現状(As Is)、ドラゴンの存在により物流は停滞。これにより、年間どれくらいの経済的損失が発生していますか? 財務大臣殿」
「なっ…そ、そんなものは計算したことが…」
「では、あるべき姿(To Be)は、交易路の安全確保による経済の活性化。リズ殿、討伐が成功した場合、交易路が正常化するまでのおおよそのリードタイムは?」
「りーど…たいむ…?」
異世界人に専門用語は早かったか。俺は質問を噛み砕く。
「ドラゴンを倒してから、商人が安全に通れるようになるまで、何日くらいかかりますか?」
「はっ! 後片付けや安全確認を含め、10日もあれば!」
よし。俺は両者から聞き出した情報を元に、羊皮紙上で試算を始めた。
【投資(コスト)】
・ミスリル銀の矢:金貨500枚
・ハイポーション:金貨300枚
・騎士団への特別手当(人件費):金貨200枚
→合計:金貨1000枚
【リターン(見込み)】
・交易路復旧による関税収入増:年間 金貨800枚
・ドラゴン素材(鱗、牙、心臓)の売却益:推定 金貨1500枚(※市場調査要)
・近隣の村からの税収回復:年間 金貨300枚
・治安回復による民衆の支持率向上:プライスレス
「――以上の試算により、ドラゴン討伐は初期投資こそ金貨1000枚と大きいですが、わずか1年足らずで投資回収が可能。ROI、すなわち投資利益率は実に260%を超える、極めて優良なプロジェクトであると結論付けられます」
俺は木炭を置き、ビシッと全員を見据えて言い放った。
「これは単なる『ドラゴン討伐』という名の駆除作業ではありません。王国経済をV字回復させるための、戦略的な『インフラ投資』なのです!」
シーンと静まり返った会議室。
王様も宰相も、リズも、そしてあれだけ頑固だった財務大臣でさえ、羊皮紙に描かれたグラフ(のようなもの)と、淀みなく語る俺の姿に完全に圧倒されていた。
やがて、財務大臣が重々しく口を開いた。
「…前例はない。前例はないが…そこまで言うのであれば、検討の価値はあるやもしれん」
そして、彼はキッと俺を睨みつけた。
「ただし! そのリターンの根拠となる、より詳細な見積書と、討伐計画の工程表(WBS)を、明日までに提出すること! それが承認の条件じゃ!」
「明日まで!?」
思わず叫ぶ俺。異世界に来てまで、この無茶振り。デジャブしか感じない。
一方、リズは目をキラキラと輝かせながら、俺の腕をがっしりと掴んだ。
「ヤマザキ殿! あなたは一体何者なのですか!? その『あーるおーあい』という相手を黙らせる魔法、ぜひ私にもご教授願いたい!」
「魔法じゃない、ただの社畜スキルだ…」
こうして、俺の異世界での初仕事は、騎士団と財務省へのヒアリング、そして深夜に及ぶ見積書とWBSの作成という、安定の徹夜残業で幕を開けることになったのだった。
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