​社畜山崎、異世界でもデスマーチ

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​社畜山崎、異世界でもデスマーチ

第1話「転生、そして安定の定時退社希望」

チカチカと点滅する蛍光灯、鳴り止まない電話、そして、目の前にそびえ立つ書類の山、山、山。

俺、山崎健二(32歳、独身、趣味はエナジードリンクの成分比較)の意識は、積み上がった「至急」と書かれた付箋の森の中で、静かにフェードアウトしていった。

「納期は…絶対に…守る…クライアントの信頼が…第一…」

最後に聞こえたのは、隣の席の佐藤くんが「山崎さーん!大丈夫ですかー!」と叫ぶ声だったか、それとも課長の「まだだ!まだ終わらんよ!」という悪魔の宣告だったか。

もはや、どうでもよかった。

あぁ、眠い…。来世は、クラゲにでもなりたい…。

次に目を開けた時、俺の目に飛び込んできたのは、見慣れたオフィスの天井ではなく、金糸の刺繍が施された、やたらと豪華な天蓋だった。

「…ん?」

体を起こすと、シルクのように滑らかなシーツが肌を撫でる。なんだこれ。俺の万年床は、もっとこう、せんべいみたいに硬いはずだ。

状況が全く飲み込めない俺の耳に、重厚な声が響いた。

「おお! 目を覚まされたか! 勇者よ!」

声のした方を見ると、金ピカの玉座にふんぞり返った、いかにも「王様」といった感じの髭もじゃのオッサンが、満面の笑みでこちらを見ている。その隣には、胃を押さえながら、目の下に隈を飼っている、いかにも「中間管理職」といった感じの宰相らしき人物が立っていた。

「勇者…? 人違いでは?」

「いやいや! 古の魔法に従い、魔王を打ち滅ぼすため、異世界より召喚されし聖なる勇者! それがそなたじゃ!」

王様は高らかに笑う。

魔王? 召喚? まるでラノベの導入だ。どうやら俺は、過労死の末にファンタジー世界へ転生してしまったらしい。

なるほど、なるほど。

つまり、ブラック企業から解放された、と。

もう、あの地獄のような日々に戻らなくていいんだ。

俺の胸に、じわじわと歓喜の波が押し寄せてきた。

スローライフ! 俺が求めていたのはこれだ!

田舎でのんびり暮らすんだ。朝は鳥のさえずりで目覚め、昼は畑を耕し、夜は星空を眺めながらぐっすり眠る。最高じゃないか。

「勇者よ! 早速だが、魔王軍の幹部が北の砦に迫っておる! すぐに討伐の旅に出て…」

「お断りします」

俺は、王様の言葉を食い気味に遮った。

「え?」

王様も宰相も、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。

「ですから、勇者は辞退させていただきます。それよりも、いくつかご確認したいのですが」

俺はすっかり聞き慣れたビジネス口調で切り出した。

「まず、この国における労働基準法について。週休二日制は保証されていますか? 残業代は支給されますか? あと、有給休暇の取得率も気になりますね」

「ろーどー…きじゅん…ほう?」

「ゆうきゅう…きゅうか?」

王様と宰相は、未知の魔法の呪文を聞いたかのように顔を見合わせている。

ダメだこりゃ。話が通じない。

仕方なく、宰相が国の現状について説明を始めた。

曰く、魔王軍の侵攻で国土は荒廃し、財政は火の車。近隣諸国との関係も悪化しており、まさに内憂外患。問題は山積みらしい。

説明を聞いているうちに、俺の体に染み付いた社畜の血が騒ぎ出した。

「なるほど。問題が山積みですね」

俺はベッドから降りると、近くにあった羊皮紙と木炭を手に取った。

「まず、これらの問題を緊急度と重要度のマトリクスで分類しましょう。で、現状の人的・物的リソースを鑑みた上で、対応可能なタスクからプライオリティを付けていくべきです。俗に言う『選択と集中』ですね。ちなみに、現状のKPIは何に設定して…」

スラスラと羊皮紙に図を書き、専門用語を並べ立てる俺を、王様と宰相は口をあんぐりと開けて見ている。その姿は、かつて俺が放ったパワポでのプレゼンに圧倒されていた取引先の担当者のようだった。

「勇者よ…お主、一体何者なのだ…?」

「その『けーぴーあい』とは、一体どんな古代魔法なのですか…!?」

王様の目が、キラリと光った。

まずい、何か嫌な予感がする。

「素晴らしい! 勇者よ、お主には魔王と剣で戦うよりも、もっと向いている仕事があるぞ!」

高らかに宣言する王様。

俺は全力で首を横に振った。もう働きたくない!

「本日付で、そなたを『王国特別補佐官』に任命する! 主な業務は、王国運営における諸問題の解決じゃ!」

「話が違う! 俺はスローライフを送りに来たんです!」

俺の悲痛な叫びは、王様の笑顔によってかき消された。

「もちろん、報酬は弾むぞ! 衣食住も完全に保証しよう!」

「……」

「どうじゃ?」

ぐっ…と喉が鳴る。衣食住の保証。その言葉は、家賃と光熱費のために身を粉にして働いてきた元社畜の心に深く、深く突き刺さった。

「…ちなみに、勤務時間は?」

俺は、最後の望みをかけて尋ねた。

「うむ。とりあえず、明日の夜明けから日没までじゃな!」

「結局ブラックじゃないですか!!!」

俺の絶叫が、王城に虚しく響き渡った。

こうして、山崎健二(32歳)の異世界での社畜ライフ、もとい、王国特別補佐官としての新たなデスマーチが、静かに幕を開けたのだった。

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