第26話:雨降って地固まる

 最初の一滴は大したことなかった。

 その後の雨粒だって、よくある雨だと思った。


 十分後、世界は轟音で埋まった。

 叩きつける雨で、土はみるみる泥に沈む。

 雷が鳴り、風が畑を横殴りにする。列になった芽が、まとめて倒れた。

 せっかく息を吹き返した大地が、また息を奪われていった。


***


 昼過ぎ。嵐が少し弱まったところで、人々は集会場に集まった。


「……どうする」「全滅だろ」「しょうがないよな」


 言葉が落ちるたび、肩も落ちていく。


 ハロルドは壁際で腕を組んで黙っていた。

 冷静に見えたが、眉間に悔しさが刻まれていた。

 暗く、湿った空気が集会場にねばりついていく。そのとき。


「別にいいじゃない」


 アメリアが軽く言った。

 みんなが顔を上げる。彼女は濡れた髪をかき上げながら、笑っていた。


「全部ダメになっても、また一からやればいいだけだよ」


 村人が小さくざわつく。


「私、嫌いじゃないもん。みんなと一緒に仕事するの。泥だらけで、息切れして、汗くさくて……でも、悪くないのよ。それに、水に流されちゃったとして、全部なくなるわけじゃない。みんなの頑張りは、ちゃんと私が知っている」


 アメリアは明るい声で続ける。


「だからみんな、また一緒に頑張ろうよ」


 その一言に、空気がわずかに揺れた。

 うつむいていた視線が上がり、沈んでいた肩が起き上がる。


「そうだよ」「またやればいい」「アメリアちゃんがいれば、楽しいし」


 ささやきが広がり、表情が少しずつ変わっていく。


 ハロルドもアメリアに視線を向けた。

 ほんのわずかな笑み。それだけで十分だった。


 そのとき――


「みなさま!」


 扉が勢いよく開いて、カノンが飛び込んできた。

 髪は水を滴らせ、頬は赤い。珍しく息が切れている。


「すぐに畑に来てください」

「どうした?」ハロルドが前に出る。

「理由は、あとで」


 カノンはそれだけ言って、背を向ける。

 嵐の音が、また強くなった。


「行くぞ」


 ハロルドが短く言う。誰も反対はしなかった。

 次々に立ち上がり、カノンの背中を追った。


***


 畑に戻ると、嵐の中で黒い影が踏ん張っていた。

 開拓くん三号だった。車体は泥に沈み、装甲はボロボロで、パイプの裂け目から水を吐き出している。

 それでも畑の真ん中に身を置いて、雨を受け止めていた。


 コックピットには、デントの姿。

 顔は泥と雨でぐしゃぐしゃ、目は充血し、唇は血の気がない。

 それでもレバーを握る手は離れなかった。


「……あのばか」


 ハロルドは舌打ちをして、すぐに声を張り上げた。


「体力のあるやつ、北側にロープ張れ! それ以外は、土のうだ。急げ!」


 村人たちは一斉に走り出した。ロープ、土のう、桶の受け渡し。

 カノンは泥だらけのスカートを気にせず、テキパキ動く。

 アメリアは……ひとりあわあわしていた。


「えーと、どのう? どのうって、どの? どのどうの? へへ」

「お嬢さま、怪我人は邪魔なのであちらに」

「私だって、やれますけど!? さあ、なんでも指示を出して!」

「では、応援をお願いします。お嬢さまの声はよく通ります」

「嫌味か!!! でもいいわ、やってやるわ。がんばれーー! がんばれーー!」


 嵐は長かった。それでも少しずつ、少しずつ、風は弱くなり、雨は細くなる。

 雷が遠くなり、雲が薄くなり――


 嵐は去った。


 畑の大半は無惨だった。

 苗もうねも流され、泥だけが残っている。

 でも、一角だけは、確かに形を保っていた。


 開拓くん三号は、そこで力尽きていた。

 アームは折れ、車輪は泥に沈み、エンジン音はもうしない。

 コックピットからよろよろと降りたデントは、三歩進んで、泥の上に崩れ落ちた。


「デント!」


 ハロルドが駆け寄り、肩を抱き起こす。アメリアも村人たちも輪を作った。

 デントの唇が、かすかに動いた。


「……俺は、これまで……役立たずの、どうしようもない……」


 後悔と反省が、途切れ途切れにこぼれる。


「だが……俺だって、みんなのことが……誰かに希望を与える存在に……なりたいって」


 目尻に一筋の涙。


「ちょっとは、役に立てたかな……」


 誰もが、強く頷いた。


「当たり前だ」「助かったよ」「ありがとう」


 デントはふっと笑い、


「……なら、よかった。これで心置きなく……」


 そのまま、目を閉じた。


「……ばかやろうが」


 ハロルドが目を伏せた。デントをやさしく地面に置いた。

 アメリアも唇を噛んで、うつむいた。

 すすり泣きが広がる。

 重たい沈黙。

 雨上がりの空気が漂う。


 カノンが小さく手を上げた。


「この土地は、土葬でしょうか。それとも火葬でしょうか」

「決まりはない」ハロルドが答える。

「では、ちょうどいいので、土葬にしましょう」


 カノンがスコップを手に取り、泥をすくった。

 ぱさ。ぱさ。

 デントの体に泥が落ちていく。

 ぱさ、ぱさ。

 その手は震えていて、村人たちも嗚咽をこらえられなかった。


 泥が肩まで覆いかけたとき。


「死んでないぞ!!!!!!!!!!!」


 デントが目を見開き、勢いよく体を起こした。


 全員が固まる。

 アメリアもしばらく呆然としてから、顔をしかめた。


「紛らわしいのよ!」

「ちょっと意識が飛んだだけだ」

「死ぬ直前っぽいセリフ吐くな!」

「お前らが勝手に埋めようとしたのだろうが!」


 デントが両手を広げる。


「泥だらけじゃないか! おい誰だ! 泥をかけたやつは!」

「私です」カノンが手を上げる。「心からの敬意をこめて」

「泥をかけるな! 愛を捧げよ!」


 言い合っているところに、ハロルドが踏み込んだ。


「おい」


 短い声、真剣な目。

 デントはぴくっと肩を震わせる。


「す、すまん……だが、俺も、役立ちたいと思ってだな……いや、だとしても、勝手な行動だった。いや、だが、俺がいなければ」

「よくやった」


 ハロルドは後頭部をぺしりと叩いた。


 泣きそうな顔でこらえるデント。

 その姿に、アメリアは小さく笑った。村人たちの顔にも、安堵の笑みが広がっていく。


 嵐は去った。

 残った畑はわずかだったが、胸に灯る何かが、確かにある。


 開拓くん三号の頭に、西陽のオレンジがやわらかく降っていた。

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