第22話:無様でも前へ進む

 区画を示す白線の向こうは、まだ手つかずの荒地。

 ひび割れた大地に乾いた風。ざわつく村人たちを背に、二組の挑戦者が並んでいた。


 手に唾を吐くアメリアと、手首を回すハロルド。

 開拓くん三号のコックピットに座るカノンと、その横で腕を組むデント。


「始めッ!」


 文豪見習いのヘクターが腕を振り上げた。


 アメリアは両手を土に押し付けて、足を蹴り上げる。

 足の裏が空に向いたとき、周囲の大地が一気に息を吹き返す。細い緑がするすると地面から生える。


 対する開拓くん三号。

 カノンは涼しい顔で操縦する。巨大なアームが土を掘り、後方のローラーが地面をならす。パイプから吹き出す水が、乾いた土を潤していく。


「すご」「やば」「えぐ」


 どよめくギャラリー。


 負けてらんない。

 アメリアはお腹に力を込めて、逆立ちのまま地面を這っていく。「おい、ペース配分考えろよ」ハロルドの声を無視して、ずんずん進む。広がる光。芽吹く緑。


 拮抗。どちらも一歩も譲らない。

 けれど、わずかに、開拓くん三号のペースが速かった。カノンは生まれ持った才能で、開拓くん三号を手懐け、デントの無駄に的確な指示と噛み合い、謎のコンビネーションを生んでいた。


(くそー。カノンめ! どういうつもりなのよ!?)


 アメリアは歯ぎしりする。


 負けてくれるんじゃないの? そのつもりで名乗り出たんじゃないの? まさかあの坊やと共闘して、私を貶めようってか。反逆のときってか。くうー。やりそうだ。あの小娘。


 だけど、それより悔しいのは、即席のコンビに拮抗されている事実。いや、むしろ負けている。それだけは、認められない。負ければ、すべて奪われる。それだけは!


 ハイペースのせいか、勝負のプレッシャーからか、視界が狭くなっていた。

 次の右手の着地場所。小石。ほんの小さな突起に気づくのが遅れた。


「しまっ……」


 ぐさり。


「痛……」


 ぐらついた体をハロルドが即座に引き寄せて受け止めた。

 右手がじんじん熱い。手の中に、ぬるい感触。

 涙がこぼれそうになる。


「おい」とハロルドが言いかけるのを、アメリアは顔を上げて遮った。「ちょっとハロルド! バランス崩さないでよ! んもーーー! 向こう、めっちゃ進んじゃってるし。ほら、さっさと立って!」


 そう言って両手をつけようとした瞬間、ハロルドに右手首を掴まれた。


「おい、手を見せろ。開け」

「じゃーんけーん、ぐー」

「さっさとしろ」

「ええー? 手の中、虫いるけど。大丈夫? しかも白くてぷにぷにで、ところどころ点々がある幼虫。ぎゃー。想像しただけで、吐きそう。げえーー……って、ちょ、待っ」


 肘でロックされた。ハロルドは無言で指をこじ開ける。

 ボタボタと血が流れ落ちる。


「むごいな……」

「ひいいーーーーー」

「お前が引くな……ったく。おい! 中止だ!」


 ハロルドがデントの方へ怒鳴る。だが、開拓くん三号がゴゴゴと唸り、デントは「ひゃっはあああ」とテンションがハイになっていて耳に入っていない。


 ハロルドは大きく息を吸い込む。胸が膨らむ。――胸板、厚い。ドキ。


「デント!!!!!!」

「どきっ!!!!!」


 デントが叫び返して、どどどっと駆け寄ってくる。

 カノンは首を小さく傾げ、開拓くん三号を停止させた。

 デントはハロルドに顔をぐっと近づける。


「今、俺のこと呼んだよな? 名前で! うわー、ようやくだあーー!」

「どうでもいい。それより、このバカげた勝負は中止だ」

「おおーそうか! ハロルド! やはりこの俺の生涯のパートナーとなる決意をしたのだな!」

「違う。こいつの手が」


 ハロルドはアメリアの右手をデントに突き出した。真っ赤な血が滴る。


「ひいいーーーーー」

「ってわけで、やめだ」

「……わ、わかった。だが、勝負は勝負。俺の勝ちでよいな?」

「ああ、勝手にしろ」

「勝手に決めんな!!!!!!」アメリアが怒鳴る。「何勝手に負けてんのよ。私、まだやれるから。こんな怪我くらいで、投げ出してたまるもんですか!」


「バカ言うな!」

 ハロルドがアメリアを見つめる。

「くだらねえ勝負なんかより、お前が大事なんだ」


 きゅん。

 やめて、そういうの、急に言わないで。


「お前なしだと計画が狂う」


 死ね。


「計画?」とデント。「そんなもの、もう不要だ。やつは勝負に負けた! つまり、用なしということだよ。これからは開拓くん三号とハロルド、そして俺の三人で、愛を築いていくのだ! この土地の未来と共に!」


 ぱちぱちぱち。自分で拍手するデント。

 それからアメリアを見下ろす。


「さあ、わかったなら、今すぐハロルドを渡せ! ついでに、この地を去れ! 怪我の手当なら移動中にすればいい。俺の使用人を同行させてやる。代わりに、カノンはいただく!」

「……だから、負けてないって言ってるでしょ!」アメリアは唇を噛む。「まだやれる! 私がどうなろうと、ハロルドを渡すつもりもない! この土地も離れない! それに、カノンは私だけのもの!」


 そう言って、手を振りほどき、再び土に両手をつく。痛みで顔が歪む。涙で視界が滲む。汗が首筋を伝う。


 デントが鼻で笑った。


「無様だな……。全く、ここまでされると、むしろ同情してしまうぞ。逆立ちという無様な格好で、無様に足掻き、はは。ま、そんな無様を続けていれば、どうせお前の周りから人はいなくなる。よいよい、勝手にせえ」


(こいつ。言いたいこといいやがって。ぶん殴ってやる!)


 アメリアが左手を握りしめる。鉄・拳・制――


 ゴッツゥン!

 デントの顎が跳ねて、体が宙に浮いた。そのまま後方に吹っ飛ぶ。


「ひえっ」「うわっ」「えぐ」


 ギャラリーと使用人がどよめく。


 アメリアは座ったまま、拳を振り抜いて――いない自分の手を見て、あれ? とまばたきをした。

 顔を上げると、前に出たハロルドが、拳を握ったまま肩で息をしていた。


「無様、だと?」低い声が響く。「こいつの足掻きを、無様の一言で片付けんじゃねえ」

「お、おいハロルド……何を怒ってる。あんな女、そりゃ、力は使かもしれんが。開拓なら、俺が作るマシーンだって」


 そう言って開拓くん三号の方を指差す。機体が通った後は、新芽がすくすく育つであろう、ふわふわの地面。誰の目にも“仕事をした跡”がくっきり残っている。


「ああ、確かに土だけなら。だが、お前には決定的に欠けているもんがあるんだよ」


 その一言で、デントの目に涙がたまった。


「うわあああああんんっ!」


 子どものように走り去っていく。

 だが空気は依然として張り詰めている。周囲の視線がハロルドに集まる。

 本気のハロルドは少し怖い。いや、だいぶ怖い。


「……ちょっと、やりすぎ、言いすぎ、じゃない? 嬉しかったけど。えへへ」


 アメリアがぽっと頬を染めると、ハロルドがギラリと睨む。


「お前もお前だ!!!!! くそみたいな挑発に乗って、くだらねえ勝負して、挙句、こんな怪我しやがって、なに熱くなってんだ!!!」

「……ご、ごめんって」

「だいたい俺は誰のもんでもねーんだよ!!!! 頭冷やせ!!!!! 反省しろ!!!!!!」


 そう言い捨てて、ハロルドは去っていった。

 アメリアは呆然と腰を抜かす。


「この勝負、引き分けということで」


 カノンがそう言って、ギャラリーは頷いた。

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