綱を切る

@yoh-yo

綱を切る

 中学校の卒業式を明日に控えて、二宮ヒロトは眠れずにいた。もちろん、頭の中は小学校からずっと一緒だった葉山アカリのことでいっぱいだった。同じ英会話教室に通っていた葉山アカリ。中学校では同じ英会話のESS部で活動した葉山アカリ。

 そして、年明けごろにバスケ部の石野に告白され、付き合っている葉山アカリ。


 アカリはどちらかといえば大人しいタイプで、自分以外の男子と会話をしているイメージもほとんどななかった。だから彼女が誰かと付き合いだすなんて、全く想像していなかったし、もちろんヒロト自身もアカリとどうこうなるなんて思ってもみなかった。ヒロトにとってのアカリは、なんとなく近くにいる人でしかなかった。

 それなのに、アカリが石野と付き合っていると聞いてから、ヒロトはアカリのことが気になって仕方がなかった。それほど目がパッチリしているわけでもないし髪の毛は短いし、だけど確かに、わりとほっそりしているし、そこそこかわいい顔をしているような気もする。それにこの頃ようやく気付いたが、アカリは誰と話をしていてもくすくすとよく笑っていて、ヒロトはそんなところが気になっていた。

 アカリが石野と付き合っているという話を、ヒロトは本人から聞いたわけではなかった。

 アカリがESSの部活を休んだとき、後輩が「葉山先輩、デートかな」「あの人がそんなので休むわけないでしょ」というような話をしていたのが耳に入った。その時、妙に心がざわざわしたのをヒロトは覚えている。そしてその感覚はいまでも残っている。

 アカリの相手が石野であるとわかったのも、周りの噂話を総合してのことだ。本当は気になって仕方がないくせに、ヒロトはアカリのことをみんなに聞いて回るのが恥ずかしかった。ましてや、直接アカリに聞くことはもっと恥ずかしかった。「恥ずかしかった」と書いたが、実はヒロト自身はそれが恥ずかしさであるのか、わかっていなかった。ただなんとなく、聞くことが嫌だった。

 そんなヒロトの心のうちを知ってか知らずか、アカリ自身は何も言ってくることはなく、ヒロトとは普段通りの会話をして、くすくす笑ってくれるだけだった。

 そうやって心をざわざわさせたまま、気が付けば卒業式の前日の夜だった。ヒロトは近くの原木高校に進学するが、アカリは別の高校に進学することになっている。


 二宮ヒロトについて、もう一つ書いておかなくてはいけないことがある。それは何かというと、ヒロトには通常の人間には持ちえない特殊能力、すなわち超能力があるということだ。

 しかし、ヒロトが使える超能力は、未来予知とかテレパシーとか瞬間移動とかサイコキネシスとか、そういう便利でわかりやすいものではなかった。

 ヒロトが使える超能力は「強烈で鮮烈な『カニ』のイメージを、他の誰かの頭の中に送り込む」というものであった。

 ヒロトは自分の頭の中で思い描いた「カニ」のイメージを、彼が選んだ相手にくっきりはっきりと送り込むことができる。このちょっと変わった超能力が、ヒロトには備わっていた。

 この超能力はあまりにも特殊な能力であったせいで、ヒロトは自分が超能力者だということに気づくまでにかなりの時間がかかった。そして自分でも気づくのにずいぶん時間がかかるほどだったので、他の人には誰にも気づかれていなかった。誰かに打ち明けようかと思うこともあったが、きっと気味悪がられるだろうし、それに、誰にも知られていないほうが何かと使い道もあるような気がして、ヒロトは超能力のことを誰にも話していない。


 なお、ヒロト自身がどうやって自分のこの超能力に気が付いたのか、話せば長くなるので割愛する。


 超能力の持ち主であることに気づくには時間がかかった。しかし、気づいてからは特にこれといった修業もせずとも、ヒロトはかなり正確にこの力を使うことができた。ただ、正確に力を使えたとはいえ、「強烈な『カニ』のイメージを送り込む」という力は使いどころが限られていて、ヒロトは超能力を持て余し気味であった。

 はじめのうちは目の前の友だちの頭の中に強烈で鮮烈なカニのイメージを送り込み、驚かせておもしろがっていたが、このおもしろさは誰とも共有できないうえに自分の性格が悪くなりそうだったので、たまにしかやらなくなった。

 あとは、往来で肩をぶつけてきた若い男の足元に大量のカニのイメージを送り込むとか、足を開いて座席を占領して座っているおじさんの股間にカニのハサミイメージを忍ばせるくらいしか、普段は使い道がなかった。


 しかし、二宮ヒロトはいま、ようやくこの超能力を有効活用できる気がしていた。

 石野に対する葉山アカリの想いを、カニのハサミで切断する。

 今までこの超能力を使ってそんなことができたこともないし、やってみようと思ったこともない。それでもヒロトは自分の力でそれが可能であるという確信があった。

 アカリと直接会って話をする。その間にアカリの頭の中にカニを一匹送り込んで、アカリと石野をつなぐ糸をプツリと切る。

 それだけのことである。

 ヒロトはそれを正確にやってのける自信があった。

 ただ、そうやってアカリの思いを断ち切ったあとどうするかについて、ヒロトは何も考えていなかった。もしかすると、考えられなかったと言ったほうが正確かもしれない。その証拠に、ヒロトはなかなか眠れずにいる。計画は立てた。そしてこれ以上考えることはない。それなら、すっきりと眠れるはずである。しかしそれでも眠れないのなら、まだヒロトの中ではっきりしないざわざわした気持ちがあるからだろう。

 そうしてヒロトは出口のない気分のまま、アカリの糸をプツリ、プツリと切る練習ばかりしていた。


 寝不足の卒業式当日、ヒロトはアカリと話をするきっかけをつかめずにいた。学校までの道のりで会うだろうか、下駄箱で会うだろうか、廊下で会うだろうかと密かに期待していたが、アカリと出くわすことはなかった。

 それでもヒロトは焦ってはいなかった。ESS部で後輩たちが送別会をしてくれることになっていたからだ。そこでアカリには会える。アカリと話す。糸を切る。

 それでもヒロトは、卒業式で立ったり座ったり礼をしたりしている時間や、クラスに戻って担任の話を聞いたり、涙で別れを惜しむクラスメイトの姿を横目で見たりしている時間が惜しかった。


 クラスが解散となり、数人のクラスメイトと記念写真を撮って、ヒロトはいそいそと部室へ向かった。

 もし、アカリが部活に寄らずに石野と一緒に帰ってしまっていたとしたら嫌だなと思ったが、アカリはすでに部室に着いていた。

 ESS部は部員数が少ないので、卒業生はヒロトとアカリだけだった。送別会では、顧問の先生も交えてお菓子を食べながらおしゃべりをし、後輩一人ひとりが英語でお別れのメッセージを伝えた。面倒見のよかったアカリに対して後輩たちが涙ながらにメッセージを述べるのはわかってはいた。しかし後輩たちは自分にもあたたかい言葉をかけてくれたので、自分も案外慕われていたのかもしれないと、ヒロトは少しうれしかった。

 しかし、どうしたらアカリと二人で話せるだろうかという考えは、いつまでも頭の中から出ていかず、後輩たちの優しい言葉もどこか遠いところで響いているようだった。

 送別会も終わった。後輩たちから小さな花束と寄せ書きを渡され、ヒロトとアカリは校門まで見送ってもらった。

 校門を出てなんとなくアカリと二人きりになってしまい、ヒロトはそれはそれで戸惑った。

 なんと声をかけたらいいのだろうか。一緒に帰る?いや、アカリには彼氏がいるんだぞ。このまま何となく歩き出せば自分たちの家のほうまでは一緒に歩けるだろうか?でもそんなふうにして、何かのついでで話していいのか?

 ヒロトがぐるぐると考えていると、驚いたことに、アカリのほうから「ちょっといい?」と声をかけてきたのだった。


 葉山アカリの半歩後ろを歩きながら、二宮ヒロトは緊張で顔がじんじんした。

 いったいアカリはおれに何の用があるんだろう。ヒロトはまず、もしかして告白されるんじゃないだろうか、という都合のいい期待をした。石野とは別れて、やっぱりヒロトと付き合いたいと言ってくれるんじゃないだろうか。そんな状況を期待した。

 逆に、アカリに思いっきり嫌われるんじゃないかということも考えた。自分の態度が実はアカリに筒抜けで、気持ち悪いとかうっとうしいとか言われるんじゃないかということも考えた。もしそんなことになったら恥ずかしいし、ツラい。いったん悪い想像が始まると、どんどん広がっていってしまう。

 そのうちに、アカリも超能力者なのかもしれない、という想像まで働き始めた。実はアカリも超能力者で、おれの頭の中を覗いて、おれのカニがアカリと石野をつなぐ糸を切ろうとしていることに気づいたのかもしれない。それでおれを呼び出して追及しようとしてるんじゃないか。おれみたいな超能力者がいるんだから他にいたっておかしくないじゃないか。

 ヒロトはすっかり不安になってしまった。アカリは何も言わずに歩いていく。

 二人が到着したのはお互いの家から少し遠回りしたところにある、小さな公園だった。

 「なつかしくない?」と言いながら、アカリは公園の中にあるブランコの柵に軽く腰掛けた。不安で頭がいっぱいのヒロトはアカリの斜め前あたりに立ち、「うん」と言っただけだった。

 二人の間に気まずい沈黙が流れた。

 相変わらず不安でいっぱいのヒロトはアカリの顔をチラと見ては目をそらしていた。アカリは少し微笑んで自分のつま先あたりを見ているようだった。

 「急にごめん」とアカリが口を開いた。

 そしてカバンの中からごそごそと小さな包みを出して「これ、あげる」とヒロトに差し出した。ヒロトは戸惑いながら受け取って「なに、これ?」と言うのが精いっぱいだった。

 「ハンカチ」とアカリが言った。「なんでもよかったんだけどさ、何かプレゼントしたくって」

 包みを開けると、何の変哲もない水色のタオルハンカチが入っていた。

「高校、別々じゃん?いきなりでごめんだけど、今までのお礼っていうか、なんかよくわかんないけど、なにかプレゼントしたかったんだよね」

 思いもよらなかった展開に、ヒロトはハンカチをしげしげと眺めつつ、戸惑いながらも「ありがとう」とお礼を言った。アカリはちょっとホッとしたような顔をした。

「私の思い過ごしかもしれないけどさ……、最近、なんか気まずかったじゃん?石野くんとのこと、誰かから聞いたでしょ?……ほんとはわたしからヒロトくんに話したかったんだけどさあ、なんか言うタイミングがないっていうか、言えなくて、……なんか気まずかったんだよね」

 アカリはポツリ、ポツリと話し出した。

「でもさ、このまま別々の高校になるのちょっと嫌じゃん?わたしだけ?だからなんか……話しておきたかったんだよね」

 ヒロトは「うん……うん……」と相槌をうちながら聞いていた。

「石野くんさあ……、最初は授業でちょっと仲良くなって、それから『英語教えて』って言われて、っていう感じだったの……」

 アカリの口から石野の名前を聞いて、ヒロトはまたざわざわした気持ちになった。そして頭の片隅にカニのイメージがチラついたので、慌ててそれを打ち消した。アカリが何か話そうとしているのだから最後まで聞きたかった。

「それで、勉強しながら進路の話とかもしてたんだよね。石野くんさあ、医者になりたいんだって」

 アカリの話を聞いているうちと、ヒロトの頭の中でポコポコとカニたちが現れてくる。ともすればアカリの頭の中に向けて大群で押し寄せそうになるのを、ヒロトは必死に押しとどめながら聞こうとしていた。

「なんか、海外の紛争地帯とかでいろんな人を助けたくて、それで英語もちゃんと勉強したいんだって。わたしさ、それ聞いて、そんなこと考えてもいいんだってびっくりしちゃって。石野くんにもそう言ってさ、そしたら石野くんは『葉山さんは英語得意なんだから、なんだってできるじゃん。うらやましいよ』って言ってくれて、……それがなんかうれしかった」

 アカリの言葉に気を取られたすきに、とうとう一匹のカニがヒロトの脇を抜け出した。そして素早い横歩きでアカリのほうへ向かって行ってしまった。ヒロトはアカリの話を聞きながら、必死にそのカニを追いかけた。待て、今じゃない、まだ待ってくれ。

「……でもさ、よく考えたら、わたしが英語がんばってこれたのって、ヒロトくんのおかげだよなって、なんか急に思ったんだよね」

 なんとかしてヒロトはのカニに追いついて上から抑え込んだ。カニは必死に暴れている。

「英語って、なんか恥ずかしいじゃん?得意なはずなのに授業とかで当てられても、あまりうまく発表できないしさ。……でもヒロトくんはずっと一緒だったから、そんなに緊張せずに発音とかも練習できるし、なんか安心できたんだよね。そのおかげで今まで続けられて、ちょっとずつ上達して、石野くんに教えるくらい自信がついたんじゃないかな」

 アカリは少し照れながら言った。

「わたしも石野くんみたいにがんばろうって思ってるんだよね、何を?って感じだけどさあ。でもヒロトくんが一緒に、わたしに自信つけてくれた、英語とかそういうのの力でさ。だから……、そういう、おかげっていうか、そういうののお礼をさ、ちゃんと言っておきたかったんですよ」


 アカリの話を聞きながらヒロトは少し寂しかった。しかしそれ以上にうれしかった。自分のことをとるに足りない、変な超能力があるだけの人間だと思っていたが、そんな自分にアカリはお礼を言ってくれている。ヒロトは心からうれしかったし、そう言ってくれるアカリのことを好きだと思った。

 その気持ちを膨らませて、ヒロトは巨大な体と力強いハサミを持ったカニをイメージした。南の島の大きな大きなヤシガニをイメージした。正確にはヤシガニはカニではない気もするが、そんなことお構いなしに、頭の中のヤシガニはどんどん大きくなっていった。

 牛ほどの大きさになったヤシガニは、そこらにいたサワガニやモズクガニやシオマネキやスベスベマンジュウガニや上海蟹やタラバガニやズワイガニやタカアシガニやゴールデンキングクラブや、その他無数のカニたちをものすごい勢いで蹴散らしながら、まっすぐにアカリのほうへ向かっていった。

 そしてとうとうヒロトのヤシガニは太い綱のような糸にたどりつき、その大きなハサミにいっぱいに力を込めて、想いの糸を断ち切ろうとした。

ギリギリ……という音がしばらく続いた。そしてついにバツン‼と大きな音がした。

 その音とともに、長い長い時間をかけてアカリのほうへと伸びていた糸を断ち切った。その太い糸は、ヒロトからアカリへと伸びた糸だった。

 アカリは中学校を卒業して、どんどん遠くへ行こうとしているのだ。彼女はこの春の空気を胸いっぱいに吸い込んで何かわからないけど大きな夢に向かって遠くへ行きたがっているのだ。ヒロトはそんなふうに思った。そんな「飛び立ちたいんだ」という気持ちを、自分にもちゃんと教えてくれたんだと思った。そんなアカリに、いまさら好きだとかなんだとか言って引き止めたくはないと思った。

 そして自分もアカリみたいに、アカリからも離れて、遠くへ行ってみたいと思ったのだ。


 そのあと二宮ヒロトと葉山アカリは少し話をして帰った。ヒロトは、先ほどのアカリの言葉に対する感謝の言葉を、自然な気持ちで伝えることもできた。

「じゃあ、アカリ、元気で。どっかで会うかもしれないけど」

「うん。ヒロトくんもね」

 別れ際、ヒロトは少しいたずら心が働いた。ヒロトはおいしそうなカニクリームコロッケを大量にイメージして、まだ少し寒い春の空へとおもいっきりぶちまけてみた。

「あれ?」アカリが不思議そうな顔をした。

「なんか……、急にエビフライ?が食べたい、気が、してきた?」

 春は人を変化させる。超能力だって変化することもあるだろう。平凡なおれも、カニやエビやクラゲやクジラや、その他のいろんな新しいイメージと一緒に広がっていくんだろう、広がっていきたいなと思った。

 卒業式の日の、晴れた空の出来事だった。

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