【第2話】バレンタインの伏線

バレンタインという習慣はいまでこそ"ジェンダー平等"的な価値観が世の中に広まってきたこともあって、たとえば"職場で女性社員が男性社員に義理チョコを配るのが暗黙の了解、という悪しき習慣はステレオタイプであり、性別を理由に強制されるべきものではない!"という意見もネットで散見されるようになった。それらは何も決してフェミニストが糾弾するもの、だけでもなくなってきているようにも思う。


だけども私が小学生だった20〜25年ほど前はというと、LGBTQなんて概念はまだまだ人口に膾炙するようになる遥か昔の話、「バレンタインで女の子がチョコを渡す相手は男の子に決まってる」とおそらく周囲の誰もが(全員とは言い切れないけれど、子供・保護者含めほとんどの人が)わざわざそこに思考を巡らすまでもなく、ごく当たり前に認識していただろう。そういう時代だった。


かくいう自分にも小2のとき、バレンタインにチョコを渡した同じクラスの男の子がいた。子供だから恋愛の概念なんてサッパリ分かってなかったと思うけど、分からないなりに彼に何かしらのベクトルで「好意」を持っていたことは事実だ。

(ぶっちゃけ、親から向けられる「で、今年は誰に渡すのアンタ?」みたいな問いかけへのアンサーは出すモン(スキップという選択肢はない)という雰囲気があり、そこに抗わずに応じた側面はある。とはいえやっぱり、自分の意思で彼に「好意」を持ったことは事実だった。)


ただ、男の子に対して「恋愛感情っぽいもの」を持ったからといって、自分が「女の子」であることを自覚したり、自分の中に定義したわけではない。

つまりは多くの人がごく自然に認識する「女の子が男の子に恋愛感情を持つのは当たり前」という常識めいたものは、このときの私にはすでに当てはまっていなかった、とも言い換えられる。なぜなら前章でも書いたように、私は生まれながらに自分のことを「女の子」だと認識していなかったからだ。


当時から"それ"と"これ"とは話が別だったし、変わらず今でも別だと思っている。

この後も繰り返し書くことになると思うし、それくらいこの話題において最も伝えたいことのひとつでもあるのだが、あくまで「恋愛指向と性自認は別」なのである。その事実は7歳だか8歳の頃には、既に自分にとって身近なものになっていた。


同時にこれが、私にとって「男性も恋愛対象に含まれる」ことを自覚する原体験になったとも言えるだろう(勿論当時はそんなこと何も自覚していなかったけど)。

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