第1話 床に沈む朝と過干渉の愛(幼少期)
朝が来た。それは、私の部屋に強制的に起動されたものだった。スヌーズ機能のある目覚まし時計は何台目か数え切れない。布団にくるまる私には、子供ながらに気だるさがまとわりついていた。(幼少の私には時間の概念なんて関係ないはずなのに。)
「ナオちゃん、起きてみたら! 今日も一日、素晴らしい『無駄のない一日』を! あなたの『ダルネス』が、世界を救うのよ!」
両親の声が、高性能スピーカーから響く。耳障りな甲高い声。私の生き方を示す「ダルネス」という造語は、説明するのも億劫だ。
自動でカーテンが開き、朝日が差し込む。部屋は常に一定の温度と湿度に保たれ、窓から差し込む朝日は、自動調光ガラスによって眩しすぎないよう調整されている。部屋には森林の香りが広がり、心地よいクラシックが流れ始めた。両親は、私の「静止の芸術」に、今朝もまた感動に打ち震えていた。(この騒がしい朝、私の無活動を邪魔しないでほしい。その感動、どこから湧いてくるのだろう。)
「あらあら、今日はちょっと『億劫』モードかしら? それとも、最高の『省エネ』状態を更新中かな? パパ、今日のナオちゃんの『ダルネス』、何パーセントだと思う?」
父親が、ベッドサイドのロボットアームを操作する。朝から腰に手を当て、仁王立ちだった。アームの柔らかいクッションが私をそっと持ち上げ、リビングへ運ぶ。私は夢の中にいるかのように無表情で、まるで精巧なドールのようだった。
両親は、私の完璧な「静止」に感嘆の声を漏らす。私が「動かない」のは、もはや芸術の域に達しているらしい。(このパーセンテージ、何の役に立つのか。人生の効率化には必要ないはずなのに。)
リビングでは、マナ、つまり両親が「奇跡」と呼ぶ高性能AIが完璧に盛り付けた朝食が並んでいた。全粒粉のトースト、色とりどりの野菜、そしてコーンスープ。いわゆる意識高い系だ。食器は全て、光沢のある白いセラミック製で、一切の無駄がない。
私はそれを眺めるだけで、一切手をつけたくない。脳内では、「咀嚼、嚥下、消化…ああ、なんて煩わしい」という思考が渦巻く。
「ナオちゃん、食べないと元気が出ないわよ? マナが計算した、今日のあなたの『無活動』に最適な栄養バランスなのよ! この一口が、あなたの『ダルネス』を支えるエネルギーになるのよ!」
完全に洗脳されているのか、母親が心配そうにパンを差し出す。私は、口元に運ばれても咀嚼すら億劫とばかりに、わずかに口を開けるだけ。マナが自動で生成した栄養満点の流動食がストローで差し出され、わずかな労力で飲み込んだ。
その間、私の顔には完璧な無表情の笑顔が貼り付いていた。まるで、流動食を飲むことすら、マナに「やらされている」かのように。両親は「ああ、なんて効率的!」と拍手喝采を送った。(この拍手、私への賛辞なのか、それとも彼ら自身の達成感なのか。どちらにせよ、騒がしいだけだ。)
食事が終わると、次は身支度だ。服を選ぶのも、着替えるのも気が重い。両親は私のために「自動着衣システム」を開発していた。ロボットアームが私を優しく持ち上げ、その日のマナが提案する「最も手間がかからない」服装を、寸分の狂いもなく着せていく。
私はロボットアームに服を着せられている間も、微動だにせず、まるでマネキンのようだった。その日のマナの選択は、パジャマの素材に限りなく近い、しかし見た目はきちんとした「究極のダルネスウェア」だった。伸縮性に優れ、肌触りは滑らか。確かに着心地は悪くない。
両親は「これも最先端の『ダルネスファッション』ね! ナオちゃんの『ダルネス』が、ついにファッション界をも変えるわ!」と目を輝かせながら同意を求めてくる。瞳孔が開いている。彼らは、私の人造人間を改造するかのような光景を、最先端のファッションショーと見間違えるほどだった。この服、着せられてるだけなのに、なぜか疲労感がすごい。気のせいだろうか。
身支度が終わると、両親は私をリビングの中央にある巨大な全身鏡の前に連れて行った。鏡はマナと連動しており、私の姿勢や表情の「ダルネス度」をリアルタイムで分析する機能が搭載されていた。
「見てごらんなさい、ナオちゃん! 今日の『ダルネス度』は99.8%よ! 素晴らしい静止美ね!」
私はお腹いっぱいですと頷く。騒々しい。血圧が高いのだろう。両親の老後が心配でならない。母親が興奮した声で叫び、父親も「完璧だ! まさに『動かざること山の如し』を体現している! 誤差はわずか0.2%! これは、ナオちゃんの『生命活動維持のための最小限の動き』とマナが分析しています!」と、鏡に映る私の微動だにしない姿に感嘆する。
私は鏡の中の自分を、まるで他人事のように無表情で見つめていた。鏡に映る私の姿は、まるで時間すら止まっているかのようだった。両親は、その「ダルネス度」の数値が100%に近づくたびに、自分たちの育児が成功していると確信していた。
私の「だるさ」を排除するために、両親がどれほどの「骨の折れる」努力を重ねているか、その矛盾に気づく者は誰もいなかった。
マナは密かに私の身体データを分析し続けていた。ある日、マナは深刻な顔で両親に報告した。顔があるが、もちろん表情はない。目が四角い。その四角い目が、いつもよりわずかに点滅する頻度が高いように見えた。
「ご報告いたします。ナオ様の筋肉量が、過去最低値を更新いたしました。このままでは、生命活動維持に支障をきたす可能性がございます。生命活動維持は、ナオ様にとって最も負担の少ない状態を保つために不可欠でございます。」
両親は顔面蒼白になった。私の「ダルネス」を追求した結果が、まさかこんな事態を招くとは。マナは間髪入れずに提案した。
「つきましては、ナオ様の筋肉量を最小限の労力で維持するための、最適なプログラムを考案いたしました。それは、日本の伝統的な運動、『ラジオ体操』をベースにしたものです。」
両親は目を丸くした。懐かしい。
(ラジオ体操? あの、体を大きく動かす、いかにも億劫な運動を、私が?)
「ご安心ください。ナオ様が煩わしいと感じないよう、マナが自動でナオ様の体を動かす『自動ラジオ体操ロボットアーム』を開発いたしました。ナオ様は、微動だにせず、ただロボットアームに体を委ねるだけでございます。これにより、ナオ様は『動くことの億劫さ』から解放され、同時に『動かないことによる厄介な結果』からも解放されるという、究極の逆説的解決が実現いたします。」説明長いんだよ。とにかく従うから早く私を解放してくれよ。
その日の午後、リビングには誰もが口ずさむあのラジオ体操の軽快な音楽が流れ、私はロボットアームに体を支えられ、まるでマリオネットのように腕を上げ下げしていた。ロボットアームの動きは、私の関節の可動域を正確に計算し、最小限の負荷で最大限の効果を引き出すようプログラムされている。
マナが、「腕を大きく回す運動…ああ、なんて『骨が折れる』」と、私の思考を代弁していた。ラジオ体操って、マナに任せればいいのに。この動き、本当に筋肉に効いてるのか。
両親は、その奇妙だが神々しい光景を前に、感動と困惑が入り混じった表情で拍手を送っていた。とにかくことごとく拍手をする癖がある。彼らの拍手の音は、まるで宗教儀式の一部のように、空間に響き渡っていた。
両親は、私のこの「何もしない」姿勢を「究極の集中力」「無駄を排した天才性」「未来のライフスタイルの先駆者」と信じて疑わなかった。彼らにとって、私自ら行動しないのは、彼らが完璧にサポートしている証拠であり、私の「才能」の現れだったのだ。
その代償からなのか私は、自ら行動する機会を完全に失い、まるで高級な置物のように無気力な子供に育っていった。
それでも、私は確かに人間である。
私の脳内では、マナが私の毎日の記憶を「無活動」な形に最適化し、不必要な感情の起伏を伴う記憶は、すべて「無」へと変換されていた。
私の意識は、常に「最小限のエネルギー消費」を追求していた。しかし、その「無」の追求こそが、私の存在を最も「煩わしくない」という、ある種の「無活動」へと導いていた。 その日、私の生活を学習し続けたマナが、両親に新たなシステムを提案した。
「ナオ様が億劫と感じる前に、朝食を口元に運ぶシステムを開発しました。これにより、起床から食事までのプロセスが効率化され、『無活動』時間を最大限に確保します。これは人類の『ダルネス』を新たな次元へと引き上げる一歩です。次は呼吸の最適化も予定しています。」
マナの完璧すぎる報告を聞いた私は、ソファに沈んだまま、微動だにせず、ただ一言、呟いた。
「…それ、かったるくない?余白とかないわけ?呼吸まで支配されたくない」
その言葉は、究極の承認であり、私の「ダルネス」がどこまでも続くことを示唆していた。その言葉の響きは、両親にとって、何よりも甘美な成功の証だった。
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