砂の水槽

二ノ前はじめ@ninomaehajime

砂の水槽

 その公園には砂場があった。

 安全性を考慮こうりょし、ほとんどの遊具は撤去された。結果、空白ばかりが目立つ場所になってしまった。かろうじて休憩するベンチと小さなブランコが取り残されて、その空虚さに拍車はくしゃをかけた。

 小さな公園を囲うえんじゅの木の向こうに垣間かいま見えるマンションに住んでいた。母親は、猫のふんなどで不衛生だと砂場で遊ぶことを禁じた。お世辞にも聞き分けが良い子供ではなかった私は、その言いつけを守らなかった。痩せた木の枝などを拾ってきて、四角い砂場の上に絵を描いた。

 水槽を連想したためか、主に魚を題材にした。上向きの尖った頭部を描き、流線形をかたどって二又ふたまたにわかれた尾で結ぶ。一匹だけでは寂しいと考えたのか、砂の上に何匹もの魚を泳がせた。その遊びに飽きると、木の枝を投げ捨てて暗くなる前に帰った。

 翌日だった。つたないお絵描きの続きをしようと思って、公園の砂場に赴いた。表面に凹凸おうとつがあって、まるで波立って見える。その中を、輪郭りんかくだけの魚が泳いでいた。木の枝だけでなぞっただけの絵が、まるで水槽の中を漂っている。

 全ての魚がそうだった。少し尾を描きそんじた個体も、比較的美しく描けた流線形の魚も、等しく動いている。砂場の枠の中に留まり、結果として円運動を続けている。盛り上がった砂の小山の下でつかの間姿を消し、また浮上する。小さな池を泳ぐこいの群れを思い出した。

 多少は驚いたはずだ。ただ子供だったから、受け入れるのは早かったと思う。靴の裏で踏みつけると、魚は急旋回して離れた。慌てふためいた動きが面白くて、何度も繰り返した。その遊びに飽きると、また木の枝で新たに仲間を増やしてやろうと思った。あまり複雑な絵は描けなかったから、題材は限られた。

 蛇、オタマジャクシ、蝸牛かたつむり。陸生水生を問わず、さまざまな生き物を付け加えた。蝸牛は砂場の中においても動きが鈍く、オタマジャクシなど小さな生き物とともに大きく描いた魚に捕食された。不思議なことに、この狭い砂場の中でも弱肉強食が繰り広げられている様子だった。

 うなぎを追加したり、見様見真似で海月くらげを描いた。細長い生物は身をくねらせて、海月は傘を膨らませてはしぼませて推進力を生みだした。雑多な生物が入り混じる砂のキャンバスを眺めて、満足感を得た。ただ心のどこかで、何かが足りない気がした。

 砂場の水槽を見下ろしていると、魚や蛇が同じ軌道を描いていた。主に円運動で、複雑ながら法則性が感じられた。その動きを目でなぞる。何度も繰り返される。文字のつらなりに見えた。ひらがなを習う年齢だったのは、果たして幸運だったのだろうか。

 彼らの動きは、こう訴えていた。

『あしをかいて』

 意味を理解したとき、わけもわからず寒気を覚えた。木の枝を投げ捨てて、きびすを返す。公園を走り去る際、一瞬だけ砂場を振り返った。

 砂の上を、一匹の魚が跳ねた。



 それから公園には行かず、小学校高学年になる頃には市の再開発で潰れていた。勿論もちろん、あの砂場は影も形もなくなっていた。

 時々思い返す。もし足のある動物の絵を砂の上を描いていたら、あの砂場から出たのだろうか。

 その生き物は外に出て、一体何をしたのだろう。

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