第21話 「一瞬でいいから、ハグして欲しいな」と言われました



「……一瞬でいいから。ぎゅってハグしてほしいな……」


 いや、お前な――。


 と。

 瑠偉がいつもの調子だったのなら、俺もそう言っていただろう。

 でも今、俺の目の前で頼んでくる瑠偉は、そんな軽口を叩けないほどに切実で――。


「…………ほんとに、一瞬だけだぞ」

「……うん」


 そう言って、俺は瑠偉の細い身体をぎゅっと抱きしめてやった。


「……………ん」


 俺が抱き締めると、瑠偉も俺の背中に手を回し、ぎゅっと力を込める。

 寸分の隙間もないほどに触れ合う身体は、柔らかくていい匂いがして、俺の心を切なく締め付けた。


 ――人と、抱きしめ合うのって。気持ちがいいものなんだな。


 それは、他の誰でもない瑠偉だからだろうか。

 いやらしい意味での気持ちよさではなく、安心感に近い心地よさだ。

 小さくて細くて柔らかい身体が縋るように俺にぎゅっと抱きついてくるのを感じると、なんとしてもこの存在を守ってやらなければという気持ちにさせられる。


「…………ん、しゅう…………」

「……なんだ?」


 耳元で呼ばれた声が甘く感じられたのは、俺の脳内補正だろうか。

 煩悩を消し去ろうと努力しながら瑠偉に答えると、「……ありがと。もう大丈夫」と言われた。


 …………本当に大丈夫なのかなあ? こいつ。


 珍しく不安定な瑠偉の様子に心配になる。

 頼まれてハグをしたものの、その後も特に表情に明るさが戻ったわけじゃないし……。


「…………あのね、脩」

「ん?」

「…………馬鹿だって思わないでね」


 …………何がだ?


 瑠偉が何を言いたいのかわからず思わずキョトンとしてしまった俺が一瞬遅れて「……おう」と答えると、瑠偉がどこからともなく一枚の紙をぺらりと差し出してきた。


 見覚えのあるそのフォーマットは。

 今日、放課後に担任から配られた中間テストの成績表だ。

 そして――、そこに書かれている内容。


 ――真瀬瑠偉。総合順位114位。


「……………………」

「……馬鹿だって思った?」

「……いや…………」


 瑠偉の成績表を見て、俺が『なるほど……』と思ったその一瞬を瑠偉がネガティブに捉えたのか、自嘲気味にそう言ってくる。


 あの、言っておくけど別に、『なるほど……』って思ったのも、本当に瑠偉が馬鹿だなって思ってなるほどって思ったわけじゃないからね?

 単純に、『これでこいつ落ち込んでたのかあ……』って思った『なるほど』だから。マジで。


 ……でもなあ、これって……。


「……これってお前、単純に日本のテストとアメリカのテストの問題の違いに戸惑っただけだろ?」


 俺の推測が正しければ、こいつの結果が振るわないのは多分そういうことだ。

 だってよくよく考えたらさ、こいつ帰国子女じゃん。

 日本に帰ってきて、初めて日本のテスト受けたんだわ今回。


 歴史・地理なんて全くゼロからの勉強だろうし、暗記が必要になるなんて思っていたかどうかも怪しい。

 国語に関しても、そもそも日本語の文化圏で育ってないから不利な状態からのスタートだ。

 かろうじて数学と英語はこいつの得意ジャンルになるが――それもテストとなるとまた別である。


 まあそれでも……。

 数学と英語に関しては学年トップに近い成績出してるけど……。

 

「俺、お前が頭悪くないの知ってるし、馬鹿だとは思わないよ」


 はっきりと瑠偉に向かってそう言ってやると、瑠偉はぎゅっと握っていた俺の手を強く握り締める。


「ほんと……?」

「ほんとだって」


 そもそも、さっき谷にも言ったけど、本当に成績が悪かったらこの有高にも入れない。

 有高の水準自体が他の高校よりも高いのだ。

 その中で、帰国子女というハンディを追いながらも学年総数の中間くらいに位置付けられたのは優秀な方だ。


 俺が、瑠偉を励ますためにそんな説明をこんこんとしたが、しかし瑠偉はそれでもまだ元気を取り戻すことはなかった。


「……だって。このままの成績じゃ……、来年脩と一緒にいれないじゃん……」


 脩と一緒にいたくてこの学校に来たのに……。


(…………………………ん?)


 ちょっと待て今こいつなんて言った?

 シュウトイッショニイタクテ、コノガッコウニキタノニ?

 一瞬、脳みその処理能力が追いつかず、頭がフリーズしかける。


(…………脩と一緒にいたくて、この学校に来たのに?)


 つまり?

 俺と一緒にいたいから、この学校に来たってこと?


 …………………………。

 えええええええ………………。

 なにそれ…………、可愛すぎやん…………。


 え?

 マジで?

 こいつ、俺と一緒にいたいがためにこの学校に来たの?

 わざわざ男の格好までして?

 ほんとに?


 耳にした事実の衝撃が強すぎて、瑠偉が落ち込んでいることが一瞬吹っ飛んでしまった。

 それぐらいの衝撃だったのだ。俺にとっては。


 え?

 てことは何?

 今目の前でこいつが落ち込んでるのも、成績が低かったこともだけど、俺と同じクラスになれないからって落ち込んでるの?


 可っ……愛ぁ…………!

 なん? それ。

 可愛すぎじゃない?

 可愛すぎてきゅんきゅんするんですけど。


 目の前で落ち込んでいる幼馴染かつルームメイトがいるのに、不覚にもときめいてしまった。

 だってときめいちゃうでしょうよ!

 そんな事実を聞かされたらさ!


 一瞬、そこを拾って追求することも考えた。


『何? お前――俺と一緒にいたくてこの高校に来たの?』と。


 しかし俺はそれをしなかった。

 何故かというと、それは瑠偉が俺に向かってはっきりと伝えようとして言った言葉ではなく、茫然自失とした中で思わず漏れ出たといった様子で出た言葉だったからだ。


 だから、俺は今はその点については追求しない。

 むしろ、追求すべきは――。


「何お前。お前、来年も俺と同じクラスがよかったの?」


 ということだ。

 だって今、俺と瑠偉の間で問題になっているのはそこだからな。


「………………」

「あ、お前。今、心の中で自分のこと卑下しただろ。『でも馬鹿だから無理だって思ってるでしょ』って。思ってないって。お前が馬鹿だなんて」


 言ったろ――? と俺が瑠偉に向かって真っ直ぐに伝えると、瑠偉が「……なんでわかるの……?」と泣きそうな顔になる。


 まあ、段々わかってくるよね。

 俺、四六時中こいつと一緒にいるし。

 思考パターンはなんとなく読める。


「わかるよ。お前のことだし。それに瑠偉がそんなに来年も俺と同じクラスがいいなら、俺も手伝ってやるよ。お前がテストで点数上げられるように」

「…………ほんと?」

「おう。でも、最終的には頑張るのはお前なんだからな」


 俺がそういうと、瑠偉は首をこくこくと縦に振って「……うん。頑張る」

と答えた。




 結局、今回のことがきっかけで『どうして瑠偉が男の格好をしてまでこの学校に来たのか』という理由がはっきりとしたわけである。


(まさか、本当に母さんの言う通りだったとはなあ……)


 俺がうちの母親に連絡した時に言われた『もしかしたら案外、瑠偉ちゃんもあんたのこと追っかけて来たのかもねえ』という言葉。


 あの言葉が、まさか真実だったとは。

 言われた時には夢にも思っていなかったけどさあ……。


 先ほど瑠偉にも言った通り、頭脳面でこいつのことを馬鹿だと思ったことはないが、行動面においてはちょいちょい馬鹿だなあ、と思う。

 俺と同じ高校に通うために男になりすまそうとしたり。

 身体が柔らかい方がえっちが気持ちいいからってストレッチ頑張ってみたり。


 ――頑張る方向性がずれてるんだよな。


 まあ、そういうところが馬鹿可愛いんだけど。


(男になりすまし云々は、きっとこいつんちの親族でなんか手ぇ回してんだろ。あの時母さん、この学校の経営に瑠偉の親族が関わってるって言ってたし)


 まあ、どんな理由で頼み込んだのか知らないが、それを許す親族も親族でぶっ飛んでると思うけど。


 とりあえず今のところ、俺がすべきことは一つだ。

 

 瑠偉に約束した通り、来年もこいつと同じクラスになれるよう、こいつの成績を上げてやること。


「……ねえ、脩」

「なんだ?」


 俺が、そんな考え事をしながら瑠偉を見ていると、瑠偉がなぜか俺にもじもじと声をかけてくる。


「あのさ、もう一回だけ、ハグしてもいい?」

「…………なんでだ」

「これから頑張るねってハグ! 決意表明のハグだから!」


 そう言って必死に言い募る瑠偉を、俺はまた可愛いと思うけれども。


「……本当に一回だけだぞ」

「…………! うん」


 喜ぶ瑠偉に、俺が両手を広げて構えてやると、ぽふりと飛び込んでくる。


(あああ〜〜〜、俺、頭沸いてんなあ…………)


 腕の中の幼馴染が可愛くて仕方ない。

 しかし、現状本人が男だと言い張っている限り、そこには何も始まらない。


(……ま、これはこれで楽しくていいけどな)


 と。

 そんなことを思いながら、腕の中の瑠偉をぎゅっと抱き締める俺なのだった。




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