イカロズの翼
@Caoru_
世界の果て
上は一面青。下は一面白。ところどころ水平線の先にぽつんと浮かぶ船。そんな世界は見慣れてしまえばつまらなく感じてしまう。変化を求めたくなってしまう。
羊の毛のような雲海は船の底を優しく覆い、時折雲が飛び出しては空中に少し形を留めてから消えて行く。広い雲海の中でただ、釣り上げた魚や骨董品がかち合う音が聞こえ、風がロズの少し荒れた頬を優しく撫でる。ロズはたった一人で小さな船を動かし、雲海から釣れる物を売って生活していた。天然パーマの髪は海風によって少し色が抜け、目は空をいっぱい詰め込んだせいか少し青みがかっている。ロズの船は六海里先の商業船に向かって静かに雲海を滑っていた。
ロズの小さな船とは桁違いの大きな商業船。船底の倉庫には他の船に運ぶ貨物がぎっしり詰まっているが、甲板や二階部分には世界各国の商品が集まる市場がある。
対して米粒のように小さな船を船着場に押し込み、杭に縄を巻いて船に結ぶ。船上の小屋から釣り上げた魚と骨董品を入れた袋を取り、肩から下げ、市場の交易所に向かう。
休むことを知らないこの場所は常に人で賑わっており、色々なところでロズのような職業の人が値段交渉をしている。交易所のカウンターの前に立つと、後ろを向いて作業をしていた受付担当がにこやかに振り向いた。
「ああ、ロズか。今日は何を持ってきたんだ?」
「今週は中々良いのが取れなくてさ」
そう言って机の上に袋をひっくり返す。ごとごと、ぴちぴちと中身が音を上げて落ち、受付担当はそれをときどき手で掻き分けながら吟味した。
「うーんこれだと今日は、このくらいだな」
受付担当は胸元から銀貨を一連取り出し、ロズに投げた。
「えぇー…もうちょっとくれたっていいじゃん」
「それでもだいぶまけた方だ。我慢しろ」
いつもは二連貰えているので、かなりの損だった。
空になった袋の中はロズの心と腹の中を表しているようで、屋台から漂ってくる匂いのせいか、その袋の中を埋め合わせたくてたまらなくなった。
カウンターに座ると、店主がらっしゃい。と出迎えてくれる。
「今日もアレか?」
「いや、一番安いやつ。今週はダメだったんだ」
店主はびっくりすることもなく、ただ少し口元に笑みを残して料理を始めた。油が弾ける音と食材が鍋に当たる音が混ざりあって綺麗な和音になり、食欲をそそる。少ししてロズの前に出されたのは、野菜炒めと炒飯だった。
「あれ、炒飯って…」
「お前みたいな奴は食わねぇとでっかくなれねぇぞ。それのお代はいいから、食え」
「…ありがとう」
顔に近づけただけで分かるその温かさは、ロズの腹と心を暖かく包んだ。しっかりと空腹か満たされるようによく噛んで食べていると、やはりあの噂話が聞こえてくる。世界の果てはどこにあるのか。人が集まるところで必ず一回は話題になるこの噂は、誰もの興味と好奇心を引き立てた。
「ねぇ、世界の果てって、本当にあるのかな」
ロズは暇そうに調理台に腰掛ける店主に聞いた。
「知らねぇよ」
「なんで世界の果てを探しに行こうって思う人がいないんだろう。こんなに噂になってるのに。」
「そりゃあお前、この商業船が世界の真ん中みたいなもんで、ここから遠くにいけばいくほど危ねぇ海域になるからだろ?」
「それは知ってるけどさぁ…」
全ての船乗りに渡される地図はこの商業船を中心とした地図だ。この船から離れれば離れるほど、嵐に巻き込まれやすくなったり、謎の事故が起きやすくなることが多い。だからこそ世界の果てを見に行こうとする人間は今までいなかった。けれど、人間の中には、無理だ。と言われるほどやりたくなる衝動がある。それをカリギュラ効果と言うらしい。変化を求めるロズにはよく効く効果だった。ロズの料理を口に運ぶ手はいつの間にか止まり、炒飯の皿のふちを指でなぞる。どんなものにも終わりはある。一日にも、物語にも、仕事にも、命にも、この皿にも。
「…僕、世界の果てを見てみたい」
「はぁ?」
「見てみたくない?世界の果てだよ?どんな風になってるんだろう」
薄暗い照明しかないはずなのにキラキラと輝くロズの目を見て、店主は大きくため息をついてタバコに火をつけた。
「遠くは危険だって言ってんだろ」
「でも行ってみないと果てがあるかなんてわかんないでしょ!僕の技術があれば危険な海域もなんとかなるさ!よし、決めた。僕世界の果てに行ってみる!僕は世界の形を知る初めての人間になるんだ!」
拳を突き上げ、その勢いのまま椅子の上に立ち上がって高々と声を上げる。それは世界に向けた宣戦布告のようにも聞こえた。
「お前、本当に命知らずだな。いいか?俺は止めたからな?」
ロズは残っていた炒飯を口の中にかきこみ、コップに入った水を飲みほし、お金とごちそうさまを机の上に雑に投げて屋台を飛び出した。市場に寄り、持っているお金のほとんど全てを使って船の備品や食料を買い込む。
「あら、どうしたの?そんなに急いで」
「世界の果てに行くんだ!」
「世界の果て?」
「うん!ここからうんと遠くに!」
市場の人はロズのその言葉を誰も信じなかった。たかが子供の浅はかな夢だろう。世界の果てなんてあるはずがない。ロズにはそう言っているようにも聞こえたが、そんな固定概念に捕らわれた大人たちを可哀そうに思った。船に荷物を積み、航路を確認する。世界の果てというならこの地図の端の線に、いや、この線よりももっと先に向かえばいい。比較的安全なルートを作り、船と商業船を結ぶ縄を切る。目いっぱい舵を回し、ロズの小さな船は大きな雲海に出た。
上は一面青、下は一面白。ところどころ水平線の先にぽつんと浮かぶ船。そんな世界は見慣れているはずなのにいつもと違うように見えた。羊の毛のような雲海は船の底を強く押し、ロズに頑張って。と言っているように思え、時折雲が祝砲のように飛び出しては空中にアーチのように少し形を留めて消えて行く。世界の果てへの旅は順調に進んでいた。商業船から遠くに行けば行くほど嵐に巻き込まれることも多くなったが、それも世界の果てに向かうための試練だと思えばどんなに辛くても乗り越えられた。
ロズが旅に出てからしばらくして、ようやく地図の端に近づいてきた。雲海はまだまだ続いている。ここまでくると周りに船は一隻もいない。雲海はもう予想が不可能なほどに荒れるようになり、今落ち着いて航海できているのは奇跡とも言えるだろう。好奇心と緊張が沸きあがるロズの少し荒れた頬と伸びた髪を、風が優しく撫でた。
「おーい!」
その時、どこかから声が聞こえた。声のした方を見てみると、雲海の上を飛び跳ねる魚がいた。
「おーい!ここでなにしてるの?どこにいくの?」
その魚は船の上からのぞき込むロズに問いかけた。
「世界の果てに行くんだよ!」
「せかいのはて?せかいにはてなんてあるの?」
「それを確かめに行くんだ!」
魚は船と並走しながら話を続ける。
「へぇーふしぎなことしてるね。ぼくはてなんてみたことないよ」
「君も一緒に来る?」
「いやだよ。ここからもっととおくにいくんでしょ?あぶないよ。ぼくだっておかあさんとはぐれそうになったんだ。そんなばかなことはしないよ。じゃあがんばってね!」
そう言うと、魚は船から離れて遠くの群れの中に混ざっていった。ロズはふと、まともに誰かと話したのはいつぶりだろうと思った。旅をしている最中すれ違い様に色々な人と話をしたが、どの人も商業船から離れるなんて意味が分からないといった感じだった。自分の船のことばかり考えて、その先にある素晴らしい発見に気づかない。そんな人たちをまた、可哀そうだと思った。
喋る魚と別れてからまたしばらく旅は続いた。とっくのとうに地図の端を超えて、未だ誰も到達したことがない海域の上にいる。周りには何もない。世界の果てを目指してから約半年が経った頃だろうか。遠くにひとつ、影が見えた。ロズは驚いて望遠鏡でその影をよく見た。望遠鏡の中には、何か船のようなものが映っている。こんな遠くに船がいることに驚いたし、もしかしたらロズと同じように世界の果てを探しに来た人かもしれないと考えてからは胸の高鳴りが止まらなかった。その影に近づいていくと、大きさはそれほどだが、ロズの船よりもどこか近未来的な船が見えた。まるで鉄の板をつなぎ合わせたロボットのような船。さらに近づいてみると、向こう側がロズに気づいたのか、声をかけてきた。
「おーい!そんなところで何してるんだ!大丈夫か!」
ロボットのような船から身を乗り出したのは、確かに人間だった。でも見たこともない服を着ている。まるで宇宙人のような、不思議な服だった。
「ど、どこの船の人ですか?」
ロズはおそるおそる聞いた。
「リーチ号だ!」
リーチ号。その名前を聞いた途端、ロズは意味がわからなかった。リーチ号は、あの商業船の名前だ。あの船はこんな形でもないし、こんな船体でもない。同じ名前の船は聞いたことがない。その後、リーチ号の船員だと名乗る人からその船では危ないからついてくるように言われたが、世界の果てに行くという使命を果たすためにもそれを拒否した。その後進んでいくと、ちらほらと船が見えてくるようになった。ロズは意味が分からなかったが、すれ違う船全部に船の名前やどの航路を周遊しているかを聞いた。しかし全て聞いたことのある名前、同じ航路だった。船自体もその面影があるような気がして、まるでパラレルワールドに来てしまったみたいだった。まるで、100年後の世界に来てしまったような。助けてくれる人は誰もいない。助けてくれるどころか、知っている人すらいない。すれ違う全ての人に行くことを反対された世界の果ては、孤独だった。
イカロズの翼 @Caoru_
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