第2話 幽霊ちゃんと真夜中の小競り合い

 それは突然のことだった。


 無事に引っ越しが終わり、コンビニ弁当に舌鼓を打って、綺麗な浴室で熱いシャワーを浴びた。その後はベッドに横になって、スマホで動画を見ながら寝落ち。よくあることだ。

 一旦起きたものの、疲れもあってすぐに再び眠りについた。



 ぐっ、と胸が圧迫される感覚に目が覚めた。と言っても、何故か瞼は開かないまま、意識だけが無理やり覚醒させられたような不思議な感覚だ。

 胸を圧迫している何かがズルズルと這い上がって、その圧迫感はついに首まで到達した。


 これが金縛りというやつか。指先に力を込めても、ぴくりとも動かせない。若干の息苦しさを感じつつ、初めての体験に口元が緩んだ。

 そこではたと気がつく。口元が緩むということは、話すことができるかもしれない。私にはどうしても言っておきたいことがあるのだ。


「あのさぁ、電気チカチカさせんのやめてくれない?うざいよ」


 言ってやったわ。だってコンビニから帰宅したら消したはずの電気ついてたんだもん。電気代は誰が払うと思ってるんだって話。


『………ス、……ロス』


 耳元で誰かが何かを囁いている。まるで喉が潰れたようなガサガサした声で、何を言っているのかしっかり聞き取れない。


「え?なに?もう一回言って」

『コロス』


 それはハッキリ、クッキリ、とても明瞭に聞こえた。若い女の声だった。


「なんで最初からハッキリ言わないの?めんどくさいな。あとさ、電気。電気ほんとにやめて。もうしないって今誓ってほしい」


 首の圧迫感が徐々に緩まり、固く閉じられていた瞼がピクピクと動いた。今だ、と思ってカッと目を見開くと、眼前に長い黒髪を顔に垂らして、その隙間からギョロリとした目を覗かせて私の体に跨るザ・幽霊。

 そうです、私が噂の幽霊です。そんな自己紹介でもしそうな勢いの見紛うことなきザ・幽霊。王道をいくタイプのようだ。


 しばらくそのまま見つめ合い、先に行動を起こしたのは幽霊の方だった。

 白くて細い腕を私の方へと伸ばし、ゆっくりと首に手を…


「やめて」


 ぺしんと叩き返すと、幽霊の肩がびくりと揺れた。なぜ自分だけが一方的に恐怖を与えられる存在だと思っているのか謎だ。


 だって私、幽霊なんて全然怖くないし。


 気が付けば殆ど自由に動かせるようになった体をいいことに、私は上半身をガバッと起き上がらせた。

 私の腰の辺りに跨っていた幽霊が、その勢いに負けて私の足の間に尻餅をつくような格好になった。


「いい?電気には触らないって誓いなさい。じゃないとお祓いしちゃうよ」


 これが脅し文句になるのかはさておき、私は人差し指をピンと立てて幽霊に言い付けた。

 途端に幽霊の輪郭がボヤァと曖昧になり始め、垂れた髪の隙間から覗く赤い唇がにんまりと弧を描いた。


 あ、こいつ、消える気か?


「待て待て待て。それはずるいでしょ」


 咄嗟に腕を掴むと、それは驚くほど冷たくて、幽霊に体温がないことを今初めて知った。

 そんなことより、腕を掴んだことが関係しているのかは分からないが、曖昧だった輪郭がまたくっきりと現れて、にんまり笑っていた表情は些か不貞腐れたものに変わっていた。

 もはやどうして幽霊に触れることが出来るのか、なんて疑問を抱くこともないほど自然に手に力を込めている。


『ワタシ、ノ…イエ………、デテイケ』

「その反応は違くない?逆ギレじゃん。確かにもともとはアナタが住んでいた部屋かもしれないけど、ここは今日から私の部屋なの。この部屋の電気をどうするかは全て私が決めることであって、そこにアナタの意思が入り込む隙は1ミリもないんですよ。分かった?」


 早口で捲し立てると幽霊は思いのほか素直にこくんと頷いた。ならば今夜はこれくらいで許してやるか。

 掴んでいた手の力を緩めると、幽霊はぴゅっと腕を引いて今まで私が掴んでいた場所を反対の手でさすって見せた。


「痛かった?ごめんね」


 言うことさえ聞いてもらえれば私だって鬼じゃないわけで、たとえ相手が幽霊だとしてもきちんと謝罪はする。それにしても幽霊にも感覚ってあるのかな。

 幽霊は黙ったまま再びボヤボヤと輪郭を曖昧にして、今度は捕まらないためなのか素早くその姿を消した。


 これでようやく寝られる。スマホで時刻を確認すると、深夜2時を回ったところだった。


「ベタすぎる」


 小馬鹿にしたような口調で呟いて、ふんと鼻を鳴らしたその瞬間、カッと視界が一気に白くなり、その眩しさに思わず目を瞑った。

 一拍置いて、ようやく部屋の電気が点いたのだと理解した。


「はぁあ?やり方がセコイっ」


 ベッドで憤慨する私を他所に、幽霊が姿を現すことはなく、行き場のない苛立ちを込めて、サイドテーブルから照明専用のリモコンを手に取った。照明なんてリモコンで自由自在。ベッドから起き上がる必要もない。消灯のボタンを押すとピッと小さな音が鳴って、煌々と存在を主張する照明が暗くなった。


 ふふん。幽霊め。心の中で悪態を吐いてやった。

 するとまた部屋が明るくなったので、それをすぐさま消す。点く。消す。点く。消す。点く。


 花井由乃、怒りました。


 ベッドから起き上がって明るい寝室を出て、引っ越しの段ボールが積み上がっている脇をすり抜けリビングへ入った。鞄から私物のノートパソコンを取り出して電源を入れる。

 勢いに任せて検索エンジンにキーワードを入力した。


 “幽霊 お祓い 安い”


 結果、めちゃくちゃヒットした。


 上からズラリと並ぶ除霊、祈祷、お祓いの文字を当てもなくスクロールして、適当に開いたのはとある神社のホームページだった。

 明らかに外部の業者に作らせたであろうガッチガチに作り込まれたページ上に“出張除霊 3.3万円〜”というバナーがチカチカと点滅している。〜ってなによ、〜って。いくらなのよ。

 それが良心価格なのかも分からないので、一旦他のサイトも見てみよう。比較って大事。


 “お坊さん派遣します”

 “すごく変わったと高評価口コミ多数”

 “出張除霊ならここ!”

 “安心の価格設定”

 “県内一律二万円〜、県外要相談”

 “パワーストーン販売”

 “疲れによく効く”

 “眠れないならこのサプリ”

 “1日で1000個売れたナイトブラ”


「いや、わからん」

 想像以上にカラフルなポップの数々を暗闇で目にしながら、様々なサイトを巡っているうちに気が付いたらナイトブラの広告に辿り着いてしまった。そういえば私こういうの持ってない。え、定価9980円が今なら2980円?


「じゃなくてっ」

 危うく深夜のテンションで要らぬものにお金を使うところだった。だから深夜のネットショッピングは危険なんだ。

 鼻から吸った息を口から吐いて冷静になってみると、こんなことにエネルギーを使っていることが無性に馬鹿馬鹿しくなってきた。


 そもそも事故物件ということは初めから分かっていたし、不動産屋の営業マンも「安い家賃を考慮しろ」と言っていたではないか。

 それはつまり家賃が安い分、ちょっと電気代が嵩みますよってことだったのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。

 そうなれば私がこんな深夜に睡眠時間と少ない貯金を削ってまでお祓いをサービスしてあげる義理は無いはず。もう寝よう。


 ノートパソコンをパタンと閉じて、再び段ボールの脇をすり抜け寝室へと戻ると、寝室の照明は消えていた。


 幽霊はもう寝たのかな。だとしたら私より先に寝るのはちょっとどうかと思うぞ。それとも除霊されるのが嫌で反省の姿勢を見せているつもりかな。だとしたらそれはちょっとカワイイとこあるじゃん。


 深夜3時。

 堪えきれない大きな欠伸をひとつして、私はようやくぐっすりとした眠りについた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る